第3話 ジョゼフィーヌ

 セリーヌが伯父のオーバンに連れて行かれたのは、トネリコバ侯爵家の別邸だった。


「私の姪です。この顔なら、美しく育ちますよ」


 伯父はいやらしい顔をして、トネリコバ侯爵にセリーヌを紹介した。セリーヌは、まさか、侯爵本人と会うとは思っていなかったので、緊張しながら挨拶をする。


「セリーヌ・ハナノキと申します。よろしくお願い致します」


 トネリコバ侯爵は感情の見えない目でセリーヌを上から下まで観察している。


「うむ、所作を矯正すれば、なんとかなるか」


「それでは?」


 伯父が嬉しそうに笑う。トネリコバ侯爵は1つ頷いて、執事の男性を呼び寄せた。


「3人目の候補者だ。そうだな……ジョゼフィーヌでいいだろう。今日からお前はジョゼフィーヌだ。しっかり学びなさい」


「はい」


 セリーヌはジョゼフィーヌと名前を改めさせられて、今までの暮らしでは考えられないくらい贅沢な部屋に案内され、専属の侍女までついた。


 しかし、予想していたことではあるが、家族で暮らしていた頃のような平和な生活はこの屋敷には存在しなかった。


 集められた候補者は、ジョゼフィーヌを含めて3人。ライバルと言ってもいい存在だったが、ともに伯爵令嬢である他の2人には、貴族マナーでさえ勉強中のジョゼフィーヌは視界にも入っていない様子だった。ジョゼフィーヌを無視して、2人が牽制し合う。殺伐としているが、この2人に関してはさほど気にならなかった。


 問題は教師たちの方だ。ジョゼフィーヌが他の2人に比べて劣っているのは育った環境の違いが大きかったが、そのことに関する考慮はない。


 ダンスで失敗すればムチで叩かれ、食事のマナーを間違えれば食事を抜かれた。使用人たちはジョゼフィーヌを、形だけはお嬢様として扱ってくれたが、着替えの手伝いをする際、ジョゼフィーヌに痣があろうと切り傷があろうとも気にしなかった。


 ジョゼフィーヌは生きるためだけにマナーを覚え、ダンスをこなす。基礎ではなく、伯爵令嬢を皇太子妃に押し上げるための教育なのだ。平民同然に育ってきたジョゼフィーヌにとっては、厳しいものだった。


 父に貰ったお守りを持って逃げようと思った事は一度や二度ではない。それでも、家族の平和を願ってジョゼフィーヌは必死で頑張った。


 辛いだけで終わらなかったのは、座学のおかげもある。歴史や経済、政治。最初こそ、ついていくのに精一杯だったが、貧乏男爵令嬢のままでは学べない知識を得られることは魅力的で、次第に勉強にのめり込んでいった。


 フェルディナンの婚約者候補になれるのは3人のうち1人だけ。選ばれたとしても、実際に婚約者になれるとは限らない。選ばれず侯爵家を追い出されたとしても、身についた知識は生きる術になる。


 自宅に戻ってからスージーにも知識を与えたい。それならば、正しい知識をできるだけ、たくさん得なければ…… 


 別邸はトネリコバ侯爵が書庫としても使っていたため、いくらでも得られる知識があった。ジョゼフィーヌは、教師たちに拘束される時間以外、寝る間も惜しんで書庫に通った。


 そんな暮らしを続けていたら、2人の伯爵令嬢はやがていなくなり、ジョゼフィーヌ一人だけになっていた。


 その後もジョゼフィーヌの暮らしは変わらなかったが、学んだことはジョゼフィーヌの中にどんどん吸収されていく。その結果、ムチを使われたり、食事を抜かれたりすることも減っていった。


 皇太子から、いつお声がかかるか分からないので、見たこともないくらい高価な布地のドレスをいくつも作った。貧乏男爵令嬢から成り上がったジョゼフィーヌは、傍から見たら羨ましく思われていたことだろう。


 時は流れ、皇太子主催のお茶会の招待状が届いたと聞かされたのは、トネリコバ侯爵家の別邸に暮らすようになってから4年ほどが経った、ジョゼフィーヌ14歳の初夏のことだった。


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