【第二種:幸せの種】
今さらでも、忘れてしまえないから
もしもあのとき、彼女に出逢っていなければ悲劇は生まれなかったのだろうか?
――いや、それでもきっと結末は変わらなかったのだろう。あの悲惨で、パラドックスに塗れたエンディングは。
もしもあのとき、「あの話」を持ちかけなければ、彼女が身を窶すほどの不幸には苦しめられなかったかもしれない。
――いや、あれがなかったとしても、彼女が苦しんでいたことに変わりない。遅かれ早かれ、彼女は二者択一を迫られていた。それでも話を持ちかけたことが悪手だったことに変わりない。彼女をより苦しめたのは他でもない自分なのだから。
もしもあのとき、引き留めていれば彼女の未来はまだ続いていた?
――こんなことを考えたって、取り戻せやしないのに。つくづく人間という生き物は後悔することが好きな生き物だ。そのときに気付けず、後になって「ああしていれば……」と過去を苛み、己を呪う。つくづく愚かしいと思う。
けれどもっと愚かしいのは、一人に嫌われたくないがために後悔する自分だ。
自分にそんなことを願う権利などあるはずがないのに。全くもって馬鹿げている。
いつまで幻想の幸福に浮かれている? お前は再認識するべきだ。お前はただの、
――人殺しだということを。
****
それは僕と由野さんが出逢って二度目の梅雨の日のこと。
雨は例年よりも激しく鬱陶しく降り続いていた。ニュースでは台風が接近中なのだとか。長雨のせいで空気がじっとりと重くて怠いのに勘弁してほしい。
ただでさえ、不眠続きだっていうのに……。
殴りつけるような豪雨のせいでお客さんは一人もいない。本当にこの店、潰れないのかと脳裏に浮かんだが、もうそんなことどうでもいい、や……zzzz。
「――堂々とサボるな」
「ふぁっ!!?」
何が何だか分からなかったが、由野さんの手には注文を取るためのハンディが握られていた。遅れて後頭部がズキズキと痛み始めてきた。どうやらアレで殴られたらしい。容赦ないなぁ。 だが、バイト中に居眠りした僕が悪いのは事実だ。
「すみません……」
「以後気を付けるように!」
子どもを叱りつけるような口調に、肩が縮こまった。彼女は怒ってしまったのか、店の奥へと消えていった。
「はぁ…………どうしよ。ダメだよな、僕」
眠いなんてのは言い訳にしかならない。賃金をもらう以上はきっちりしないといけないのに。
(でも、眠い……)
彼女に殴られてもなお、眠気は治まることを知らない。揺らぐ視界の中、のろのろと顔を上げると、眼前にグラスが突き付けられていた。透き通るような黄色い液体の上に葉っぱが浮かんでいる。
「え……??」
さらに顔を上へ向けると、そこには仏頂面の由野さんが立っていた。
「これでも飲んで、一度頭をしゃっきりさせろ」
「は、はい……」
言われるままにそれを受け取り、ひと思いに飲み干した。
直後。爽快な香りが鼻孔を突き抜け、口の中に清涼感と僅かな苦みを残した。
「うぇっ……変な味ぃ。なんですか、このまずいの……」
「ミントティーだ。寝惚けた頭をすっきりさせるにはこれだと思ってな」
それならコーヒーとかでも良かったのでは? と思いかけたが、ブラックコーヒーだったら飲めない。それに、目覚ましの一発としては効果十分だったようで、あれだけ眠かったのが嘘みたいに頭が冴えてきた。
「ご迷惑お掛けします……」
再度頭を下げる。が、彼女はまだ不満が残っているらしく、仁王立ちで僕を睨め付けてきた。
「ハンッ。本当にな。全く……客もいなくて暇だから、新作メニュー考案をしようと提案したのに、君は『はい』『そうですね』ばかりで、私の出したメニュー案に対してマトモに意見しなかった」
「え! 新作メニューの考案……? そんな話してましたっけ??」
間の抜けた返答をする僕に、彼女は目も当てられないと言わんばかりに右手で顔を覆った。これは重症だな……という呟きとため息まで聞こえてくる始末だ。
「…………おい、佐藤。君はまた何か、悩み事を抱えているんじゃないのか? それが原因で不眠になって居眠りこけたなら、責めたりはしない。だがな、そんなことになるまでに相談くらいしろ。これでも私は人より多くの悩みを聴いてきた人間だからな、気を楽にしてやることぐらいはできるぞ」
どうしてあなたはこういつも勘がいいのだろう。
悩みに気付いて、手まで差し伸べてくれるのはあなただけです……。
「君のその悩みとやら、話してくれるか?」
「はい」
僕は由野さんに打ち明けることにした。
不可解な謎を残した事件と、今抱えているトラブル、思いについて。
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