お節介少年と自閉的な彼女

 

「っはぁ、はぁはぁぁ……」



 勢いで飛び出してきたはいいものの、一条さんらしき人影は見当たらない。


 どこに行ったのだろう? あのままどこかへ寄るとは思えないけれど……そう言えば。



『電車が運休になってしまったので……』



 彼女が初めて店に来たとき、そんなことを口にしていたはずだ。



「一か八か……」



 額から滴る汗を振り払いながら、最寄り駅目指して炎天下の中駆けだした。


 すると、改札前でICカードをタッチしようとしている彼女の姿を見つけた。



「一条さーーん!!!!」



 ドラマのワンシーンみたいな改札口での呼び掛けに、辺りにいた人々は一斉に振り返った。



「君はstray sheepさんの……」



 ぽかんとした表情を浮かべられてはいるが、なんとか改札を通過されることは免れた。


 踵を返してくれた彼女に、歩み寄り、息を整えてから誘いかける。



「今から十分……いえ、五分だけでもいいので、お時間いただけませんか?」



 依然としてすれ違う人たちは遠巻きに僕らのことを観察している。ところどころから、噂している声も聞き漏れてくる。それに耐えかねたらしく、彼女は渋々ながらも誘いに乗じた。



「ここではなんですので、駅の裏手にある公園にしましょうか」



 誘い出した僕は情けなく彼女の後ろをついていった。


 二分と歩かずに着いた先は、ベンチと砂場と滑り台があるくらいの手狭な公園だった。

 僕らは青いベンチの両端に腰を下ろして、用を済ませることにした。



「あの、お時間いただいたのは店で話していた件についてなんです」


「……ここまで追いかけてきてまで? どうして君が――」


「一条さんに、どうしても幸せを逃してほしくないと思うからです」



 メンタリストでもなんでもない一介の高校生が出過ぎた真似だったのかもしれない。少なくとも彼女はそう感じたようで、空笑いを浮かべた。



「君に、私の幸せが分かるって言うのかな」


「それは分かりません」



 僕の弱気な断言に彼女はさらに難色を示す。勝手なことを言わないでくれとばかりに。



「なら、幸せを逃してほしくないなんて――」


「でもっっ!! 一条さん、あなたは言ったじゃないですか。彼のことが『好き』だって!!

 その感情に従うことは幸せじゃないんですか?」


「そんなの……子どもだけよ。大人になったら好きなだけじゃ幸せにはなれないの」



 身振り手振りで熱弁を振るうが、その熱は見えない壁で断絶されたように彼女には届かない。 


 でも僕は諦めるもんか。だって……、



「それなら告白を断ることで幸せになれるんですか?」


「っ…………」



 ようやく彼女の核心を突けたようだ。今なら、伝えたかった言葉も響くかもしれない。



「僕はそうは思わない。リスクに怯えて、失うことに怯えて、幸せになることから逃げたら、過去の自分はどうなるんですか! 今悩んでいるのは、告白を受けたいからじゃないんですか。端から断るって決めてるなら店に来る必要もないですもんね」



 彼女は否定しなかった。ただ、揺らいだ瞳で僕を見上げている。



「いい加減、幸せにならない言い訳はやめましょう。背中を押してほしいだけなら僕がいくらだって押してあげます。

 ――過去も今も、自分を幸せにできるのは自分だけなんですよ」



 僕は彼女に手の平を見せて、



「一条さんが幸せになれるのはどちらですか?」 



 それから彼女を駅まで送ってから店に戻った。


 結局彼女の答えは聞けず仕舞い。だが、僕の熱弁が彼女にとって幸福な選択を取らせる手助けになれれば、それでいい。



  ****



 秋も深まり、食欲の秋が本領発揮してきた十月の中頃。


 栗・梨・柿・秋刀魚など……今日のまかないで拝めないものだろうか。上がりは九時だし、まかない自体はいただけるはずだが……。


 樹と種の世話は出勤直後にしてある。接客後、掃除に後片付け、食器洗いも今ある分は済ませているうちにいつしか、七時を回っていた。


 今日はあまりお客さんの入りがよくない。そろそろ排水溝掃除かトイレ掃除を頼まれるかもしれないとビクビクしていたら、不意に扉が開いた。


 現れたのは見覚えのある線の細い女性だった。



「ここ、こんばんはっ、お久しぶりです。いらっしゃいませ、一条さん」



 会いたいと思っていたせいで、どの順序で話せばいいか分からず、もたついてしまう。


 未熟な接客態度の僕に穏やかな眼差しを向けてくれる彼女。その手には、あの日の鉢植えを入れた袋がぶら下げられていた。



「いらっしゃいませ、一条さん。お好きな席にどうぞ、お話しはそれからにしましょう」



 彼女をいつものカウンター席に誘導する傍ら、由野さんは一瞬だけこちらに首を向けた。そのギラリと光った眼は「分かってるよな?」と云っていた。


 接客は別として、一条さんの報告次第では僕の身が危険に晒されるかもしれない。


 彼女はカウンター席に腰掛けると、手に提げていた鉢植えを由野さんに差し出した。


 紅く熟れた苺が一粒だけ実っていた。けれど、いくつか蕾をつけている花もある。これから咲く予定のものはたくさんありそうだ。


 一呼吸おいてから、彼女の結果報告が始まった。



「彼に摂食障害のこと、それの原因と思うトラウマについて語り尽くしました。それでも彼は、私のことが好きだと言ってくれたんです。


『それら全部ひっくるめて君だから、俺は過去を経験してきた今ここにいる君が好きだ。全部受け容れて、心身ともに支えたい。できるならずっと傍に居たいと思ってる』


 そう言ってくれて。これ以上の言葉も、これ以上望むものもないと感じました。この手を掴まずして、私は幸せを得ることはできないでしょうね。私にとって、彼は最高の相手です。


 ……あぁもちろん、告白を受け容れました。この人となら私も精一杯頑張れて、いつまでも寄り添える夫婦になれると思えましたから」



 だから、と付け足すように呟くと、彼女はくるりと回ってこちらに身体を向けた。



「――ありがとう。あのとき、背中を押してくれて。君が来てくれなかったら、今この幸せは味わえてなかったかもしれないから」



 アイスクリームも融けるような甘く温かい満面の笑みに、僕まで頬が緩む。


 ほわほわした幸せの微睡むような空気が心地好かったのに、由野さんが水を差した。



「ところで、具体的にはいつからお付き合いなされたんですか?」



 しかもちょっと下世話だ。その割に、彼女の表情に野次馬感はない。



「今月の三日に交際を始めさせてもらいました」



 その後、一粒の実を受け取った由野さんは彼女に鉢植えを返した。

 由野さんは彼女に、そのまま育て続けることを薦めていた。なんでも、植物セラピーというものがあるらしく精神の安定にいいそうだ。


 この日彼女はローズマリーのクッキーを購入して、早々に帰っていった。



 願いを叶えたのだから、もうこの店に来ることはないかもしれない。そう思うと少し寂しくて、肩が窄んでしまっていた。



「どうした少年。彼女、一条灯にもう会えなくなるかもしれないって、そう思ってるのか?」


「うっ……」


「図星か。なぁに、案ずるな。また会えるさ」



 ニヤリと怪しくほくそ笑む由野さんには確信があるように見えた。




  

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