第12話 本物の侯爵令嬢
観劇から10日ほどが経った頃、ジョゼフィーヌは急遽引っ越しをして、トネリコバ侯爵家の本邸に住まいを移した。
ジョゼフィーヌは侯爵家の別邸で問題なく暮らしてきたが、引っ越しは前から決まっていた事らしい。もう少し先の予定だったが、観劇の日、フェルディナンが別邸にジョゼフィーヌを迎えに来たことで早まったようだ。
侯爵はフェルディナンにジョゼフィーヌと同居していない事を知られたくはなかったらしい。では、なぜ婚約してすぐに本邸に移動させなかったのか? その答えは本邸に引っ越してすぐに判明することになった。
「お嬢様を押しのけて、殿下の婚約者に収まった売女が……」
「あのお優しいお嬢様がどんなに苦しまれたことか……」
本邸の使用人たちは、ジョゼフィーヌを揃って憎しみのこもった目で出迎えた。
「お嬢様?」
トネリコバ侯爵には2人の息子がいて、ジョゼフィーヌも何度か会っているが、娘の話は聞いたことがない。ジョゼフィーヌが疑問を口にすると、使用人たちの顔が一段と険しくなった。
「まさか、お嬢様の事を知らないとでも言うのか!」
ヴィクトワール・トネリコバ
トネリコバ侯爵の一人娘で、目の前にいる使用人たちの前の主人らしい。年齢はジョゼフィーヌの2つ年上で、最近になって、ひっそりと他国の貴族に嫁いでいったようだ。
ヴィクトワールは、ジョゼフィーヌがフェルディナンの婚約者に収まったころから、トネリコバ侯爵に冷たく扱われるようになっていた。大人しい性格だったヴィクトワールは、侯爵に何も言えず、いつも一人で落ち込んでいたらしい。
使用人たちは、それをジョゼフィーヌのせいだと思っている。引っ越しが早まったせいで、ヴィクトワールの部屋を改築もせずに、そのままジョゼフィーヌが使っていることも、反感を強めているようだった。
侯爵の考えなどジョゼフィーヌには分からない。しかし、すべてとは言わないが、ジョゼフィーヌが原因の一つであることは間違いない。
ジョゼフィーヌは血のつながった家族のため、侯爵家のため、自分を犠牲にして頑張ってきた。それが誰かの居場所を奪っていたなんて考えたこともなかった。
(私が侯爵家に来たせいで……)
自分が頑張ることで、皆が幸せになれる。そんな、ジョゼフィーヌの行動の核が崩れ去ったような気がした。
それ故に、ジョゼフィーヌは使用人たちに嫌味を言われても、食事を抜かれても静かに受け入れてしまった。虐げられる事で贖罪になっている気がして、放置してしまったのだ。
フェルディナンからの手紙を燃やされたときには流石に堪えたが、愛されてもいないのに持っていても仕方ないと自分に言い聞かせて耐えた。
元々はヴィクトワールを敬愛する優しい使用人達だったはずだ。そのうち気持ちが落ち着いてくる。ジョゼフィーヌはどこかで楽観視していたのかもしれない。
「お守りがないわ」
ある日、ダンスレッスンから戻ったジョゼフィーヌは、本当の父から貰ったお守りがなくなっていることに気が付いて青くなった。フェルディナンの手紙も無くなり、ジョゼフィーヌにとっては最後の拠り所だったのだ。
いつもは肌身離さず身につけていたが、舞踏会用のドレスを着ていたので、隠し持つことができず、部屋の私物の中に隠しておいた。それがどう探しても見つからない。
「ここに並びなさい」
ジョゼフィーヌが使用人たちを集めて見回すと、皆がジョゼフィーヌの視線を避けている。全員が共謀して行ったのだろうか。
(やられた……)
どこまでが計画だったのだろう。練習なのに、本番用のドレスを着るよう言われて驚いたが、当日、ダンスの際に動きにくい点があると困ると言われれば納得してしまった。
今までは使用人たちの行動を見逃してきたが、お守りに関してだけは、ジョゼフィーヌにも容認出来ない。燃やされていないことだけ願って声を張り上げる。
「お守りはどこかしら? 今回は見逃すつもりはないわ。お守りが出てこなかったら、全員辞めて貰うわよ」
ジョゼフィーヌは使用人たちを睨みつける。ベテランの使用人たちは平然としていたが、若い使用人がビクリと肩を強張らせた。
「何か知っているわね?」
ジョゼフィーヌは可愛そうだとは思いながら、動揺を見せた使用人に詰め寄る。
「ジョゼフィーヌ様、おやめ下さい。ご自分が散歩をされた時にでも落とされたのではないのですか? 私達の責任にされても困ります」
ジョゼフィーヌを担当する使用人のまとめ役の侍女が口を挟んできた。
「私達のせいではないわ」
「そうよ。庭の池にでも落としたんじゃないの?」
別の使用人が息を吹きかえしたかのように喋りだす。その使用人をまとめ役の侍女が一瞬睨んだことを、ジョゼフィーヌは見逃さなかった。
(庭の池に捨てたのかしら?)
ジョゼフィーヌの散歩コースにある池なので、お守りを落としていても不自然ではない。もちろん、散歩から戻ったあとにも所持していたし、偶然落とした物の位置を使用人が把握しているわけはない。
ジョゼフィーヌの予想通り、お守りは池の底で見つかった。掃除が行き届いた人工の池は澄んでいたが、それでも、暗くなり始めた池の中を探すのはひと苦労だった。
(身体を温めたい)
ジョゼフィーヌは池に入ったせいで濡れて震える身体を抱きしめながら部屋に戻った。これだけジョゼフィーヌが辛い思いをすれば、今日の所は満足するだろう。そう思っていたが、使用人たちの恨みはジョゼフィーヌの想像を超えていた。
部屋に戻ったジョゼフィーヌの周りには、いつも通り侍女が控えている。しかし、いつも温かいお湯がはられている浴室には、冷たい水しかない。
「お湯を用意しなさい」
「ジョゼフィーヌ様の目の前に用意しております」
ジョゼフィーヌの睨みに耐えられる人間だけを部屋に残したのだろう。侍女たちに何を言っても、こちらを睨んで来るだけだった。
お風呂は諦めよう。そう思って、部屋に用意されているはずの、お茶のポットにも触れてみたが、こちらも冷たい水しか入っていない。
(ここまでするのね)
ジョゼフィーヌの反応が薄いので、行動が過激化したのだろうか。時間が経てば気が済む程度の恨みだと軽視していたジョゼフィーヌの落ち度だ。
暖かい季節も終わりを迎えて、夜はもう冷える。池に入って体力を奪われたジョゼフィーヌは、これ以上何か言う気力もなく、着替えを一人でして震えながらベッドに横になった。
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