ストーカーの真相解明(3)


 上がらせてもらった部屋は、人が住んでいるとは思えないほど臭いを感じなかった。

 お家展示場か何かで飾られているモデルルームをそのまま移転してきただけ。非生活空間。見目だけはいいけれど、中身の伴わない器だけの家。そんな印象を受けた。


 だって、何もなかったのだ。娯楽や趣味と思しきものが欠如している。ゲーム・小説・漫画・カメラ・釣り道具……そういったものが一切存在しないのだ。

 ただ生きていくだけなら差し支えない程度に家具が配置されていて、異様にものが少ない。

 いくら潔癖な人でも、好きなものの片鱗くらい残っているだろう。それもなかった。



 もしかしたら、そういったものは全て寝室に仕舞ってあるのかもしれない。そうだとしても、こんな家に一年近くも住み続けてきた彼の神経が分からなかった。はっきり言って気持ち悪い。

 前に線香を上げさせてもらったときはこうじゃなかった。もっと、人の匂いがしたのに。



「――コーヒーと紅茶、どっちがいいですか?」



 いつから話しかけられていたのだろう。彼の顔には苛立ちが現れていた。だけども僕は他のことにギョッとしてしまった。彼は二十代には見えないくらいに頬も痩け、目も落ち窪んでいて、まるで廃人のようだったから。



「必要ないよ。あなたも私たちも、彼女も、とっとと事を終わらせてしまいたいと思っているだろうからね」



 由野さんの歯に衣着せぬ物言いに渋面を浮かべる彼だったが、いがみ合っていても仕方ないと諦めたのか、浅いため息を吐いた。


 それを肯定と受け取った由野さんは胸元から水色の小瓶を取り出し、それを胸に当てた。

 小瓶の中ではビー玉のようにまあるい種「心の種」が自分の出番を待ち望んでいた。



「――では、深山さゆりの死を紐解こうじゃないか。彼女の死から順を追って話すのもいいが、ここは佐藤の視点から物語を語らせてもらうとしよう」



 由野さんの一挙一動に、彼女以外の視線が集中した。



「まず、佐藤は彼女の死をクレープ屋の店長から聞いたという。だが、たかが客の一人にそんなことを教えると思えなかった私は彼女に尋ねてみた。するとね、深山さゆり自身が彼に渡したいものがあると語っていたそうだ。だから伝えるべきだと判断したとのことらしい」



 ここまでは僕も見聞きしてきた話だ。比較的心は落ち着いていると言えよう。アキラさんも腕組みしながら壁に寄り掛かっているが、まだ冷静さを欠いていない。欠いているのは……。



「……そんなことより、さゆりの死について教えてくれるんでしょう。なんなんですか、早くしてくださいよ。彼女は一体何が原因で自殺なんてしたんですか!」



 亡骸のようだった彼の目には血が行き渡り、声は生命力に溢れていた。けれども、それは誰かに憎悪を向けることによって吹き込まれた仮初めの魂のようだった。



「そう慌てるな――ではここで視点人物の切り替えだ。

あなたは家にやってきた佐藤を見て、驚いたはずだ。彼女からそんな存在を聞かされてはいなかっただろうからね。しかしその少年は彼女の勤め先から訃報を聞かされ、住所まで教えてもらったという。普通ならばストーカーの類いだと疑うだろう。しかしあなたの元には少年が嘘を吐いていないという証拠があった。   

 ――見せていただけるかな、佐藤宛のレシピを」



 彼は黙ってリビングを出て行くと、そのすぐ隣の部屋に入っていった。そして二分と経たずに戻ってきて、僕にノートを押し付けてきた。見た目は空色のただのリングノートだが……。



「見れば分かるさ」



 彼女がそう言うので、ノートを開いてみることにした。  


 そのノートには、お姉さんが試行錯誤した跡が残されていた。甘い物が苦手なのに、わざわざ甘いクレープを買っていく僕のため、研究しているとあった。

 何ヶ月もかかって綴られたからか、途中からは日記のようになっていた。彼が渡したがらなかったのも分かる気がする。


 そうして読み進めていくと、最後にはミントクレープのレシピが記されていた。

 結果分かったのは、本当に僕はお姉さんが好きだったということ。そして――、



「……っぱり、やっぱりそうなのか!? さゆりはこいつのこと……」



 突然背後で崩れ落ち、床をゴスゴスと叩きつける田所さんに驚いていると、由野さんが上から見下ろすように呟いた。



「やはり、そうだったか」



 彼がいきり立つのは想定内だったとでも言わんばかりに、彼女はため息を吐いていた。



「あなたは佐藤宛のレシピを見て、嫉妬したのだろう?

 ――自分への遺書よりも文字量が多いことに。自分には言葉しか遺してくれなかったのに。そして独占欲と劣等感から、ノートを隠した」


「それがどうしたんです?? 俺がやったのはノートを隠したことだけだ。殺しちゃいない」



 飄々とそんなことを言ってのける彼に寒気を覚えた。


 それが遺された人たちにとってどんな苦しみを与える大罪であるかも分からないのか、この人は。

 冷たかった何かが急速に昂ぶっていくのを覚えた。



「せっかく専業主婦にしてやるって、幸せにしてやるって言ったのに…………っぶぉぅ!?」



 それはまさに風を切るようだった。僕が抱いた憎悪が握り拳になる前に、傍に居たアキラさんの回し蹴りが彼の顔面に炸裂していたのだ。


 バランスを崩され、彼の身体は頭から地面に落下していく。このままでは頸椎を骨折して、最悪死に至るかもしれない。だが、その心配は杞憂に終わる。

 由野さんがアキラさんの無駄にでかいリュックをクッション代わりにして、頭部は損傷を免れた。代わりに、臀部が衝撃を受けていたけれど。



「……確かにあなたは殺していない。けれど、佐藤以外にもう一人の心を深山さゆりの亡霊に縛り付けた。彼女だ」



 由野さんは毅然とした態度でアキラさんを指差した。そして呆けている僕からノートを奪い取ると、彼女にそれを握らせた。



「このノートのどこかに、あなたが本当に欲していた答えがあるはずだ。探してみるといい」



 アキラさんはそれをしっかり受け取ると、目を皿のようにしてノートを読み始めた。

 ほどなくして、彼女はピタリと手を止める。それから涙が頬を伝ったかと思うと、彼女は袖を絞っていた。



「ずっと、ずっと……このことばかりが気になっていたんだよ。オレのせいだったんじゃないかって、オレが変なことを言わなければあの子は死ななかったかもしれないのに……って」



 僕はしゃくり泣きながらそう語った彼女の手元を盗み見た。


 そこには、こう書かれてあった。



【突然のことで、彼女を傷付けてしまった。もっと他に言うべき言葉はあったはずなのに……今度会ったら謝ろう。それからちゃんと伝えよう。私はあなたのことを嫌ってないよって】



 これって……僕が何か言うよりも先に由野さんが彼女に語り掛けていた。



「アキラさん。あなたは彼女に何をしたのでしょう?」



 泣いていた彼女だったが、嗚咽を漏らしながらもその問いには答えてくれた。



「…………す、ぎだって、つたえた。告白……っを、したんだ!」



 お姉さんはアキラさんを同性の友人として見ていた。そして、彼女もそのことには気付いていた。だからこそ、自殺したと知ってひどく後悔しただろう。自分が告白なんてしなければと。


 告白はどんなものでも美しいわけではない。有り難いものだけではない。時にその好意が、相手を苦しめることだってある。

 彼女は、自分の告白をそうだと思ってしまったから、ここにいる。


 田所さんの傲慢は、何の罪にもならないかもしれない。そうだとしても、傷付く必要のない人を不当に死に縛り付けたその過ちは重い。



「お答えいただき、ありがとうございます。では、深山さゆりが自殺を選んだ理由をお教えしましょう」



 由野さんはアキラさんの肩にそっと手を置くと、おもむろに立ち上がり、大きく息を吸い込んだ。



「彼女は、当たり前の幸福が辛かったんです」

 ――当たり前の幸福?


 一同は揃って目を丸くする。真っ先に声を上げたのは彼だった。



「……どういうことです」


「彼女はね、怖かったんだよ。幸せでいることが怖かったんだ」


「そ、そんなの、おかしい……人は幸せになるために生きてるんだろ?」



 そうでなければ困ると、彼は縋るような視線を由野さんに送った。しかし、彼女はそれを拒むように先を続ける。



「幸せにはそれ相応の責任と不幸が付き纏う。


『こんなに恵まれているのに、そんな不幸面するな』

『お前は幸せ者だ』

 ……幸福者の宿命だよ。幸せであり続けるにはその分だけ不幸が伴うというのに、その辺りを理解していない者が彼女に『幸せであること』を強要したんだろうね」



 彼は目をかっ開きながら、床に崩れ落ちた。頭を抱えて、何かうわごとをぼやきながらガタガタと震えている。


 思い当たる節でもあったのかもしれない。だけど、本当にそうだとしても、大切な婚約者を失った遺族に変わりはないのだ。せめて、この震えだけはそうであると信じたい。どれだけろくでもない人だったとしても、彼はお姉さんが愛した人だから。



「……あの、田所さん。お姉さんは――さゆりさんは、田所さんを恨んではいなかったんだと思います。彼女は生前よく言っていました。

『貴志さんは私にはもったいない人なのよ』

 って。恨んでいるなら、あんな遺言を遺したりしないでしょう。それから僕へのレシピにしたって……恨んでいる人に託したりしないはずです。あなたを信用しているからこそ、店長さんに預けるでもなく、そのままにしておいたんじゃないですか?」


「佐藤は甘いな」



 全くと言わんばかりに彼女は微苦笑すると、僕を置き去りにして部屋を出て行ってしまった。



「あぁ、さゆり。さゆり、どうして……俺と幸せになってくれるんじゃなかったのか?」



 お姉さんの死に取り憑かれたように妄言を零す彼はあまりに悲愴で、孤独だった。

 まるで今を生きる気がない。誰もいない空間で、朽ち果てた花にいつまでも愛情を注ぎ続けるように、虚しかった。


 だけど声は掛けられない。たとえ掛けたとしても、今を見ていない彼には意味のないことだと思ったのだ。



「彼女があなたに遺したものがもう一つあるぞ。これだ」


 彼は真下に向けていた首を恐る恐る上げた。

 由野さんが手にしていたのは玄関先にあった何かの鉢植えだった。さっきは気付かなかったけれど、よく見るとまだ枯れきっていない葉が一枚だけ残っている。



「ミントの鉢植えだ。佐藤宛のレシピの中にミントの葉は記されていなかった。だとするなら、あなたしかいないと思ってな。知っているか? ミントはミントティーとして飲むことができるんだ。それにはね、健胃作用や心身のリラックス、安眠効果などがあるとされている。あなたはかなり嫉妬深いきらいがあるようだし、結婚前ともなれば無理をしてでも婚約者にいいところを見せたのだろう。そんなあなたを見て、彼女は心を痛めたのかもしれない」



 説明を受けた彼は、葉っぱが一枚だけになったミントの鉢植えを大事そうに抱え込み、床にへたり込んだ。



「もし、あなたがその鉢植えを再生させたいというのなら手を貸そう。これをその鉢植えに埋めて、水をやるといい。ミントはあなたの心とともに再生するだろう」



 そう諭して、彼女が田所さんに手渡していたのは十円玉サイズの小瓶だった。


 その後。落ち着いた彼から謝罪とともにレシピノートが譲渡された。

 波乱続きだったお姉さんの死の真相解明会(?)はお開きとなり、田所さんを残して僕らは帰路に就いた。

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