クレープとタピオカ

 


 あれから一時間は経っただろうか。


 初めは美味しくてごくごくもぐもぐ進んでいたタピオカドリンクも、今やぬるい集合体飲料だ。それに、時間をかけて飲み続けたカフェオレは口の中で酸っぱく感じる。


 日もじわじわと落ちてきた。却ってその距離が近くなった分だけ、西日が暑い。 


 そろそろ人も捌けてきたことだしと、僕らはキッチンカーの傍にあるベンチに腰を下ろした。 


 付近には出来立てのクレープを片手に、立ち食いを始める女子高生の姿がある。行儀はあまりよくないが、座る場所がないのだし仕方ないのだろう。それに、駅までの帰り道がてら食べるつもりだったのかもしれない。

 最後の一グループとなり、やっとかと思った頃、彼女たちの悲鳴が耳に入ってきた。



「え~また新作出ないの~~!!」


「マジ萎えるんだけど……」


「てか、ここ一年くらいずっとじゃない?」



 少し気になるやりとりだったので耳を澄ませてみる。



「ごめんねぇ……あの子でないと、新作は考えられなくって……」


「え~~じゃあ、いつ戻ってくんの、みーちゃんはさーー」



 みーちゃん。名前から察するに、深山さん(お姉さん)のことだろう。口振りからして、彼女たちはお姉さんの死を知らないのかもしれない。いや、知らされていないと言うべきか。



「それは……あたしにも分からないわ。あの子が決めたことだから…………」



 節々の言葉を濁す三好さんの姿は、とても痛ましかった。彼女は、女子高生たちを傷付けまいと誤魔化し続けてきたのだろう。それに本当のことを言ったら、もう店には来ないはずだ。



「えぇ~~……まぁ、しょうがないか。気長に待つしかないねん」


「それな。でも、早く食べたいんだけど……みーちゃんの新作クレープ」


「んねー? あれとかめっちゃ美味しかったじゃん! トマトとますかるぽーねとかいう甘いチーズとホワイトチョコのクレープ!!」



 彼女たちは口々に文句(?)を言いながらも、一人ずつクレープを注文して帰っていった。



「深山氏というのは、クレープを作るのが上手かったようだな。もっとも、好評だったのはメニューの方だったかもしれないが」


「そうですね……僕は知りませんでしたが、お姉さんの作るクレープは、他の人にとっても特別だったんですね」



 それなのにどうして自殺なんて……その言葉を口にするのは今じゃないと気を引き締め直したときだった。



「待たせたね、ショータくんとええと……」


「由野と言います。この近くで飲食店を営んでおります」


「……そう。由野さん、クレープは何を注文してくださるのかしらね」



 僕はオムレツをレタスで包んだオムサラダを、由野さんはアイスクリームともちと苺が味わえるアイスもち苺を注文した。


 僕らの分のクレープ生地はあらかじめ焼いてあったのか、それから十分と経たずにクレープが提供された。



「それじゃあ、お話しするとしましょうかね」



 三好さんは僕らの腰掛けるベンチの前に折りたたみ椅子を自立させ、そこに腰を下ろした。


 手に握るカップの飲み物は、ミルクティーではなくブラックのアイスコーヒーだった。

 そこには甘さも辛さもなく。この場に、あの香辛料の香りは漂わない。



  ****




「聞きたいことというのは、深山さゆりのことなんです」



 先陣切ってくれたのは由野さんだった。



「だと思ったわ。そうでなくちゃ、わざわざ一年も前に亡くなったあの子の話なんてするはずがないでしょうし、知らないでしょうからね」



 そうだ、さっきのあの人たちだってお姉さんの死を知らなかったのだ。それだけ彼女の死は秘匿されてきたのか、それとも……。



「話が早くて助かります。では早速お尋ねしますが、深山氏が彼のことをどう思っていたかご存知ですか?」



 この人はなんてことを……後ろ手に由野さんを小突いたが、彼女はビクともしない。それどころか、殴られたことをおくびにも出さなかった。



「そうねぇ……さっきも話した通り、ショータくんがさゆりちゃんのいる日を狙って通っていたのは知ってるけど、あの子はどう思ってたんでしょうね。あまり、そういうことは話さない子だったから」



 物憂げに語る三好さんになんと言葉をかけていいか分からず、クレープを貪った。すると、


「あ、でもね?」


 僕が手に持つクレープを指して、続けた。



「あの子、

『ショータくんは甘いものが苦手だから、あの子でも食べられるクレープを作ってあげたい』 

 ってそう言っていたわ。どう思ってたかとか、そんなことを口に出したことは一度もないけれど、あの子が誰かのことをあんな楽しそうに話してるのは初めてだった」



 だから、少なくともショータくんはあの子にとって、特別だったんじゃないかしら。

 そんな風に言われているような気がして、胸が熱くなった。



 周りから見て、そう思われているなら一方通行の好意じゃなかったと思えるから。

 だが、感傷にばかり浸ってもいられない。僕に脅迫めいた手紙をよこしてきた犯人は、明確なタイムリミットを抱いて、僕にあんなものをよこしてきているはずだ。一刻も早く真相に辿り着かなくてはならない。



(あれ、でも……おかしくないか?)



「三好さん、一ついいですか?」


「何かしらショータくん」



 これまで聞き手に徹していた僕が急に発言したことに驚いたらしく、彼女は目を丸くしていたが、今はそんなことどうでもいい。



「楽しそうに話してるのは、僕の話が初めてだったなら……元婚約者の田所さんはどうなんですか? 彼の話はしてなかったんですか?」



 三好さんは目をギョッとさせると、たちまち顔色を翳らせた。



「そうねえ……もちろん、婚約者の田所さんって人の話もしてたわよ? うーん、違うわね。あたしが聞いたら、返してくれるって感じで……それも、苦笑いとか、あんまり楽しくなさそうな顔で『普通ですよ』って答えるだけだったのよ。こんなこと言うのもなんだけど……」



 言葉を濁しつつも、彼との仲はあまり良くなかったみたいだと教えてくれた。


 それというのも、休憩中にお姉さんが電話で一方的に怒鳴られているのを聞き、心配した三好さんが大丈夫かと声を掛けると、彼氏と喧嘩しちゃっただけですからと返ってきたというやりとりが二、三度あったらしい。


 他にも、お姉さんがキッチンカーにスマホを置き忘れていったときに偶然見てしまったSNSのやりとりに、



『いつまでフラフラした生活を送っているつもりだ?』


『バイトなんて誰でも代わりがきくんだから、いつでもやめればいいだろう』


『家庭に入ってくれたら、君の生活も楽になるだろう?』



 など、当時の彼女の生き方を否定するような文章が連ねられていたという。



「褒められた性格ではありませんね。女性をなんだと思っているのか」



 そう零した由野さんの拳は怒りで震えていた。同じ女性として、そんな詭弁めいた暴言を吐いた彼を許せなかったのだろう。



「ホントそうよね! でも、その彼、それだけじゃなくって……」



 三好さんの話によると、こうだ。


 彼はお姉さんの婚約者として三好さんの前に現れ、


『お願いだから、彼女を……さゆりを辞めさせてください』


 公衆の面前でそう言い放った。


 営業妨害も甚だしいし、第一本人の承諾なしに辞めさせたりはできないと返答すると、


『何を言ってるんです? 彼女は僕の婚約者なんだ。婚約者である僕が彼女の生き方を決めるのは当然のことだ』



 と言ってのけたらしい。

 話にならない、営業妨害として警察に通報すると言うとようやく退散したとのことだった。



「…………え? 頭でも湧いてるんでしょうかね、その人は」


「ええ、あたしもそう思ったわ。こんな人に、大事なさゆりちゃんはあげられないって……まあそれでも、本人が一緒になることを望むなら、止めたりはできないんだけどね」



 切なげにそう語る彼女も、本気でお姉さんのことを大事に思っていたのだろう。そうでなければ、営業の手を止めてまで、一般人の僕たちにこんな話をしてくれるはずがない。



「あぁ、そうだ。元婚約者の話で思い出したんですが……どうしてこの子に、元婚約者と深山氏の住所を教えたりしたんですか?」


「それはね……あの子が、『ショータくんに渡したいものがあるんです』って亡くなる少し前に話していたの。それにショータくんはさゆりちゃんにすごく懐いていたから、きっとそれが必要になるだろうと思って」



 でも、その様子じゃ……と彼女は僕を見て、痛ましそうな顔をした。


 今こうして僕が彼女の死を尋ねているのが、ソレを受け取れていない何よりの証拠だから。



「私たちがあなたにお話しを伺っているのはまさしくそれなんです。ある人物から、そういうものがあるということを知らされまして……」



 そのソースがストーカーだということはとても言えまい。



「そうだったのね……他に、聞きたいことはあるかしら?」


「では……彼女が亡くなる直前、変わったことはありませんでしたか?」



 由野さんの歯に衣着せぬ物言いに三好さんは一瞬顔を顰めた。けれども、協力すると決めたのだろう。渋い表情のまま、彼女は答えてくれた。



「そうね、特に変わったことはなかったと思うわよ。いつも通りだったわ」


「分かりました。では最後に」



 その一言で三好さんの目元が和らいだような気がした。



「彼女と親しい友人に心当たりはありませんか?」


「んーそうねぇ……あの子、あんまり友達と遊ぶって感じの子じゃなかったし……」



 やっぱりそうなのかと肩を落としかけたときだった。



「あ! でもね、二、三度くらい同級生だったって子が遊びに来てくれたのよ。その

ときはあの子、驚いてたみたいだったけど、再会を心から喜んでる素振りだったわ……」



 ここに来て初めての情報に、居ても立ってもいられなくなった。



「どんな話をしていたか、覚えていますか?」


「あら、ショータくん……んーとそうね、確か…………同級生の子が漫画家になったとか、あのとき応援してくれたから今があるんだとか、そんな感じだったかしら。とにかく、同級生の子は、さゆりちゃんのことを慕ってるみたいだったわ」


「他に気になったことはありますか!?」



 食い気味に質問を重ねる僕と若干の距離を取りつつ、彼女は続けてくれた。



「ええとそう……最後に二人が会ってるのを見たとき、同級生の子は何か話したあと、走って帰っちゃったのよ。すごく、苦しそうで、今にも泣きそうな顔をしてたわ……でも、あたしに気付いたあの子はいつも通りに振る舞ってた。だけど、やっぱり無理してたんでしょうね、隠れて泣いてたわ」



 何があったのかまでは、さすがの彼女も追及できなかったのだという。


 無理もない。いつも笑顔でいる彼女が泣いていたら、僕だって何も言えなかった。

 最後の質問を終えた僕らは、三好さんにお礼を言ってからその場を去ることにした。



 その間際、


「ショータくん」


 彼女に呼び掛けられた。



 振り向くとそこには、在りし日のお姉さんと同じような笑顔を浮かべた三好さんがいた。



「あの子は……さゆりちゃんはもういないけど、またうちに来てくれる?」



 落ちる日に照らされた彼女の顔の中央がキラリと輝く。


「もちろんです」


 これから判明するだろう答えを想像して、口元が震えながらも、僕は精一杯の笑みで応えた。

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