ふたつの逢瀬

 

 十月二十二日。

 今日は氷川さんとそのお相手との初デートDAY! 昼の部を早めに切り上げて準備を始めて、やれるだけのことはやりきったつもりだ。


 彼らが店にやってきたのは、午後七時のちょうど十分前だった。



「お待ちしておりました。氷川透様、一条灯様」



 恭しいお辞儀で二人を出迎える由野さんを尻目に、二人は驚嘆の音を漏らしていた。



「え、うそ……貸し、切り?」


「え、えっ、ええっっ!!?」



 予約した張本人である氷川さんは縋るような目で由野さんの方を見た。それはそうだろう、ただディナーコースを予約しただけのはずが、来てみれば貸し切り状態なのだから。



「お気になさらず。こちらの都合上で貸し切りにさせていただいただけですので、別途費用を請求させていただくことはありません。安心してひとときのディナーをお楽しみください」



 諭すような彼女の口振りにホッと胸を撫で下ろす二人。


 だが、僕は知っている……彼女が「今後のコース予約や貸し切りの参考にする」と言っていたのを。つまりは実験台だ。


 ただまぁそうは言っても、今日のこの日のために色々研究してきたのは、二人の初デートを最高のものにするためなのだろう。



 証明はイノセントオレンジで、最低限まで照明の数を減らしてある。ロマンチックな雰囲気を演出するためとのことらしいが……おこちゃまの僕にはさっぱりだ。


 色気もへったくれもない僕の思考は他所に、彼らは初々しい雰囲気を作り上げながら、おもむろに席に着く。その所作はどれもがぎこちなく、もどかしい。


 彼らの緊張を解すように、由野さんが声を掛ける。僕にとっては合図だ。



「それでは、順に料理をお運びしてもよろしいでしょうか?」



 緊張のせいか、言葉もなく頷く彼。


 僕はその仕草を皮切りに、厨房から踏み出した。

 この料理の数々を目にすれば、きっと語らずにはいられなくなるだろう。

 思った通り、彼らはテーブルに置かれた料理を見るなり、言葉を交わし始めた。緊張した面持ちで互いを気にしながら恐る恐る料理を口にする。瞬間、花が咲いたような笑顔が生まれた。   


 最後の料理になり、僕は強張りながらもそれを席へと運んだ。



「お待たせ致しました……食後のスイーツ、苺と白桃のタルトでございます。ごゆっくり、お召し上がりください」



 二人はその皿を凝視すると、何かを察したらしく、互いを指差し合っていた。頷きに頷きが返されると、互いの顔を見合わせて噴き出したのだった。


 僕も将来は、こんな風に誰かを笑顔にさせる仕事がしたいな、なんて。

 同じく隣で二人を見守る由野さんに耳を寄せた。



「よかったですね、思惑通り喜んでもらえて」



 彼女は距離の近さに顔を顰めかけたが、すぐさま視線を二人へと戻し、フッと笑みを零した。



「……あぁ、本当にな」



 デザートに苺と白桃を選んだのは、二人の種から実った果物がそれだったからだ。果物自体は代用品だが、それでも想い合う二人を祝福するにはいい案だと思う。


 しばらく二人の幸せな空気をお裾分けさせてもらっていると、不意に二人の身体から蛍くらいの淡い光が生じた。それはふわふわと宙をさまよって、由野さんの手元に着地する。



「不思議なこともあるものだな」



 伏し目がちにぼそりと呟いて。彼女はどこからともなくあの小瓶を取り出し、蛍火のようなそれを詰め込んだ。そして、小瓶を光に透かしては愛おしそうに、けれど切なげに眺めていた。



 ディナーも終わり、二人を店先まで見送ってから僕と由野さんで後片付けに取りかかった。それが終わったのは、午後十時少し前だった。


 荷物を取りに更衣室へ向かおうとすると、後ろから肩を掴まれた。




「――――そうそう。君には、指示に逆らってバイトを抜けた罰がまだだったな……」



(あ。すっっかり忘れていたけど、一条さんに発破をかけるために途中でバイト放り出したんだっけ。言われてみればあれから何も懲罰っぽいことはなかったけど今さら?)



「ごご、ごめんなさい……あのときはああするしか思いつかなくて――」



 減給? それとも、素手でのトイレ掃除? 未知の罰則に怯える僕に下されたのは……、



「え。今、ぽんって……」



 噂の頭ぽんぽんだった。想定外の事態に脳の処理が追いつかない。今でさえ大混乱中なのに、彼女は僕にさらなる追い打ちをかけた。



「このあと時間は空いているな? 今から私と二人きりで花火をするぞ。それが君への罰だ」


「え、えっ! なんで、どうして……」




『由野さん、一緒に花火を観に行きませんか?』




 僕がそう言ったのを覚えてくれていたのかな。もう何ヶ月も前のことなのに、



「由野さん……もう秋ですよ? 季節外れじゃありませんか?」


「うるさい、べ、別に構わないだろ。それに罰なんだから文句を言うな!」



 こういうのは形から入るべきだという彼女の教えで、二人して浴衣に着替えた。

 彼女の女装姿は一度だけ見たことがあったが、それでも浴衣という衣装は破壊力が強すぎて免疫など役に立たなかった。


 白地に淡い青色をした菊柄の浴衣が、儚げな彼女にはとてもよく似合っていた。長い髪はかんざしで留められている。そのせいで首元の襟足が強調されて、妙に艶っぽい。



「よし、じゃあこれを使い切るぞ」



 そう言って彼女は花火のセットを五袋くらい取り出した。


 二人でする量じゃないだろうと思わず笑ってしまったが、いざ始めると、夢中になって花火を使い切っていった。派手にゴウゴウ、シュウシュウと音が鳴ったり、七色に光るものからなくなっていき、最後に残ったのは線香花火だった。


 それを見て彼女が言った。



「線香花火でどっちが長く咲いていられるか勝負しよう」


「火が点いているか、じゃないんですね」


「ああ、それじゃ面白味がないだろう。それに、線香花火は風流なものだ。咲いてい

ると表現した方が、文学的で美しいとは思わないか?」


「それもそうですね。花火ですもんね、じゃあ早速しましょうか」



 せーので互いに花火をろうそくへと近付けた。


 先に火が点いたのは彼女だった。蕾は点のように小さい。余所見をしているうちに僕の花火も火が点いていた。その蕾はぷっくりと大きかった。

 ひたすらにその様を眺めていると、どちらともなく火花が散りだした。蕾から無数の花びらが散っていく。


 ほんの薄明かりの中。ゆらりと動く影が見えて、反射的にそれを見上げた。

 目に映ったのは、零れた髪を耳にかける由野さんの姿。


 ただそれだけのことだったのに、僕の意識はすっかり奪われてしまい、僕の線香花火はぽろりと落下してしまった。



「私の勝ち、だな」



 歯を見せて子どもっぽい様を見せた彼女に、



「綺麗ですね」


「あぁ、綺麗だな」



 僕は見蕩れてしまっていたのだ。  


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