再会のとき


 あれから五年が経とうとしていた。


 僕もすっかり大人になっていて、調理系の専門を卒業してから今は地元のレストランで修行中だ。今年でそれももうすぐ二年になる。

 大人になった僕は、縁さんが今どこで働いているかを鏡子おばさんから聞き、今まさにその職場へ向かっている最中だ。


 彼女は今、隣町の心療内科がある医院でカウンセラーをしているという。



「ここだ」



 山中心療内科。


 出掛けに連絡はしたけれど、きちんと会えるだろうか。

 不安と期待が入り交じった胸で受付に向かい、指定された扉を開ける。

 するとそこには、久方ぶりの縁さんの姿があった。


 ロングコートのような白衣を着用した彼女はあの頃よりも髪を伸ばし、以前にも増して艶めかしい顔立ちになっていた。


 同世代の男子が大学生や高校生に現を抜かす中、僕は全く興味を持てなかった。きっと彼女以上に色っぽくて綺麗な人には出逢えないからだろう。そんなことをぼやいていたら、ついに幼馴染みと交際をスタートした紫苑からは「年上好きだな」と言われてしまったが、本当にそうなのだろう。今こうして彼女を一目見ただけで、あの頃の熱が再燃するのだから。


 しばらく眺めていたら、ようやく僕に気付いた彼女がいつか見た柔和な笑顔を向けてくれた。



「やあ、久しぶり佐藤。背が、伸びたな」


「え、はいっ! そうですね……今は185cmくらいあると思います」


「そうか、私より大きくなったんだな」



 微笑ましそうな顔をする彼女に釣られて、僕も口元が緩みかけたが本来の目的を忘れてはいけない。



「それよりも鉢植え! あなたにお返しします。再会するまでの約束でしたから」


「あぁ、ありがとう……実もたくさん生っているね。嬉しい証拠だ。私も君に返そう」



 そう言って、彼女は診察室に置かれていたポットを持ち上げた。見るからに手で持ち帰るサイズではない。どうしようかな……。



「……君、彼女はいるのか?」


「ななな何ですか! 藪から棒に……そんなの、いませんよ」



 唐突でピンポイントな質問に僕の心臓は暴れ馬のように荒れ狂っていた。心臓に悪い……。



「そうか。それでこの後時間があったら付き合ってほしいことがあるんだが、一緒に来てくれるか?」



 意味深な物言いに一瞬どぎまぎしたが、僕は即答した。だって今日2/13はとうにいの命日だから。することなんて決まっている。



  ****



 とうにいの墓へ足を運ぶと、そこには既に花が飾られていた。きっと鏡子おばさんだろう。


 それでも僕らの思いを届けたくて、僕の鉢植えの枝を手折ったものを隣に飾った。

 僕らは形ばかりの掃除を済ませ、ろうそくと線香に火を付けて供えた。それから手を合わせて彼の冥福を祈った。


 僕が頭を上げると、それを待っていたらしい彼女が僕を熱く見つめていた。


「これからも月命日と命日を一緒に、墓参りしてくれないか」


 どういうことかと質問を入れる間もなく、彼女は矢継ぎ早に言葉を繰り出していった。



「私一人では生きていけない、君がいなくちゃつまらない。君に支えてもらわないと、すぐ駄目になる」


「……そ、そんなこと言って。この五年間今まで平気だったじゃないですか。再会して、感傷に浸ってるだけです、すぐに忘れられますよ」



 これが甘い夢なら、覚めなければいけない。だから、愛想笑いを浮かべて淡々とそれっぽい言葉を並べるだけだ。情なんか、抱かないように。



「そんなことない、君にまた会えると思っていたから、約束があったからこそ頑張れたんだ」


「墓参りくらいなら構いませんけど」



 一定ラインを踏み越えるなと線引きして、これでこの話は終えたつもりだった。ところが、彼女はまだ話を続けたがっていた。



「それと、君にもう一つ頼みがある」


「……何ですか」


「あの店を、『stray sheep』を君に任せたい」


「え……っ!」



 予想だにしなかったお願いに僕のことは揺らいでしまう。


 これ以上引き込まれてはいけないのに、心は彼女の方を向いていて。



「カウンセリングに訪れる人は、心に悩みを抱え、助けを必要とする人の一割にも満たない。カウンセラーだけでは対処できないし、来ない患者を救うことだって無理だ。だから私は『種』で救える人がいるなら、救いたい。これは私のエゴだ。けれど君は言ってくれたな。


『その行為で救われる人がいるなら、それはエゴなんかじゃないですよ』


 って。君が私に色んなことを教えてくれて、支えてくれたから今、こうしてカウンセラーをしていられる。だからどうかお願いだ、あの店を継いでくれ。君じゃないと駄目なんだ、君以外には頼みたくない」



 そんな昔のことを……。僕の手を握り締めて、懇願してくる彼女の手を振り払うことはできなかった。


「それは僕が『種』を扱って、料理を作るってことですよね」


「そうだ。そのためには、調理師免許も必要だが――」



 そう言えばこの人は知らないのか。五年も会っていないのだから当然と言えば当然だが。



「言い忘れてましたね。僕は調理師免許、持ってますよ」


「じゃあ――」


「はい、お受けします。あの店は僕にとっても大切なものなので。まだ少し先になる

とは思いますが、それまで待っていてください」



 もちろんだと感涙を浮かべる彼女は、涙を拭いながら引き出しから封筒を取り出した。



「土地の貸し出しと店の経営に関わる書類が入っている。後でこれに目を通してサインしておいてくれ」


「分かりました」



 頷き、それを受け取ると、追加で鍵も手に乗せられた。



「これは?」


「店の鍵だよ。久しぶりに見に行ってくれないか? 掃除もたまにしかできていなくてね。少しばかり店内の清掃をしてくれると助かるんだが」



 このご時世に二十代で店を任されるなんてありがたい話だ。



「いいですよ、それじゃあまた」


「待ってくれ」



 早速久しぶりの店に出向こうとすると、彼女が僕の服の裾を掴んだ。



「連絡先を交換してほしい」



 大胆な行動と相反して、もじもじと躊躇いながら差し出されるスマホ。いじらしくないわけがなかった。



「もちろんですよ」



 僕はようやく医院を後にして、その足で店へと向かった。


 五年ぶりの店内は物静かで暗かったけれど、それでも思い出深いものがある。

 掃除を頼まれていたが、忘れないうちに書類にサインしておこうと中身を取り出した。


 土地使用の名義やよく分からない単語が羅列された書類などが出てくる。その文字に目を当てただけで気分が悪くなる。


 だが、これぐらいできなければ先が思いやられる……と一枚一枚書類を持ち上げていると、僕はあるものに目を奪われた。


 三つ折りに畳まれた白くて薄っぺらい一枚の紙。透かして見ると、枠線部分が茶色で印字されていて、文字もいくらか記入されている。



「どうしてこんな、回りくどいこと…………馬鹿だなあ」



 記入済の婚姻届だった。


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