不器用な彼女と、


 ボールペンと印鑑を取り出し、婚姻届の空欄を埋めるように記入してから捺印した。



「こんなんじゃ、掃除なんかできないよ……」



 僕はその紙を三つ折りに畳みなおしてポケットに仕舞い込む。それから荷物を手に、また彼の墓へ向かった。


 墓前では心の実が付いたままの枝が無邪気に笑っていた。

 僕がこれからしようとしていることなんて、露知らず。



「僕は、縁さんのことを女性として愛しています。とうにいの好きな人だって気付いた頃にはもう、惹かれてたんだ」



 口にするほどに込み上げる思いが嗚咽となって、僕の告白を妨害してくる。



「以前……こく、はくされて…………今日、婚姻届が同封されて、いたんだよ。笑っちゃうくらい回りくどくって、不器用だよね? でも、嫌いになんてなれっこないくらい大好きで仕方ない」



 頬に伝う涙は重みを増した愛情からか、それとも、これからすることへの拒絶か。



「――だからこそ、この想いには蓋をするよ」



 昼ドラなんかではよく、墓は隠し事をするために利用されている。

 墓石の下に隠すような真似はしないけれど、一生の秘密をとうにいと共有しようと思うのだ。永遠に告げず、永遠に想うこの想いを。


 僕は墓石の周辺に散りばめられている石を退け、その石で少しだけ土を掘り起こした。そこにできた窪みに三つ折りの婚姻届を埋め、退けた石を被せて隠した。


 永遠に叶わないでいてほしいから。

 とうにい以外の誰にも、縁さんにさえも伝えないまま土に還そう。



「……ぁ」



 喉の奥から絞り出したような嗚咽が漏れ出して、気付いた。

 そうだ、言葉にしなくちゃとうにいにさえ真意は伝わらない。


 僕は墓前で姿勢を正して彼に向き合った。



「好きになってごめんなさい。とうにいの好きな人は取らないよ。だけど、どうか許さないでいてほしいんだ。それで、」



 あれ、どうして言葉に詰まったりするんだ。一番伝えなくちゃいけないことなのに、喉に何かが引っかかって……。



「僕の、心を表したその紙をこの世から消し去ってください」



 両手を合わせ、懇願するように祈りを捧げた。




 自分で決めたことなのに涙が止まらない帰り道。



「だ~いすき、な~~んだよ~♪ あ~い~し~て~るぅ~~……」



 なんとも晴れやかで甘酸っぱい歌声が耳に入ってきた。


 その歌は透明感溢れるものなのに、どこか物悲しさを感じさせる歌声がやけに気になって、首を向けると見覚えのある少年がそこにいた。



「あっ……あなたは確か……!」



 飴色の髪に海色の瞳の少年。見間違えるはずがない「飴 脳裏」という飴売りの少年だ。


 彼は僕の呼び掛けに気付くと、歌を止めてこちらに会釈してくれる。



「これはこれは。お久しぶりでございますね、佐藤昇汰様」


「あのとき飴さんは、僕に不思議なキャンディをくれましたよね? 僕あのあと、思ってもないようなことばかりしちゃったんです。あれって一体なんだったんですか?」



 彼はその問いに不敵な笑みを浮かべた。



「……いえいえ、それは違いますよ。懐古キャンディはあくまで、思い出をより深く味わうものでございます。思ってもないと思うのであれば、それはあなたご自身が自分の思いを押し殺していただけに他なりませんよ」



 もし、彼の言うことが本当で、彼の飴に不思議な力があるとするなら……。



「それじゃあ、また飴を売っていただけませんか? 今度は、想いを忘れ去ることができるようなものを――」


「それは致しかねます」



 彼は食い気味に、且つ冷たい炎宿した眼で僕に反論した。



「私がお売りするドロップは、私にも選定することができません。お客様に一番必要なドロップが自分からやってくるのです。それに……、」



 一呼吸置くと、彼は自分の手元を指さした。



「いつものバスケットではないでしょう? 今日はお休みなんです。申し訳ありませんが、私は墓参りに向かわせていただきますね」


「ま、待って――!」



 彼は僕の制止を振り払うことなく、通り過ぎていった。



「一体なんだったんだ……?」



 あんな不思議な力を持つ少年、それも五年経っても見た目が一切変わらない不老の者。彼が花を手向ける相手なんているのだろうか?


 そんな疑問を抱えながら、僕は帰路に就いた。



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