桜は生と死


 桜の散り際にその朗報は舞い込んできた。



「私たち、結婚したんです」



 聞き慣れた声の女性はそう語り、隣の男性と共に由野さんと歓談している。


 今日、四月十七日は一条さんの誕生日だ。その件でのデートかと思いきや、それだけではなかったようだ。



「ついさきほど婚姻届を提出してきまして、この度夫婦になりました」



 今度は氷川さんが由野さんにそう話す。余程報せたくてたまらなかったんだろう。


 彼らは昨年の七月頃にこの店を訪れ、その縁で同年交際がスタートした。以来、二人はこの店を気に入り、よく足を運んでくれる常連客だ。


 彼はまだ話したいことがあるようで、そわそわしている。



「あのー八月に式を挙げようと思っているのですが、お二人で式に来てもらえませんか?」



 関係ないと思っていたところに急に白羽の矢が立ち、素っ頓狂な声を上げてしまう。



「え、僕もですか!?」


「はい、お二人には大変お世話になったので是非、式にお呼びしたいと思ったのですが、無理、ですか……?」





 ――結局、僕らは挙式に参列することにした。日付は八月三日。氷川さんの誕生日だった。


 そういう衣装を持ち合わせていなかった僕は、由野さんのお父さんが着ていたというスーツを借りて式に出席した。



 純白のウェディングドレスを纏った一条……ではなく灯さんは、ビスクドールみたいに綺麗だった。同様に、清潔感溢れる白いタキシードを着こなす透さんも様になっていた。


 食事は高級感漂うもので、食指は動いたがやっぱり遠慮してしまう。祝儀を払っていないのだから。僕はまだ学生だからいいと言われたが、手ぶらなのも心苦しいので有名店の出汁の詰め合わせを持参した。祝儀の代わりになるとは思えないが、せめてもの気持ちだ。



 花嫁によるブーケトスタイムになった。


 こういうのは新郎新婦の友人(主に女性)に譲るべきだと思い、後方から由野さんと二人で遠巻きに見ることにした。

 ところが、新婦のブーケトスは勢い余って前方の女性集団を飛び越え、僕らの方までやってきた。そして、手を伸ばすまでもなく、ブーケは意思があるかのように由野さんの腕の中に飛び込んだのだった。



「あ」



 会場一同の視線を集めた瞬間だった。




 帰り際。二人に祝福の言葉をかけ、受付で渡せなかった贈り物を手渡した。

 大した金額のものではなかったけれど、それを受け取った二人は大層喜んでくれた。


「出汁は二人を繋ぐきっかけだったから」と。



 帰り道、由野さんは祝福のブーケを抱えながら、複雑な表情をしていた。


「どうしたんですか、由野さん。ブーケトス取れたのに、嬉しくないんですか? 幸せの兆しですよ?」


「いや、そんなことはないが……私なんかが、幸せになってもいいのかと思ってな」



 ニカッと白い歯を見せて笑う彼女だったけれど、上手く笑えていない。無理に斜上を見上げた視線の先も、どこか虚しい。



「由野さんは色んな人を救っているのに、どうして幸せになっちゃいけないんですか」


「私はね、自分の行いを善行だと思っているわけではないんだよ。あくまでエゴだと自覚してやっていることなんだ。決して他人のためなんかじゃない、自分のためだ。そこをわきまえないと、全ては狂ってしまうんだよ、全て、ね」



 ククッと高笑い気味に声を引き攣らせる。彼女のそれはひどく演技じみていた。



「つまりそれは、由野さんがしたいようにしている、ということですか?」



 僕の問いに彼女は首を左右に振った。



「いや、そうではないんだよ。私の場合は、エゴだが、やりたいことをやっているというのとも違っていてね。あくまで罪滅ぼしのためにやっているのだから――」



 矛盾しているかもしれないがね。と呟くように嘆いていた。沈黙が続くのかと思った。


 けれども、本来の質問を思い出したかのように彼女は、僕に視線を向けた。



「あぁ、どうしてか、だったね。それはね、間接的だが、私は人を殺めてしまったことがあるからだよ」



 四肢から順に血の気が引いていくのが分かった。次第に僕の脳は畏怖に支配されて、声を発することさえできなくなった。


 嘘ですよね、冗談だって言ってくださいよ。


 僕の心の声を辿り、止めを刺すように彼女はなおも続ける。



「冗談じゃないよ」



 押し止めていた理性が決壊して、涙が流れ出した。頬を伝い、首筋を伝い、地面へと向かう涙を掬う手は行方知れず。



 ――どうして慰めてくれないんですか。せめて、涙を掬ってくれませんか。


 そのとき僕は初めて、彼女と僕の間にある壁を感じた。

 これが恋という感情で、でもそれは叶わない、叶ってはいけないものだということも……。

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