告白


 あの文面から察するに、大事な話なのだろうと判断した僕は自転車をかっ飛ばして店へ向かった。


 いつものように自転車を店の裏手にある倉庫に停めて、裏口から店に入る。するとそこで待っていたのは、白いUネックニットにロングスカート、そしてストレートロングの黒髪姿の縁さんだった。


 彼女はカウンターの椅子に腰掛けて、物思いに耽っているようだ。その横顔は上品でいて、艶めかしい。

 それでいて紛う事なき女装。女の人の格好をした彼女に、僕は言い知れない緊張感を覚えた。まるでこれから人生の岐路に立たされるかのような、そんな昂揚感と不安感が僕を覆っていた。



「あ、もう来てくれたのか」



 僕を見るなり、朗らかな声を上げる縁さん。立ち居振る舞いも心なしか、女性らしくて、普段とのギャップに図らずも胸がときめいてしまう。



「え、ええ。急用だといけないと思って…………それで話って、なんですか?」



 平生と異なる格好、空気感、胸の高鳴り。それらに不快感を覚えた僕は、努めて平生通り振る舞うことを意識した。意識して、戻そうとしたのに。


 彼女は僕の返答に答えることなく、一歩、また一歩と僕との距離を縮める。

 スカートの裾が揺れる度、後退りしたい気持ちでいっぱいになるのに、身体は言うことを利かない。いやむしろ、逃げることを許さなかった。


 そうして、彼女と僕との距離が45cmを切ったそのとき。ようやく彼女は足を止めてくれた。

 僕の心臓も鼓動を抑えだした。


 だけど、その距離感はやけに彼女を意識させるものだった。触れようと思えば触れられて、抱き締めようと思えばすぐにできてしまうのに、その人の匂いを感じることはかろうじてできない。


 ……いや、そもそも、触れるとか抱き締めるとか匂いだとか何考えてるんだよ、僕。変に意識するなって。そんなんじゃないんだから――。



「なぁ佐藤」


「っっ……ぅ!?」



 それはまるで、恋人に愛を囁くような甘い声。耳元で囁かれているかのような錯覚を覚えるほど、蜜の味がする。



「好きだ」



 その瞳は僕だけを映していて、僕だけに向けられていた。吸い込まれそうになるその引力に逆らえず僕も彼女を見つめていると、彼女は弁明するようにそっと視線を床へ落とした。



「ずっと透夜のことを言い訳にして、色恋沙汰は遠ざけてきた。自分は透夜を殺した人間だから人を好きになる資格なんてない……そう思い続けてきたんだ。でもそれは、幸せに手を伸ばせない自分への自己防衛にすぎなかった。君に好きと伝えるのが怖くてたまらなかった。なぜなら、それには自分の正体を明かす必要があったから」



 君に、嫌われたくなかったんだ。

 そう零す彼女はやっぱり弱々しくて、頼りなげだった。一人で生きていくことなんてできなさそうな乙女だった。


 それでも彼女は、全てを伝えなくてはならないと奮起して、



「改めて言おう。

 佐藤昇汰、君が好きだ。名前を聞いたときから、透夜が話してくれた男の子だと気付いていた。でも、いくら距離を取ろうとしても君は諦めてくれなくて、結局私が根負けして。バイトとして雇ってしまった。

 初めは贖罪のつもりでもあったのかもしれない。幼い君から、兄的存在だった彼を奪ってしまったことへのね。けれど……何ヶ月、一年と過ごすうちに君自身の魅力にどんどん惹かれていったのさ。

 ――どれだけ恨まれていようと構わない。私が君を好きなだけだ」



 突然不意にベルは鳴り響きはしないし、お客さんが来ることもない。僕と彼女と二人だけの空間。


「好き」って、どういうことだ? 初めから分かってた?


 それなのに、恨まれていると分かっているのに告白なんかしてくる意味が分からない。好きならずっと一緒にいたいって、この関係を壊したくないってそう思うはずじゃないのか?

 ――違うか。


 好きならもっと近くに寄りたい。傍にいられる理由や権利がほしい。そして願わくば、触れ合い、愛し合いたい……そう思うのが当たり前なのか。

 でも、ボクは…………。



「がっかり、したでしょう? とうにいから聞かされていた『昇汰』とは全然違うはずです」


「そんなことはない。君は少し甘え下手で、芯はしっかりしているのに自分の意見を上手く言い出せなくて、謙虚で、我慢しやすくて、臆病なところがある。でも、それに負けないくらい真面目で、素直で、優しくて、よく笑いかけてくれる。

 ――透夜から聞いたままの素敵な男の子だよ」



 いいところも悪いところもいっぱい見てくれていて、それでもなお、僕を好きだと言ってくれる人なんてそうそういないだろう。こんなにも執着的な根暗さを持つ僕に魅力なんてない。



「僕は、こんな自分好きじゃありませんよ。それに、どうして僕なんですか?」



 僕を好きになるくらいなら、とうにいのことを好きになってくれれば良かったのに。少なからず、そんな思いが滲み出てしまったのか、彼女は困ったように眉尻を下げた。



「君は少し透夜と似ているんだ。雰囲気がどことなくね。それにだ、君は私の名前を聞いたとき、既に気付いていたはずだ。私が恨んでいる対象だと。けれど、優しく接し続けてくれた。たとえ魂胆があったとしても私は救われたよ。だから、できることなら、これからも君の傍にいたい」



 僕ととうにいの雰囲気が似ているならなおのことだ。どうして彼の気持ちに応えてくれなかったんですか? そうしたら今頃彼は生きていたかもしれないのに……。


 今さら考えたって益体もないこと、そのときは気付くことができなかったことなのかもしれない。それを根に持って、憎悪に駆られている僕は明らかに愚か者だ。分かってはいるよ。



「っ……僕は! あなたのことがずっと憎かった。とうにいを殺した原因じゃなかったとしても、とうにいを傷付けたことに変わりない。それに、通夜にも葬式にも来なかったあなたのことなんて――――大嫌いだ」



 言っていることが滅茶苦茶だ。関係ないことを無理やりこじつけているにすぎない。そうだとしても、口にした言葉はもう取り戻せない。かつて、彼女がそうであったように。


 我に返った僕は彼女の顔を見て、胸が千切れそうになった。



「…………そうか。私は、そこまで嫌われていたのか。仕方ない、自業自得だな」



 自嘲気味にそう呟いた縁さんの目はあまりにも儚くて、手からこぼれ落ちるガラス玉のように脆かった。


 自分が犯した過ちの大きさに気付いた僕は罪悪感に耐えきれず、鞄を手にその場から逃げ出した。



 恋われて、乞われて、毀れて、壊れる。



 自転車を走らせながら、頬を撫でる涙でようやく解った。

 僕はもう、とうにいよりも縁さんのことを好きになっている。


 とうにいの影に縋り付いて、人と一定以上親しくなることを避けていた僕が恋に落ちてしまった時点で決まっていたのだ。


 僕が今失いたくないのはとうにいを殺した憎悪の対象でも、今の自分でもなくて、縁さんだってこと。とっくに知っていたはずなのに、僕はまた間違えてしまったのだ。


 今度こそ間違えまいと、云えるうちに「好き」を伝えようと、お姉さんの死を解き明かしてもらったときに誓ったはずなのに。


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