フェルディナンとの出会い

第2話 貧乏な男爵令嬢

 ジョゼフィーヌはハナノキ男爵家の長女として生まれた。両親から贈られた名前はセリーヌ。一応貴族ではあるが、暮らしは平民と変わらないか、それより劣る貧乏暮らしだった。


 母は妹のスージーが生まれて、すぐに亡くなってしまったため、父と妹と3人で小さい一軒家で暮らしていた。


 贅沢と言えば、月に一度、家族3人で街の食堂ヤマイモ亭に行くことで、恰幅のいいドニが作る大きなハンバーグを食べるのが唯一の楽しみだった。

 

 それでも、セリーヌは幸せだったと思う。


 そんな慎ましくも平和な暮らしが終わりをつげたのは、セリーヌが10歳のときだった。


 セリーヌがスージーとともに庭で遊んでいると、知らない男がこちらを見ていた。セリーヌは背中にスージーを隠すが、男はニコニコと怪しげな笑みを浮かべながら近づいてくる。


 セリーヌはスージーを促して、家の中に入ろうとしたが、その背中に男が話しかけてきた。


「君がセリーヌかな? 僕は君たちの伯父さんだよ。分かるかい? お母さんの兄なんだ」


「申し訳ありません。今、父が外出しておりまして、対応できる者がおりません。出直して頂けますか?」


「子供なのに、しっかりしているね。分かったよ。セリーヌ。


 その言葉の通り、伯父のオーバンは、その日から何度もセリーヌの自宅を訪れるようになった。スージーは、伯父が持参するお土産に喜んでいたが、セリーヌは伯父の笑顔を胡散臭く感じて、どうしても馴染めない。


 いつも伯父が来ると大人だけで話があると言って、父に部屋を追い出された。そのこともセリーヌの不安を増長させていた。


「何度言ったら分かるんだ!」


「あんたの方がおかしいんだよ」


 ある日、伯父がいつものようにやってきて、部屋を追い出されたセリーヌとスージーが2階で遊んでいると、父と伯父が言い争う声が聞こえてきた。


「お姉様……」


「大丈夫よ」


 怖がるスージーを宥めながら、セリーヌは耳をそばだてる。


「……なんだよ。あんたにもいい話じゃないか」 


「何があっても娘は渡しません。帰って頂けませんか?」


 盗み聞きは良くない。分かっていてもセリーヌは気になってしまった。『娘』という言葉が聞こえてしまったから、なおさら……


「スージーはここにいて」


 どうしても聞き逃したくなくて、セリーヌはスージーを部屋に残して階段を静かに降りる。ドアが開いているのか、1階に降りると部屋に近づかなくても、2人の声がはっきりと聞こえてきた。


「優しく説得してやっている内に頷いた方が得策だぞ。父に話せば、お前の仕事だって簡単に取り上げることができるんだ。そのくらい分かるだろう?」


「そんな……、それは困ります!」


「だったら、答えは1つしかないんじゃないか?」


「しかし……」


「まぁ、次に会うときまでに、よく考えるんだな」


(お父様の仕事がなくなる?)


 そのことに気を取られていたセリーヌは、伯父が帰りがけに、階段に隠れていたセリーヌを見ていたことに気づけなかった。



 数日後、伯父は父のいない時間を見計らって現れた。


「伯父様!」


 スージーは嬉しそうに声をあげて、伯父に駆け寄ろうとする。6歳のスージーには、父との言い争いの相手が『お菓子をくれる優しい伯父様』とは結びついていなかったのだろう。


 セリーヌは慌ててスージーを押し留めたが、スージーは不思議そうな顔をしてセリーヌを見上げるだけだ。


「伯父様、父は本日不在です。出直して頂けませんか?」


 伯父は父の不在を聞いても気にすることなく、セリーヌたちに近づいてくる。伯父の笑顔がセリーヌの警戒心をさらに高めていた。


「この前、君が階段に隠れて聞いていた話について詳しく知りたくない?」


「お姉様?」


 ようやくセリーヌの動揺に気がついたのか、スージーが不安そうにセリーヌのスカートを引っ張っている。


「スージー、先に部屋に戻っていてくれる?」


 セリーヌは何とか笑顔を作ってスージーを促した。スージーはコクンと頷くと屋敷の方に走っていく。伯父はスージーに興味を惹かれることはなく、ニヤニヤとセリーヌを見ている。父と伯父の話に出てきた『娘』がセリーヌだけだと分かり、セリーヌはホッとする。


「それで……」


「姉妹で仲がいいんだね。この前の話を聞いていたのに、一人になって怖くないの?」


「誘拐するつもりがあるなら、機会はいくらでもあったわ。きっと、それでは困るんですよね?」


 セリーヌは注意深く伯父を観察しながら睨みつける。伯父が強硬手段に出たとしたなら、セリーヌが抵抗しようと逃げようがない。どうにもならない現実が、セリーヌを冷静でいさせてくれていた。


「王子様の婚約者候補になるんだ。君にだって悪い話じゃないだろう?」


「婚約者候補?」


 セリーヌの母の実家は、この国有数の名家、トネリコバ侯爵家の分家にあたる。本家である侯爵家がセリーヌの年頃の少女たちを集めているらしい。


 美しい少女たちを集めて教育し、その中から婚約者候補を選抜する。もし、フェルディナン皇太子殿下の婚約者に選ばれれば、トネリコバ侯爵家は、国の中での発言力をさらに強めることになる。伯父はその時に功労者として、のし上がろうという野心があるようだ。


「君が私についてくれば、君のお父様と妹は今よりいい暮らしができるようになる。でも断れば……聞いていたんだよね?」


 伯父はニヤリと意地の悪い笑みを浮かべた。



 結局、セリーヌは伯父の申し出を受けることにした。父が反対している以上楽しい事が待っているとは思っていない。それでも、スージーにだけは、平和な生活を続けさせてあげたかった。


 お相手のフェルディナンの年齢はセリーヌの2つ下、どうして年上のセリーヌが選ばれたのか分からないが、セリーヌが断ればスージーに話がいく可能性は十分にある。


「こんな、貧乏な生活は嫌なの。私は伯父様についていって、贅沢な暮らしをするわ」


 そう言ってもなお、父はセリーヌを何度も説得してきた。セリーヌを決断させた本当の理由に、父は気づいていたのかもしれない。


 最終的に、セリーヌが折れないと分かると、父は「すまない」と言って悲しそうな顔をした。


「セリーヌ、嫌になったら、いつでも帰っておいで。3人で慎ましく暮らすなら、いくらでも方法がある。覚えておいてほしい」


 セリーヌが出発する朝、父はそう言ってお守りの中にお金を入れて、セリーヌに持たせてくれた。ぎりぎりの生活で用意するのは大変だったと思う。セリーヌは返そうと思ったが、父の強い眼差しを前に、断ることはできなかった。


 セリーヌは父の想いに触れ、泣いてしまわないように必死で堪えながら、迎えに来た伯父とともに馬車に乗り込んで長年暮した家を後にした。

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