バレンタインとトラウマ
店に戻ると、縁さんの胸の辺りが発光し始めた。前にもこんなことがあったはずだ。確か、一条さんと氷川さんのとき。
僕が過去を回想している隙に、それは茎を伸ばし、蕾を膨らせ、瞬く間に花を咲かせた。
「こ、これは一体……??」
その花はぼったりと重たくなった花弁を揺らすと、そこから何かを吐き出した。
かと思うと、それは宙に浮かび上がり、投影機のように映像を映し出したのだ。
『縁……好きだよ』
肉声と聞き間違うほどに鮮明な音声。ああそれよりも特筆すべきなのは、
「とう、に――」
「とおや、透夜だよな? ……………………透夜っっ!!!」
それは浪川透夜の映像だったということ。
これはきっと、告白されたときのものなのだろう。
学生服姿で、気恥ずかしそうに頬を掻く彼が笑っている。
懐かしの「とうにい」だった。
彼女は言葉も体裁も忘れて、しゃくり上げていた。それも仕方ない、だって彼女はずっと失っていた彼を取り戻せたのだから。これできっと彼女は過去から解放される。
一方で、必要のない憎しみを背負っていた僕は、抜け殻みたいだった。
だって縁さんは囚われの身から抜け出せたのに、僕は、僕だけがとうにいという亡霊に囚われたままだから。
****
すっかり浪川透夜の未練を断ち切れた縁さんは、渋っていたバレンタイン教室の申し出を受け容れた。
すると、瞬く間に噂は広がり、このご時世なのに有り難いことに満員御礼という快挙を成し遂げた。
成功は形式ばかりではなかった。
丁寧で分かりやすく、オリジナリティも出せるチョコレートが作れるようになった! という口コミが人を呼び、教室は全三回行われるほどの人気ぶりとなったという。
その話を彼女から聞いた僕は、迷惑を掛けたお礼にと教室のことを紫苑に教えてあげた。
あれだけ誘う理由が「なんたら~」と言い訳を挙げ連ねていたが、友人の働く店でイベントがあるからと誘うことに成功したらしい。相手もすんなりOKしてくれたらしく、店でチョコレート作りという共同作業を終えた二人の仲は親密になったと喜んでいた。いや、告白しろよ。とは言え、当初の目的である好きな子からの手作りチョコレートももらえたわけだし、結果は万々歳なのだろう。
謎にへたれっぷりを見せる彼さえ、踏み出して望んだ結果を手に入れた。
縁さんも過去を克服して、バレンタイン教室の成功を収めた。
じゃあ僕は?
――なんもしてないな。バレンタイン教室もチョコレートが無理だからと言って、教室がある日はバイトのシフトを入れてもらわないようにしたくらいだ。
ただひたすらに暗い心の闇に浸かりきって、過去をダシに甘んじている。向上することを、変わることを、怖れて逃れて。
せめて、チョコレートの販売くらいは手伝おう。教室がこれだけの反響を見せてくれたのだ、縁さんの手作りチョコレートも売れるだろう。
彼女にチョコレートの売り子を申し出ると、お日様のような温かい笑顔を咲かせてくれた。
だけど僕にその笑みは眩しすぎる。
結果、バレンタイン前日のまでにチョコレートも飛ぶように売れた。これで店の知名度も上がること間違いなしだ。これからのバイトは忙しくなりそうだ……忙しくなれば、彼女と向き合う時間も必然的に減るだろう。
そんな逃げ腰思考は変わらぬまま、バレンタイン当日を迎えた。
今日ばかりは学校を休みたくなった。
教室中に充満した噎せ返る甘いチョコレートのにおい。それだけでもう気分が悪くなるというのに、女子は何が楽しいのか、タッパーに詰めた手作りお菓子を配り歩いている。道理でそこら中から、チョコレートと砂糖を煮詰めたような甘ったるい臭いがするわけだと納得した。
紫苑曰く、僕にチョコレートを渡そうとしていた女子はそれなりにいたらしい。その理由は「恋愛的な好意」「人間的好意」「愛玩的好意」など様々だと言うが、前回僕が取り乱した一件が流布されたお陰で今のところチョコレートは受け取っていない。
「あとは今日を乗り越えるだけか……」
それでもこの教室中に蔓延したチョコレート臭(クッソ甘い)を耐えるだけでも、拷問ものだ。真冬のためにエアコンは付けっぱなし。もちろん授業中に換気なんてできるわけもなく、授業中はずっとこの臭いと連れ添わなければいけないのだ――なんて拷問だろう。頭が痛い。
「はぁぁぁ……」
「昇汰大丈夫か? これやるから、気を確かに持てよ? それでも無理そうなら、保健室連れてくし」
「あっ、それなら俺が――」
「うるさい黒田は口挟むな」
反論する余地すら与えない紫苑の切り返しに黒田くんは撃沈していた。それにしても、聞き耳立てていたのかと思うとちょっと気持ち悪い。遠くから盗み聞きするくらいなら、堂々と会話に参加してほしいものだ。
「紫苑、ありがと」
彼が差し出してくれた板ガムの包み紙を開くと、鼻を刺すような刺激臭が放たれた。
「歯磨き粉!? 歯磨き粉の臭いする~~!!」
すぐ傍にいた女子がギャアギャアと騒ぎ立てる程度には、強い芳香力だった。
これで少しはあっま~いチョコレート臭も薄れるだろうとそれを口に放り込む。その刹那、口の中に雪が舞い降りた。それは寒波の如く口腔を飛び回り、舌に痛烈な痛みを与えるのだ。
「うっわ、かっっら!!!! なんにこれぇ……」
「でも、いいリフレッシュにはなったよな?」
僕の反応にコロコロ笑い声を上げる紫苑。けれど、その目は安堵に満ちていた。
「……うん。ありがと紫苑」
一、二分はその辛さに身悶えしたが、それも咀嚼しているうちに慣れてしまった。三、四分もする頃には、奥深い甘みが広がってきて、美味しいと思えるようになっていた。慣れとは怖ろしいものだ。
未だに僕の半径二メートル以内に女子は入ってこようとしないというのに。
「…………なぁ、昇汰。それうまい?」
「うん。最初はこれ、なんだこれぇ! って思ったけど、噛み続けてたらそれもなくなってきて、なんかよく分からないけどコクのある甘み? みたいなのがあって、癖になる感じ」
彼は躊躇いを見せた。それでも、伝えるべきと腹を括ったのか、やけに神妙な目つきで僕にある事実を突き付けたのだ。
「昇汰、それな……原材料にカカオが含まれてるんだ。話聞いたけど、アレルギーってわけでもなさそうだから、荒療治でも試した方がいいかと思って、さ」
「な、なんでこんなこと……?」
別にチョコレートが食べられなくたって、生きていけないことはない。それで苦労するのはせいぜいバレンタインくらいなのだ。そこを乗り越えればいつもの日常が戻ってくる。
それに、こんなことをするメリットが紫苑にはないはずだ。もし、嫌われでもしたら友人関係が消滅してしまうかもしれないのに、得られるものは僕がチョコレートを食べられるようになるというそれだけ。
「だって、昇汰さ……チョコもらいたい人がいるかどうかって聞いたとき、反応がなんかおかしかったんだよ。口ではいないって言ってるし、態度もそうだったけど…………食べられないことに苦しんでるように見えたんだよ。だから、ホントはそういう相手からのチョコレート、食べられるようになりたいんじゃないかって。それでだよ」
彼は恋の手助けをしてくれたから、何か恩返しをしたかったと笑った。
現に僕は今、発作を起こしたり、吐き戻したりせず平気でいる。彼の行動は正しかったと言えるのだろう。
「ホントにありがと、紫苑」
紫苑のお陰でなんとか授業を乗り越え、放課後に。
「やっと解放される!」と伸びをしていると、スマホが振動した。この揺れ方はLINKだろう。
差出人は縁さんだった。
【話があるから、今日店に来てくれ】
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