第13話 違和感【フェルディナン】

 フェルディナンは、いつものようにジョゼフィーヌが廊下を歩いているのを、執務室の窓から眺めていた。


「気になるのでしたら、お声掛けすればよろしいのでは?」


「俺が行くとジョゼフィーヌが緊張する。毎日頑張っているのだ。負担はかけたくない。だが……」


 フェルディナンは、クレマンと毎日繰り返されている会話をしていたが、ジョゼフィーヌの顔を見て椅子から腰を浮かせる。


「ジョゼフィーヌの様子がおかしい」


「そうでしょうか? いつも通り、完璧な淑女といった佇まいですが……」


 クレマンに否定されて、フェルディナンはもう一度窓の外に視線を向ける。ジョゼフィーヌの様子は明らかに精彩を欠いていた。


「ちょっと、行ってくる」


「お供します」


 フェルディナンが執務室を出ると、クレマンも後についてきた。フェルディナンは走り出したかったが、皇太子として如何なる場合も冷静に行動しなければならない。普段、表情一つ動かすことのないフェルディナンが焦れば、国の一大事だと思われる可能性がある。


 それでも、かなり早く歩いたはずだが、ジョゼフィーヌに追いつけない。長い廊下の先にもその姿はなかった。


「どういうことだ?」


「何かあったのでしょうか?」


 フェルディナンは胸騒ぎがして、そのまま、ジョゼフィーヌの授業用に割り当てられた部屋を目指した。


(気のせいなら良いが……)


 フェルディナンは少し歩いたところで、脇道に人の気配を感じて立ち止まる。普段は人があまり通らない廊下の柱の陰に、ジョゼフィーヌが今日着ていたドレスが少し見えていた。


「ジョゼフィーヌ!」


 フェルディナンが駆け寄ると、人の視線から隠れるようにしてジョゼフィーヌがうずくまっていた。トネリコバ侯爵家の使用人がオロオロとジョゼフィーヌのそばに突っ立っている。


 フェルディナンが抱き起こすと、ジョゼフィーヌは真っ青な顔をしていた。


「クレマン、すぐに医者を呼べ」


「はい」


「お待ち下さい」


 ジョゼフィーヌの凛とした声が響く。歩き出していたクレマンも、その声に立ち止まってこちらを振り返っていた。


「ジョゼフィーヌ様?」


「大人しくしてろ」


 フェルディナンの声を無視して、ジョゼフィーヌが必死に立ち上がろうとするので、フェルディナンは仕方なくジョゼフィーヌの身体を支えた。


「わたくしは問題ありません」


 ジョゼフィーヌはクレマンの方を向いているが、焦点があっていない。とても立っていられるような体調には見えないが、気力でどうにかしているのだろう。


 きっと、駆けつけたのがフェルディナンであることにも気づいていない。


 フェルディナンは苦い気持ちになりながら、どう説得すべきか考えていると、プツンと糸が切れたようにジョゼフィーヌがフェルディナンの方に倒れ込んできた。


「ジョゼフィーヌ、しっかりしろ!」


 ジョゼフィーヌを抱きかかえながら呼びかけてみるが、苦しそうに呼吸を繰り返すだけで反応が返ってこない。


「仮眠室に運ぶ」


 フェルディナンの一言で、クレマンは頷いてその場を離れていった。フェルディナンはジョゼフィーヌが苦しくないように、ゆっくりと抱き直す。


 ぐったりとしたジョゼフィーヌの身体は驚くほど軽かった。


「アンリ?」


「ここにおります」


 気配を消していた護衛のアンリがフェルディナンに歩み寄る。


「ジョゼフィーヌをひと目に晒したくない」


「畏まりました」


 それだけ言えば、フェルディナンの優秀な部下は目撃者を出さないよう上手くやるだろう。フェルディナンは安心して、ジョゼフィーヌを横抱きにしたまま執務室に戻った。


 フェルディナンの執務室と繋がっている隣の部屋は仮眠室になっている。執務に時間をかけることのないフェルディナンは使った事がないが、ベッドは王宮の使用人により、いつも整えられている。


 フェルディナンは、そのベッドにジョゼフィーヌをゆっくり降ろすと、寒そうに震えるジョゼフィーヌに厚手の上掛けをそっとかけた。


 ジョゼフィーヌの震えは止まったが、それでも、必死で自分を守るように険しい表情をしたままだ。


 ここでは安心できない。ジョゼフィーヌがそう思っている気がして心が傷んだ。


「すぐに医者が来るから安心しろ」


 フェルディナンは、誰にも気を許さないと言うように固く握られたジョゼフィーヌの手を、医師が来るまでゆっくり擦っていた。

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