赦すとかどうだっていい~未来へ


 店の戸を叩くと、仏頂面を超えて般若面の縁さんが僕を熱く出迎えてくれた。

 そう、僕の右腕を型が残るほど握り込んで離さない。



「ようこそ…………待っていたよ、佐藤。立ち話もなんだ、中へ入ってくれ。安心しろ、中には誰もいないから」



 ああこれは、全てを白状するまで返さないという前振りなんですね。承知しました!


 ……せめて好きな人に言われるなら、もっとドキドキするニュアンスで言われてみ

たかったと肩を落としたが、全ては自分が蒔いた種なので仕方ない。


 観念して大人しく彼女の言う通りに店の中へ足を踏み入れた。

 するとその刹那、彼女の顔面が迫ってきてキスをされるかと思った。けれど彼女の視線の先は僕の唇ではなく、その背後にある扉に向けられていた。



 あれ? と思っている隙に、カチャンという施錠の音が聞こえる。


 これから軟禁して取り調べされるんですね……。


 彼女は満足したらしく、扉から手を離すと僕をそのまま店の奥へ連れて行った。

 廊下を突き進み、以前は心の種を育成していた部屋に通された。


 以前は植物で埋め尽くされていた部屋も、今ではすっかりもぬけの殻だ。物置程度にしか使用されている気配はなく、少し埃っぽい。ところがなぜか机と一対の椅子が鎮座していた。



 それでなぜか僕が先に押し込まれる。理由なんて分かり切っているけれど。

 ――カチャン。


 再び施錠の音が聞こえて、あぁいよいよか……と緊張感が高まってくる。



「――で、話したいことというのはなんだ?」


「い、いえ、先に縁さんからどうぞ」



 反射的にそう答えてしまったのは仕方ないことだと思う。だって彼女は今にも噛みつきそうな形相で僕を睨み付けているのだから。



「そうか、分かった。では聞こう。これは一体どういうことだ?」



 バンッと机に叩きつけられた半紙に見覚えがあった。いや、というか心当たりしかない。


 だってそれ、僕がとうにいの墓に隠した婚姻届ですからね!!!!



「どどどどうして、縁さんがそれを……」


「鏡子さんから渡されたんだ。墓で、これを拾ったとな。どういうことなんだ?」



 僕の勘すっげーー!! それから女性のネットワークこっわ~~。

 ……などとふざけているわけではない。きちんと釈明しなければ。


 彼女は僕に威圧をかけるふりをして、問うているのだろう。

 自分のことが好きなのか、否か。

 好きならどうしてこんな真似をしたのか。


 僕にはそれに答える義務がある。



「……僕は、縁さんのことが好きなんです。あなたに告白されるよりも前からきっと。でも、赦されないと思って、気持ちに蓋をしたんです。

 ――もし赦されるなら、あなたを好きでいてもいいですか?」



 鏡子おばさんやとうにいの手を煩わせなくては、告白の一つもできやしないチキン野郎な僕だけど、あなたはそれでも好きだと言ってくれますか?


 彼女はそっと目を伏せてしまった。



「そんなもの、誰に赦される必要があるんだ。透夜は君が恋を諦めることを望むような奴じゃない。透夜の死を無理に忘れろとは言わない、でもそれを理由にお前が幸せになることから逃げるな……っ」



 縁さんは僕の頬に手を伸ばした。その手からは高鳴る脈動と彼女の熱が伝わってくる。彼女だってあれを渡すのにどれだけの勇気を要しただろう。緊張するのは僕だけじゃないのだ。



「ええ、気付かされました。だから、僕が赦してほしいのは縁さんです。こんなに汚してしまいましたし、一度は永遠に秘めてしまおうともしましたが、これが僕の本当の気持ちです。

 ――縁さん、あなたを世界で一番の幸せ者にしたい。これまで贖罪に費やしてきた年月を取り戻すくらい幸せにして、泣いた分は笑顔にしたい。

 幸せの対価は不幸だって、お姉さんの事件で痛感しました。それでも僕はもう逃げたりしません。あなたがどんな災厄や不幸に塗れようとも、その手を離しません。

 勝手に死ぬなんて許さないし、僕もあなたの許可なく死んだりしません。

 他の誰よりも、とうにいよりも大っ切なあなたに、僕はずっと生きてほしいって我が儘を言う代わりに幸せにします。だから!」



 息が足りなくて、思わず言葉が途切れた。格好悪いな僕。あぁでも縁さんの涙が止んでいる。馬鹿だなって笑ってくれている。それならいっか。



「僕と結婚してください。縁さん、あなたの抱える悲しい記憶は、全て僕が幸せに替えてみせます」



 転けたけれど、盛大なプロポーズをした直後なのに、彼女は不満そうに口を膨らませていた。


 あれ、もう遅かった? もう間に合わないの???? 

 心の中がパニック状態の中、彼女は口を開いた。



「…………愛してる、とは言ってくれないのか?」


「いやえっとそれだと、とうにいの二番煎じになっちゃう気がして……ちょっとって、待ってください泣くことないじゃないですか。わーわー言いますから、言いますってばっっ!!」



 女の涙に勝てるものはないとはよく言ったものだと思う。

 僕は椅子から立ち上がり、ぼろぼろと涙を零す彼女を抱き寄せた。



「えっ……」



 だって、そんな大きな声で言えるわけないじゃないか。

 月並みだけど、世界で一番普及している愛の言葉なんて。


 僕は彼女をさらに胸に引き寄せて、耳に口を押し当てる。



「――愛してます縁さん。心の鏡だっていう、種を交換したぐらいなんですから当然じゃないですか。あなたになら全てを曝け出してもいい」



 お望み通りの言葉を伝えたというにもかかわらず、彼女は声を転がして笑い出した。

 何がおかしいって言うんだよ。



「いやーだって、順序がおかしいだろうと思ってな。普通そこは、付き合ってくださいって言うべきだろう?」



 腹を抱えて僕の腕の中で震え続ける彼女に、僕は冷たい視線を浴びせながら言ってやることにした。



「…………先に段階すっ飛ばして、プロポーズしてきたの縁さんですからね」


「ぅっ……」



 それを言われたら何も言い返せないらしく、彼女は赤面して固まってしまった。

 もうこれは承諾してくれたということでいいだろう。


 僕は自分の中でそう結論づけて、彼女の後頭部に手を回した。

 五年……いやもっと長い年月溜め込んできた欲望が今弾けそうだ。


 彼女の唇に僕のそれを重ねて、反応を待った。すぐに彼女は我に返るが、もう遅い。



「っ……んぅ……ぁ」



 薄く開いた唇に舌を押し込んで、彼女の舌を味わう。


 くちゅくちゅ、ぬちゅぬちゅと初めて直に聞くリップ音は想像していたよりも遥かに甘美で、理性を崩壊させた。


 思うままに舌を這わせていると、彼女の目が蕩けきっているのに気付いて慌てて舌を抜き出した。その瞬間、「んぁ……」とこれまた雄ッチがオンになりそうな艶っぽい声が漏れる。



「五年間も我慢してきたんです。結婚に同意してくれるってことは、そういうのももちろんしてもいいってことですよね?」



 僕の煽り文句にまた赤面してしまうかのように思われたが、彼女は口から涎を垂らしたまま僕に挑発的な視線を向けてきた。



「……女性の性欲は年齢と共に増加するのを知っているか? もうすぐ私も三十歳になる。君の方こそ覚悟しておいた方がいいんじゃないか。私の方は今日にでもできる覚悟をだな――」


「言いましたね? 言質取りましたからね?? はぁーせっかく今日はあとキス一時間くらいで我慢しておこうと思ってたのに……縁さんから誘ってきたんだから、後で文句とか言わないでくださいよ??」


「ちょ、ちょっと待て。今のは物の例えで――!」



  *



 それからさらに五年の歳月が流れ、僕と彼女は一児を持つ親となっていた。


 一応あれから僕らは数ヶ月の交際を経て、婚姻届を提出した。

 その間に今まで働いていた店を辞め、正式に店を引き継いだ。今ではあのときのお客さんが常連客として、よく店に足を運んでくれている。



 そして今日二月十三日はとうにいの命日。


 僕ら家族は彼の墓参りに来ていた。

 縁がとうにいの死を無理に忘れることはないと言ってくれたから、彼の死を抱いたまま幸せに生きることにした。


 だからこうして命日や月命日に、そのお裾分けという名の惚気に来ている。



「ほら香澄。透夜おじさんにお祈りして」


「はぁい」



 小さな手を合わせて祈りを捧げる女の子は、僕と縁の娘の香澄だ。


 名前の由来はとうにい。「透」を使ったらそのままだから、似た意味を持つ「澄」を用いたのだ。



「ねぇねぇ、なんでおそなえするのはいつもこれなの?」



 早くもお祈りを終えたらしい香澄に問われて、僕は腰を屈める。



「透夜おじさんが、遺してくれたものだからね」



 墓前に飾るそれは相変わらず心の種の枝だ。それには花や果実がついていて、彩り豊かなものになっている。確かに墓に飾るには少々華やかすぎるのかもしれない。けれど、これでなければいけない。僕らと彼を結ぶ、繋がりだから。



「あら、パパったらもう『とうにい』って呼ばないのね。ブラコンだったのに」


「ちょっ、香澄の前でそれはやめてよ!」


「え~パパ、ブラコンなの? かすみ、ほいくえんでおともだちできたけど、『ブラコンすぎるのはよくない』って言ってたよ??」


「……それ、男の子だな。名前を教えなさい!」



 ええ~っと焦らしながら、香澄は頬に指を当てた。



「とおやくんっていうの。おじさんといっしょでしょ?」


「「えっ」」



 そのとき、風が僕らを煽って、彼に頭を撫でられたような気がした。


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