【第零花:赦しの花】

伝えたいこと


「――由野さん、あなたにお伝えしたいことがあるんです」



(あれ、これはなんだ?)



 僕の下に、僕と由野さんが向かい合っている……?


 その面持ちは二人とも神妙なもので、二人の間には静謐な空気が流れていた。



「なんだ、言ってくれ」



 言葉とは裏腹に、彼女の声音は震えている。それはこれから何を言われるかを予感して、その結末に怯えているようでさえあった。


 僕は首肯の代わりに目を瞑る。すぅーっと呼吸音が聞こえたかと思うと、その目が開く。



「僕はあなたのことを人として尊敬しています。今まで何人もの心を救ってきたのに、それを過大評価したりせず、毅然とした振る舞いを装って、謙虚な内面を隠すあなたがいじらしくてたまりません。もうホント、子どもな言葉でしか言い表せませんが……、


 大好き、なんです。由野さん、あなたのことが異性として好きなんです」



 告白だった。それも愛の告白。

 それは必ずしも祝福され、肯定されるものとは限らない。


 現に好意を伝えられたはずの彼女は、悲しげな目をしていた。



 僕が驚かないのは、それがまるきりの本心だと分かっているから。とうの昔にそんなもの、気付いてしまっていたから。


 取り返せないくらいに堕ちていたから。



「佐藤、気持ちはありが――」



 彼女は僕に拒絶の言葉を掛けようとしているように見えた。けれど、そこに嫌悪の色はない。


 僕を嫌いで告白を断ろうとしているとは見えない。


 何かもっと複雑な事情から、断らなくてはいけないと腸を断つような痛ましさが漂っていた。



 けれど、それを遮った僕は予期せぬ言葉を掛けたのだ。



「でも、あなたのことは絶対許しません。由野、縁さん」


「っ…………!!!!」



 僕の目には確かな憤りと惨憺たる憎しみが籠もっていた。


 一体何をどうされればそんな怒りを買えるのだろうか。

 まるで、家族を殺された被害者家族が加害者に向ける目じゃないか……。


 そこまで思考してから気付いてしまった。



 彼女の目には涙が浮かんでいたこと、何かをひどく後悔して唇を噛んでいること。

 そして、今こうしている僕が彼女に対して明確な憎悪を抱いていることに――。



「っっうわぁああああああああああああ!!!!」



 僕はベッドから跳び上がるようにして目を覚ました。


 そこにあの二人の姿はない。辺りに広がっている景色は見慣れた僕の部屋そのものだった。



「っはあ、っはぁぁあ……夢、か。そっか、夢だよね」



 特に変わっている様子はないが、全身が粘ついた汗でビショビショだ。気持ち悪いから後で着替えよう。


 だけど、いくら夢と言ってもそれで誤魔化しきれないものがある。


 僕が彼女に抱く思い。



 それは恋だけに非ず。彼女へ抱く明確な憎悪感。それは――――。



  ****



 季節は巡り、冬になっていた。


 冬と言えば「冬休み」「クリスマス」「お正月」「お年玉」!



 楽しいことが目白押し。学生にとっては天国のような季節だ。


 だけどそれももう過ぎ去った話。残すは三学期中間テストと学年末テストのみ。世知辛い世の中だよ、全く……。



「キャハハハ、あんたらマジどんだけチョコほしーんだよ!」


「だ、だってさー……仕方ねえじゃん! 男ってば、そういう生き物なんだからよ!!」



 金曜日の五時間目の休憩時間。

 一番テンションが上がって、はしゃいでしまう時間なのだろう。


 馬鹿騒ぎする彼らを見ていると、頭がクラクラする。それは彼らのやりとりが幼いだとか、そういった揶揄ではなく、心因的な問題……、



「そういや昇汰はチョコもらいたい相手とかいないの?」



 近くにいた紫苑(鈴木紫苑)が浮き足だった様子で僕に声を掛けてきた。

 この様子だと、彼はバレンタインに期待しているようだ。正直、羨ましい。



「……そうだなぁ、そういった人はいないなー」


「ふーん。今、女子の視線がこっちに向いてる気がするな~……昇汰さ、黒田とのいざこざなくなってから、自分の意見とかはっきり言うようになったし、優しさもそのままだから女子からの人気結構高いらしいよ?」



 ソースはクラスメイトの女子らしいが、腐女子に人気があっても、モテるのとは関係ない。むしろ、恋愛観的な意味では遠ざかっている。その一因は彼にもあると思うけれど。



「気のせいだってー。それか、都合のいい男子って枠じゃないかな?」



 納得はいっていない様子だったが、なんとか話題を終わらせることには成功した。



「じゃあさじゃあさ! ……その、お前から渡したい相手とかも、いないわけ?」



 彼は周りを気にしながら耳打ちをしてきたが、その瞬間どこからともなく悲鳴が聞こえてきたような気がする。


 頼むから変な噂になるようなことはしないでくれよと思いつつも、仕方ないのだろう。そこは思春期男子だ。女子がどんな目で二人組男子を見ているかなんて知る由もないのだろうな。



「うん。いないよ」



 そっか……と彼はあからさまに肩を落とした。しょげた表情は一部の夢見る女子たちを射止めるには十分なくらい耽美的だ。男の僕でも美人だと思うくらいなのだから、女子にとってはドツボだろう。由野さんとは真逆の可愛い系中性美人というやつだ。


 そうは言っても、僕は由野さんの顔の方が好みだけれど。



「……なんか今、失礼なこと考えてたろ」


「別にー……そ、れ、よ、り、も」



 意味ありげに間を持たせて、にやにやと相好を崩す僕の態度に何か悟ったのだろう。彼の口元がヒクヒクと痙攣している。



「僕にそんなこと聞くってことはさ、紫苑こそ、渡したい相手がいるんじゃないの?」



 そう問われて硬直する彼。はて? と首を傾げて待つこと早二秒。みるみるうちに彼の顔が沸騰していき、白旗を揚げたのだった。



「…………はい、そうです。全部、俺のことです」



 一つ聞いてみただけで彼は案外すんなりゲロってくれた。 


 彼には幼馴染みの好きな女の子がいて、その子は近所に住んでいること。



 小学校までは同じだったが、中学から私立と公立とで分かれてしまい、会う回数がめっきり減ってしまったこと。



 けれど、高校受験を終えてお互いスマホデビューしたときにLINKの連絡先を交換してから友人としての交際が再開したこと。



 二人きりで会う度、それまでの時間を埋めるように親密になっていって、別れる度無性に寂しく思うようになったこと。


 次第にそれが独り占めしたい、彼女になってほしい、「好きだ」。


 そう気付いたということらしかった。



「うん、うん……聞く感じは仲良さそうだけどね。チョコ欲しいなら、軽い感じでチョコほしいなーとか言ってみればいいんじゃないの?」


「それができたら苦労しないし、わざわざ昇汰に相談したりしない……」



 いじめっ子に立ち向かう勇気はあるのに、案外シャイなんだなとか一瞬考えたけれど、今絶対ひどいこと言われたよね? 僕は恋愛経験なさそうって言いたいのか!



「へーソウ。じゃあ、友達と数競ってるからとかなんとか言ってもらえばー?」


「……そんなお情けチョコじゃ嫌だし」


(お前は駄々っ子か!) 



 そろそろぶち切れてしまいそうな堪忍袋の緒を引き締める。


 いけない、いけない。


 普段の僕はこんなことで怒るような奴じゃないのだから。

 彼にイライラの理由だって説明してないのに、キレたりできない。



「んーそれならさ、一緒にチョコ作ったらいいんじゃない?


 そしたらあげるのも自然だし、こっちからあげたら交換でくれるかもしれないしさ」



 言ってみたはいいものの、男子がチョコを作りたい理由をでっち上げる方が難しいかもしれない。


 それに相手は幼馴染みだ、簡単な嘘ならすぐにバレてしまいそうだし……、



「それだ! 昇汰サンキュー、愛してるっ!」


「~~っだから、ひっつくなってばーー」



 飛びかかってきた彼の腕を払いのけようとするが、うまくいかない。こいつ、見た目の割に力あるよ、全く……。


 歓喜して離れない鈴木くんを懸命に引き剥がしていると、こちらを見ていた女子とバッチリ視線が合ってしまった。



(まずい、このシチュエーション確実に誤解される……)



 僕の焦燥など露も知らない彼女は一歩ずつ確実にこちらに近づいてきている。



(え、えーとえーっと言い訳、言い訳、言い訳……!)



 普段稼働率が20%にも満たない頭をフル回転させるも間に合わず、彼女が眼前に迫った。



「……あの、」


「う、うん。何かな?」



 言い繕うことは諦めて、開き直り笑顔を作ることにした。さて、これは吉と出るか、凶と出るか……。



「その、佐藤くんってチョコとか……好きかな?」


「――――え?」



 度肝を抜かれたような声を発したのは僕ではなく、鈴木くん。けれど、それは「こいつがモテるなんてありえない」といった反応ではなく、「言った傍からくるなんて……」というような反応だった。


 彼は空気を読んでのことか僕から腕を引き剥がすと、廊下へ繰り出してしまう。

 せめてこの瞬間だけは耳に囁かれてでも傍にいてほしかった。


 僕の顔面はある感情に支配され、やがて熟したザクロのように赤く染め上げられる。


 喉が詰まる。息が苦しい。肺が押さえつけられているみたいだ。

 息も上手く吸えない。ただただ視覚と聴覚がぼやけて、状況がよく分からない。



 あぁ、そうだ。彼女の質問に答えなくちゃ。何も知らない彼女に心配なんてかけちゃいけない。だから早く、



「…………っごめんね? 僕、チョコレートアレルギーなんだ」


「そ、そうだったんだ……ごめんね、今の忘れてもらっていいから……!」



 彼女はそれだけ言い残して、教室から飛び出して行ってしまった。

 みんなの前で言うには苦しすぎる言い訳だったかもしれない。



「おーい昇汰~、見てたけど今のはいくらなんでもえげつ――っておい、大丈夫か!?」



 非難しにきたはずの彼の声で気が付いた。


 僕は膝から崩れ落ちていた。しかも、喉元から風を切るような耳に残る音がする。心なしか、手も震えている気がするなあ。



「からかって悪かったよ、だから落ち着いて深呼吸しろ? すーーはーーー、すーーはーー」



 迷惑かけてごめんね、鈴木くん。友達になった時点で説明しておくべきだったよね。


 僕さ、

 ――チョコレートがトラウマなんだ。アレルギーっていうのはさすがに嘘だけど、本当に拒絶反応が出ちゃうんだ。チョコレートを口にしたら、発作が出て、過呼吸になったりしちゃう。


 元々はバレンタイン自体を逆恨みしていたんだけど、それはさすがに無関係だって思えるようになって、バレンタイン自体は平気になったよ。


 でもね、どうしてもチョコレートだけはダメなんだ。

 だってどうしても思い出しちゃうんだ。


 大好きな「とうにい」を殺されたあの日のことを――。


 

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