若人は過ちを繰り返す
翌朝目覚めると、鉢植えに緑色の物体を発見した。それは二センチにも満たないちっちゃな双葉だった。それでも僕には希望にさえ思えた。
諦めなくていいんだよって、励まされてるみたいだったから。
お返しに、「うん、頑張ってみるよ」と小さく呟いてみせると、双葉は柔い笑みを浮かべてくれていた。
その姿に元気をもらった僕は、いつもより早く登校した。僕なりのけじめをつけるために。
息を整えて入った午前七時五十分の教室。そこで彼は一人、読書をしていた。何も変わらず、あの日と同じようにこうして登校してきている。
ただ、教室の扉を開けたのに彼はちらりともこちらを見ない。仕方ない。
音を立てないよう忍び足で歩み寄り、彼の目の前で立ち止まった。彼はまだ僕を視界にすら入れない。震える心を抑えながら、声を上げる。
「お、おはよう!」
「……………………何?」
不機嫌そうな低い声音だった。こちらを見返した彼は怪訝な顔をしていた。
「頑張るよ。いじめも止めてみせるから、今度こそ、ちゃんと守るから――」
「うん」
続きを掻き消すように彼が発した。
その言葉はどういう意味? もう聞きたくないってこと? そんな疑心暗鬼を打ち消して、僕は笑ってみせた。
「ありがとう」
いくらか待ってみても反応も何もない。
(このままここにいても読書の邪魔になるだけだよね)
そう思い、踵を返そうと彼に背を向けた。
「……おはよ」
背後からぶっきらぼうな声が聞こえて、僕はまた笑顔になる。ぱっと振り返って、今度こそは明るく爽やかな声で挨拶をする。
「鈴木くんおはよう!」
それから金曜日までの五日間、僕は彼に挨拶している。そうするだけで何が変わるというわけではないが、意思表示と願掛けを掛けていた。
最近グループの彼らは鈴木くんに構っている様子はない。いよいよ、彼へのいじめに飽きたのだろう。
……しかし、その考えは誤りだった。その証拠に、彼らは僕すら知らないところで彼を執拗にいじめ続けていたのだ。
そして翌週。テスト四日目のことだった。
僕はロッカーに翌日テスト科目の教科書類を置き忘れてしまっていた。それを取りに戻り、ついでにトイレを済ませようと一階のトイレに立ち寄った。
すると、そこで鈴木くんと彼ら三人がいるのを見てしまったのだ。
彼らが二人がかりで鈴木くんを押さえつけて、嫌がらせをしようとしているところだった。
鈴木くんは一人に腕を掴まれ、もう一人には足を押さえつけられている。そして、残った一人が目の前にしゃがみ込み、今にも手を掛けようとしていた。
それはまるでか弱い女子を強姦しようとしているようで……いやいや違うって!
不意にフワリとあの双葉の芽が頭に浮かぶ。気付くと僕は彼の下へ駆けだしていた。
「鈴木くん!」
ドアが突然開いたことに驚いた三人の手が止まり、隙ができた。
彼を救出しようと目を向けると、その目は朧気だった。
「さ、とう……?」
僕がここにいることに驚いたように目を見張る。無理もない、以前の僕なら正面突破なんて絶対できなかったことだ。
「おい、ショウタ。なにしてんだ、そこどけよ」
僕がぼけぼけしているうちに彼らの意識も僕に向いてしまった。向けられた目には明らかな怒気が籠もっていた。足が悴けてしまう。怖い、逃げ出したいけど。
千切れそうに痛む心臓を抑えつけて、僕は繊細な声を絞り出す。
「――て、――てよ」
「はぁあ? 今なんて言った。聞こえねえよ」
ダメだ。こんなんじゃ全然足りない。もう一度だ。
「…………この手を、離してって言ったの!」
意表を突いて、瞬間的に二人の手を彼の手足から手を引き剥がし、抱き上げた。
「さ、佐藤っ……!?!?」
誰よりも先に鈴木くんが反応を示した。お姫様だっこをされて恥ずかしいのだろうが、そんなことに構っていられない。
僕は彼を抱き抱えたまま男子トイレを飛び出していた。
「ん? んん??」
「ショウタ、てめぇえええええええええええ!!!!」
すぐ傍からは彼の困惑する声。遥か後方となったトイレからは、一人の怒声が耳に流れ込んでくる。
僕自身何がなんだか分かっていない。しかし、不思議と恐怖感は拭えていた。
彼らのいた方とは真逆の西階段まで彼を運び終え、僕は息を切らしながら薄気味悪い笑い声を漏らしていた。
「うふふふ……」
「どうして、こんなことしたの?」
面と向かって問われれば分からなかった。こんな反抗的な態度を見せたら、彼らのグループから除け者にされてしまうかもしれない。最悪、僕がいじめの標的になるかもしれないのに。
長い沈黙が続いた。
それを急かすように、背にある窓から初夏の生温い風が僕を煽った。
「僕にもさ、どうしてあんなをことしたのか解らないよ。でも、夢中だった。それにやって良かったよ。初めて、自分の意思で動けたことが誇らしいんだ」
「……それってさ、前に俺が言ったから?」
確かめるような疑り深い瞳をしていた。
「そうかもしれないね」
彼は目を見開いて、僕の顔を見る。それから肩を竦めて、目を逸らしてしまう。
「でも、君を庇いたいって、彼らのいじめを止めさせたいって思ったのは自分の意思に変わりないよ。それに、止めるって宣言したからね」
「……うん。ありがとう、佐藤」
「どういたしまして!」
初めて彼が名前を呼んでくれた、それだけで儲けものだと思ってしまった。
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