【第三種:勇気の種】
その名も「懐古キャンディ」
僕は、僕はっ…………どうしたらいいんだろう。
高二の夏。こんな素晴らしき青春期に数週間頭を悩ませていたのは、些細と言えば些細なこと。けれど、僕にとってはとんでもなく重大なことだった。
「由野さんが、あの人だったなんて……」
彼女は僕のアルバイト先の店長。普段は諸事情とやらで男装をしているが、中身はれっきとした女性だ。
僕はそんな彼女が見せるミステリアスさや時折見せる色っぽさ、それから儚さに惹かれ始めていた。いや――恋に落ちてしまっていたのだ。
正確な年齢は知らなかった。彼女が、「女性に年齢を聞くのは失礼だ」と言ったから。だけど、先日偶然知り得た情報で今年二十四歳を迎えるということを知った。
とは言え、それまでは彼女のプロフィールなんて何一つ知らなかったのに僕は彼女に好意を抱いていた。それは、「気付いたら好きになっていた」というテンプレートなもの。ただ、未成年が成人女性に恋をしたというそれだけのことだった。
実る確証なんてないし、そんなもの必要なかった。だって、僕が彼女を好きなだけだから。年齢差や世間体を理由に断られるだとか、そんなことさえどうでもいいくらいに盲目になって、心酔しきっていたからこそ、ショックだったのだ。
……由野さんに合わせる顔がないと思いながら。どんな顔してこれから会えばいいのだと思いながら。もう、彼女の前で笑える気がしない。
――そう心の中では荒くれ立っているのに、彼女の前では取り繕って。
明日もシフトが入っているというのに、気晴らしに出た散歩の足さえ進む気がしなかった。
覚束ない足下でふらふらと自宅付近をうろついていた。しばらくすると、何もないところで蹴り躓き、地面をぼぅっと眺めていた目が空を見上げさせられる。
これはまずい……咄嗟に目を瞑ったが、やって来たのは鈍い衝撃ではなかった。
「うぃやっ!? ……て、雨?」
目蓋に水滴が降りてきたのだ。
恐る恐る目を開けると、そこには快晴の空が広がっていた。どこにも雨雲なんて見つからない。
「狐の嫁入り、かな?」
晴れているのに、雨が降るときのことをそう呼ぶらしい。他にも呼び方はあるが、なんにせよこのときは不思議なことが起こるというのをお祖母ちゃんから聞いたことがある。不思議な現場なんて見たことはないけれど。
しかし、雨は困る。生憎、天気予報も見ずに出てきてしまったし、傘も持ち合わせていない。
それに、濡れ鼠になっても温かく甘やかしてくれるお姉さんはもういないのだ。
一雨降られても面倒だと思い直し、踵を返したそのときだった。
「――おや、お久しぶりでございますね。あのお店には、あのまま足を運ばれましたでしょうか?」
そこには飴色の髪を持ち、海の瞳を持つ見目麗しい美少年がいた。
(あの日、「stray sheep」へ導いてくれた人だ……!)
「あなたはあのときの……!」
「覚えていただき、光栄です。申し遅れましたが、私、飴売りの『飴 脳裏』と言います。以後、お見知りおきを」
片手を胸元に引き寄せて、深々とお辞儀をする姿は様になっていた。彼と会うのはこれが二度目だが、どう見ても外見は十歳ぐらいなのに、立ち居振る舞いは大人のそれだ。
(由野さんに負けず劣らず異彩を放つ人だなぁ)
「あ、いえ……どうも、こちらこそです」
慌ててこちらが礼を返すと、彼はニコリと子どもらしい笑みを浮かべた。人懐っこい笑顔だ。
「よろしければなんですが、お近づきの印に一つ、飴をプレゼントさせていただいてもいいでしょうか?」
「もちろんです!」
甘いものは得意ではないが、好意なら受け取っておきたい。
彼はありがとうございますと頭を下げると、手に提げていたかごのバスケットから一つ飴を取り出した。
「こちらをあなたに差し上げます!」
「これは……」
誰もが一度は目にしたことがある白とピンクのうずまきキャンディーだった。イラストなんかで描かれるときと同様に、ちゃんと棒も付いてある。オーソドックスすぎる飴だ。
「い、いただきます……」
こういうのはあとで食べるより、目の前で食べた方が相手に対して真摯だろうと思った。
包装を解き、舌を滑らせると、想像よりも遥かにまろやかな甘さが口の中に広がった。
(思ったより美味しい……)
僕のそんな感情が顔に出ていたのか、彼は満足げに説明を始める。
「こちらはですね……名を、『懐古キャンディ』と申します。この渦のように巻かれた飴が、あなたを過去の記憶へと誘い、そしてその思いを再燃させることでしょう」
彼がそう言い終えたのと同時に、辺りが真っ白い光で包まれ、次第に何も見えなくなっていく。世界から隔離されて、僕だけの殻に閉じ込められたような感覚の中、彼のその声だけが耳に残った。
「――またのご利用、心よりお待ちしております。佐藤昇汰、様」
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