告白(2)
一晩頭を冷やした。
やっぱり謝るべきだ。いや、謝りたい。
確かに昨日言ったことは嘘じゃない。でも、そうだとしてもあれ以外の感情を抱いていることも確かなのだ。
八年もの間燻らせてきた思いと、一年以上育んできた絆は天秤にかけることはできない。比べるべきものではなかった。
埃に塗れた化石が、生ける花に勝るわけがない。だってもうそこに命も感情も存在しないのだから。亡き者の骸を後生大事しているようでは生きていないのとほぼ同義だ。亡骸はきちんと埋葬して、供養しなくてはならなかった。
「なんで、こんな単純なことに気付けなかったんだろ……」
その答えも明白だ。
盲目に「とうにい」の影を追い求め、縋っていたから。
本当に彼の死を受け容れられていなかったのは僕の方だったのだ。彼女に怒鳴りつける権利なんてなかった。
……いや、もうそんなこと関係ないか。
「僕がしたいからそうするんだ」
そうと決めた僕は、いつもは着ない正装っぽいジャケットとカッターシャツを着込み、発熱するパンツを穿いた。
これで少しは大人っぽく見えるはずだ。こんなことを気にしている時点で大人でないことは明らかだったが、それでもけじめだけはつけておきたかったから。
バイトのシフトはないが、店へ向かうことにした。午前八時半だからまだ営業時間前だ。少しくらい話す時間はもらえるだろうし、無理なら待たせてもらえばいい。
とは言え、アポなし凸は避けたい。以前、縁さんが田所さんにそれをやっているのを傍目で見ていて、すごく冷や冷やしたから。
家を出る前に、
【昨日の件でお話があります。今から店に向かいますね】
一方的に押し付けるようなメールを送ったけれど、一分後には、
【分かった】
と単調な返事があった。
彼女は彼女で何か思うところがあるのかもしれない。
僕は謝罪の心構えと練習をしながら、店への道のりを辿った。
****
自転車を停めてから店に入ろうとすると、表の鍵が開いていなかった。僕は訝しみつつも、裏口に回って店の中へ足を踏み入れた。
「あの……縁さん、表開いてなかったんですけどどうしたんです、か…………?」
「待っていたよ佐藤。私からも君に話したいことがあってね」
そこで作業していた彼女はいつもの男装姿ではなく、ニットとデニムとシンプルながらも女性の格好をしていた。
彼女が男装をしないときには必ず意味がある。それもかなり重要な。
僕はそこでもう一つあることに気付いた。
「あれ、どうしてテーブルも椅子も、いつもより少ないんですか?」
それだけじゃない。装飾品類なんかもめっきり減っている。まるで店終いでもしようかとばかりに……。
「それは後で話すよ。先に君の話を聞かせてくれ」
単に話を先延ばしにされただけだったが、今の僕にはそれがどうしようもなくもどかしい。だからと言って、彼女の申し出を断ってまで先に理由を聞く意味もないのだ。
「昨日のこと……謝りたいと思って。僕、本当はもう、言うほど縁さんのことを恨んじゃいないんです。だけどでも…………っ、そしたら僕は誰を何を憎めばいいんだって、今まで恨んできたのはなんだったんだって、思ってしまって。それに、とうにいのことを忘れてしまうのが怖かったんです」
「君の気が済むのなら、いくらでも私を憎み続ければいいさ。その方が楽だと言うならね」
どうしてあなたはそんなに優しいんですか? 付け入られるような隙をわざわざ与えて。それで想うだけで構わないってそんなの……。
「いえ、もう憎むのはやめます。とうにいだって、望んでないはずですから」
「……あぁ、そうだな。アイツは馬鹿がつくぐらいのお人好しだったからな」
そう零した彼女は過去に思いを馳せるように明後日の方向を見上げた。その横顔はひどく柔らかで穏やかだ。
それから一息吐いた彼女は真剣な表情になると、真っ直ぐに僕を見つめ始めた。
「…………君の気持ちはよく分かった。私は君が前を向いてくれて嬉しい。私も前を向こうと思っていてね。私がしたい話というのはそれについてなんだ」
彼女は僕の頬に手を翳すと、ひどく痛ましげな表情を見せた。悲しみ、苦しみ、嘆き、どれとも異なる哀愁漂うそれはきっと、別れの兆しだったのだろう。
「この店を畳むことにしたよ」
「っど、どうしてですか!? バレンタインあんなに盛況だったのに!! お客さん、あんなに喜んでくれてたのにっぅ……」
感情のままに突っ走った言葉は心の内に秘められていた想いまで曝け出してしまった。嗚咽交じりの声が店の中で虚しく響いた。
「もう一度、カウンセラーを目指すことにしたんだ。専門学校に通って勉強して、人の苦しみを和らげたり、痛みを癒せる立派なカウンセラーになりたい。そのために、店を畳むよ」
そこに浪川透夜のことで俯いていた彼女の姿はない。あるのは、意気揚々と公明正大に自分の夢を語る眩しい彼女の姿だけだ。
でも、僕はやっぱり臆病な人間だからそこへは行けないんですよ。狡いと知りながらも、僕はそれを選んだ。
「……ここじゃ、駄目なんですか? 今までだって、たくさんの人を救ってきたじゃないですか! それで、それでいいじゃないですか……っ!」
優しい彼女なら、僕のことを好きだと言う彼女なら我が儘も受け容れてくれるはず。
……そんな期待は泡のように消える。
「駄目なんだよ。それでは前に進めない。急で迷惑をかけるが、バイトにも来なくていい。あぁ、今まで働いてくれた分はきっちり支払うから心配しないでく――」
「そんなことどうだっていいです! 僕は、僕は……………………まだまだ縁さんと一緒にいたいんです。この店で、色んな人が救われるお手伝いをしていきたいんです……!」
縁さんが好きだ、縁さんを愛してる。
きっとそんな言葉じゃ伝えきれないほどのものを彼女からもらって、その思いを育んできた。 だから今、その手を離したくはないんだ……!
けれど祈りも虚しく、彼女は寂しげな笑顔を見せた。
「…………済まない。もう決めたことなんだ。憤慨されるのも仕方ないと思っている。その気持ちもぶつけてくれて構わない」
もう一度見つめた彼女の目には意志の炎が宿っていた。これはもう他人ではどうすることもできない、そう直感した。
もうやり直すことさえできないのなら……僕は最後の意地を見せる。
「だったらもう、ここには来ません。縁さんに会いにも来ません。あなたの夢を邪魔したくないですから…………」
彼女は感慨深げにうんうんと頷いた後、こんな提案をもちかけてきた。
「もし、私に少しでも情が残っているならね、種を交換してほしい」
「種、ですか?」
こんなときにまで「種」か。
僕を変えた勇気の種は実と種を付けた。彼女の胸から突如出現した花も種を落としていった。確かに交換自体は可能だ。
「どうしてそんなことを?」
「離れていても、互いの絆を結ぶものが欲しいんだ」
その言葉を聞いて、彼女も淋しい思いを抱いていることに気付いた。だから僕が甘える振りをしてあげることにした。
「……じゃあ僕も大人になって、縁さんもカウンセラーになったら、そのときはまた会いませんか? お互いが育てた鉢植えを見せ合うんです」
僕がわざとらしく甘えた声を出すと、彼女は笑って頷いた。
種を交換した僕らは再会の約束だけを交わして、別離した。
今はきっと変革を迎える準備期間なのだと信じて。
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