皇太子殿下の婚約者は、浮気の証拠を盾に婚約破棄を画策する

五色ひわ

ジョゼフィーヌの画策

第1話 ジョゼフィーヌの画策

 ジョゼフィーヌは皇太子妃教育で慣れ親しんだ王宮の廊下を歩いていた。光の加減で桃色にも見える特徴的な金色の髪をきっちりと結い上げ、くびれた腰と豊かな胸を強調するドレスを着ている。小柄なその姿からは淑女の鑑と呼ばれるにふさわしい風格が漂っていることだろう。


 すれ違った皇太子の側近たちが、ジョゼフィーヌに同情的な眼差しを向けている。ジョゼフィーヌは、その視線を憂いを帯びた表情で応えた。


 優秀な側近たちのことだから、これから起こる事が分かっているのだろう。


 ジョゼフィーヌは無意識に持っていた封筒を抱え直した。この封筒の中には、婚約者であるこの国の皇太子フェルディナンの浮気の証拠が入っている。

 

 どうやら、フェルディナンは市井の女性に熱を上げているらしい。


 ジョゼフィーヌは気づいていなかったが、王宮で行われたパーティーでは、フェルディナンの噂でもちきりだった。ジョゼフィーヌは、その噂をもとに調査を頼んで浮気の証拠を掴んだのだ。


 事を荒立てなければ愛されることはなくても、ジョゼフィーヌはフェルディナンの婚約者のままでいられるだろう。それでも、ジョゼフィーヌはこの証拠を盾に婚約破棄を迫るつもりでいる。


 理由は簡単だ。ジョゼフィーヌにも市井に恋する男性がいるのだ。

 

(きちんと決着をつけて、マルクに会いに行かなくちゃ)


 ジョゼフィーヌは気合を入れ直して廊下を進む。フェルディナンの乳兄弟であるクレマンに案内されて連れて行かれたのは、皇太子の私的な空間である皇太子宮の一室だった。


「やっと来たか」


 ジョゼフィーヌが部屋の中に入ると、フェルディナンが余裕の表情で長い足を優雅に組んでソファーに座っていた。


 何故だか分からないが、フェルディナンはぶかぶかの服を着ている。それでも、金色の髪は日の光を受けてキラキラと光っていて皇太子らしい風格を損なっていなかった。


 ジョゼフィーヌといるときのフェルディナンは無表情でいることが多い。それなのに、フェルディナンの萌木色の瞳は、意外にもジョゼフィーヌを優しく包み込むように見つめていた。 


(なんで、今更……)


 ジョゼフィーヌは、消し去ったはずの想いが顔を出しそうになって、静かにフェルディナンから視線を外す。


「殿下、こちらをご覧頂けますか?」


 ジョゼフィーヌは気持ちを立て直してフェルディナンの向かいに座ると、決意が揺るがないうちに証拠の入った封筒をフェルディナンの前に置いた。

 


「それで? 私にどうして欲しい?」


 フェルディナンは驚いた様子もなく、ジョゼフィーヌの持ってきた浮気の証拠をペラペラとめくっている。


「殿下が本当に愛する方がいるのであれば、わたくしは応援いたしますわ」


「ほぅ、応援してくれるのか?」


「はい、もちろんですわ」


 フェルディナンはジョゼフィーヌに言い訳すらしない。マルクの存在がなければ、ジョゼフィーヌは傷ついていたことだろう。


 フェルディナンは、きっと、この婚約をただの契約の一つだと思っている。ジョゼフィーヌに対して個人的な感情など抱いたことがないので、気遣う気持ちなど湧いてこないのだ。


「私の愛する娘を愛人として囲っても問題ない。そういう事か」


 この国は一夫一妻制をとっている。たとえ皇太子といえども、側室を置くことは許されていない。フェルディナンの恋人を皇太子妃にしないのであれば、愛人として囲うしかないのだ。


「いいえ! いいえ、殿下。それは違います。殿下の恋人を日陰の身に置くだなんてありえませんわ」


 お飾りの皇太子妃にされてしまいそうな流れに、ジョゼフィーヌは慌てて否定する。


「そうか。では、どうする?」


 浮気を追求されているはずなのに、フェルディナンは妖艶な笑みを浮かべている。あまり見せない表情に、ジョゼフィーヌは見惚れてしまいそうになって視線を反らした。


「殿下の恋人に皇太子妃になって頂けばいいのですわ。市井の方に皇太子妃は重荷でしょう。妃教育が終わるまでは、わたくしも協力いたしますわ」


「では、市井で私が出逢った女性が、私の妻となることに、ジョゼフィーヌは同意するのだな」


「はい! もちろん!!」 


 つい、喰い気味に答えてしまってジョゼフィーヌは顔を赤くする。完璧な淑女と言われているジョゼフィーヌが人前で表情を変えることなど滅多にない。大きい声を出すなんて以ての外だ。


「では、ジョゼフィーヌ。この書類に署名してもらおう」


 フェルディナンの言葉を受けて、気配を消していたクレマンがジョゼフィーヌの前に書類を差し出す。


「え? わたくしはそんなことをしなくても、殿下を裏切ったりはしませんわ」


「それなら署名しても問題ないだろう?」


「それはそうですが……」


 ジョゼフィーヌはそれ以上断る理由も見つからず書類を手に取った。


1、ジョゼフィーヌはフェルディナンとフェルディナンの愛する女性が結婚することに同意する


1、ジョゼフィーヌはフェルディナンの愛する女性が皇太子妃になることに同意する


1、ジョゼフィーヌはフェルディナンと愛する女性が一緒に暮らすことに同意する 


1、ジョゼフィーヌはフェルディナンと愛する女性が2人で外出することに必ず同意する


1、ジョゼフィーヌはフェルディナンに愛する女性が膝枕をすることに必ず同意する


1、ジョゼフィーヌはフェルディナンと愛する女性が2人でお茶会をすることに必ず同意する


1、……



 項目は多いし、よく分からないものも混ざっているが、とにかく、ジョゼフィーヌがフェルディナンと恋人の行動を邪魔しなければ問題ないようだ。1つ目の項目だけで充分な気もするが、害がないのでジョゼフィーヌは署名をした。


 ジョゼフィーヌは書類を見ていたので、フェルディナンがごそごそと動いていたことにも気づかない。


「殿下、署名が済みましたわ。確認お願いし……」


 ジョゼフィーヌは顔を上げたところで、向かいに座る人物を見て固まった。


「一緒に暮らすことも承諾してくれたようだし、今日から王宮に住んでもらおうか。部屋はジョゼフィーヌの好みに合うよう整えさせてある」


 ぽっちゃりと太った茶色い髪の男性、ジョゼフィーヌの愛するマルクがジョゼフィーヌの向かいに座っている。書類を渡された時には、確実にフェルディナンが座っていた場所だ。


「え?」


 マルクは優雅な微笑みを浮かべて、固まったままのジョゼフィーヌから書類を受け取った。


「マルク? 殿下はどこにいらっしゃるの?」


「ジョゼフィーヌの目の前にいるだろう」


「マルク……よね?」


 ジョゼフィーヌは状況が掴めないまま、呆然とマルクを見つめることしかできなかった。

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