落ち着かないのはあなたのせい?


 季節は巡り、秋。暦の上では季節は変わったが、まだまだ残暑厳しい。高校では文化祭の準備で毎日お祭り騒ぎ。当日はレモネードとか、さっぱりして冷たいドリンクが売れるだろう。


 そんな中、彼女は再び店に姿を現した。それは前回から約二ヶ月ぶりの九月末頃。


 来店自体は喜ばしいことだ。ところが、彼女の面持ちは思わしくなかった。

 前は見てもらえることが嬉しいってあんなにはしゃいでいたのに。とは言え、ただ単に落ち込んでいるというわけでもなさそうで……、



「どうなされましたか、一条灯さん」



 わざとらしく調子を上げて呼び掛けた由野さん。名前は教えていないはずなのに、どうして……と一条さんは口元を押さえる。



「名札、外し忘れてますよ。よっぽど、気が動転されているようですね」


「ぁ、ホント……最近、ずっとこうなんです。注意力が散漫しているというか、あることが気になって、仕事も手に付かないんです」


「と、言いますと?」



 話を続けるように由野さんが促すと、彼女は俯きながらぼそりと呟いた。



「以前お話しした彼に告白されたんです……」


「それで、どうしましたか?」



 彼女はふるふると左右に首を振って、否定を示した。



「断りました」


「それはどうしてでしょう?」



 由野さんが僕の気持ちを代弁するようにそう尋ねた。だって、そう思うよ。あんなに嬉しそうだったのに、幸せを自ら突き放すなんて。


 けれど僕らのそんな視線は、彼女自身やその言動を否定する凶器にでも見えたのか、怯えたように両手で顔を覆い隠してしまった。



「私、私っっ……好かれる理由が分からないんです。可愛くないし、摂食障害もまだ完全には治っていないのに、それすらも打ち明けられないままで。


 それなのに、もう一度告白されました。結婚を前提に付き合って欲しいって。初めは冗談かと思ったんですが、それなら二度もすることないですし、冗談で『結婚を前提に』なんて言う人ではないですから、本気なんだと思います。


 一度目は相手の好意を素直に受け取れなくて断りました。そのことを申し訳ないとは思っていますが、私、もうどうしたらいいのか分からなくて……相談に、乗ってください」



 彼女の肩は小刻みに震え、後半から声も張りがなくなっていた。きっと泣いているのだろう。 


 どうしたいか、どうするべきか分からなくて泣いてしまった経験は僕にもある。答えそのものや選択肢自体は単純で簡単。でも、そのどれかを選び取る行為が堪らなく怖ろしいのだ。



 得られるメリット(幸せ)よりも、失う(不幸)の方がより重く感じてしまうから。



 ……というか、それにしたって相手の男性アホすぎないか? それとも、ストーカー? 一度振られてるのにどうして、さらにハードル上げちゃうかな。本当に社会人?



「それでは……前回来店されてからの、彼に関わることを話していただいてもいいですか?」



 相手を心の中で侮辱していた僕とは相反して、由野さんは真剣に悩み相談を受けていた。

 少しだけ、反省します。


 彼女は頷き、顔を上げた。



「あれから彼は食事に誘ってくれたり、おすすめの料理を教えてくれたりしました。少しずつ過食はマシになりましたが、その反動で拒食気味になり始めたんです。心配した彼がお弁当を作ってきてくれました。一緒にご飯を食べながら、他愛もない世間話や家族の話をしてくれて、私を和ませてくれたんです。


 それに、彼の作るお弁当は栄養価も彩りも良くて、健康的なものでした。初めのうちは、あまりこってりしたものは食べられませんでしたが、徐々に食べられるようになっていったんです。


 それから気晴らしにと言って、ボウリングや映画にも誘われるようになって……彼と過ごす時間はとても心地好かったです。でも、告白されて戸惑いました。私には彼に好かれる理由がないですから。彼に頼ってばかりで何もできなくて、迷惑ばかりかけているのも申し訳ないのに…………どうしようもなくって、情けないんです」



 さっきは相手の人に気持ち悪いなあという印象を抱いていたが、献身的な人だった。甲斐甲斐しく世話を焼いているのに、アプローチにも気付いてもらえない不器用な人だ。


 だけど、その努力は無駄じゃなかった。その証拠に、ちゃんと彼女は前進している。

 色々掘り下げたい箇所はあるけれど、それは控えてこの言葉だけを彼女に宛てることにした。


「彼のことが、好きですか?」



 ゆっくりと唾を呑み込む音が耳に入った。



「…………はい……好き、です」


「なら……!」



 僕はじっと彼女の目を見据える。後悔して欲しくないと伝えたかったから。



「そ、れは」



 ところが、彼女と視線は絡まなかった。


 どうして……思いはいつだって伝えられるわけじゃない。この世界は有限で満ち溢れているというのに。



「大人になると、気持ちだけで行動できませんからね。学生時分よりもずっとリスクは大きいでしょう。打算的な視点でも相手を判断しなくてはいけないかもしれませんね。断ったら言わずもがな、彼との関係は壊れるでしょうし、受けたとしても交際後のリスクや責任が付き纏うでしょうね。

 ただ一条さん、大事なのは『どうしたら良いか』ではなく『どうしたいか』です。何を選んだとしてもリスクは付き物ですから……私に言えることはこれぐらいです」



 これまで明確な道標を提示してきた由野さんが一条さん本人に決断を委ねた。それは当然のことと言えば、当然のことなんだろう。だが、彼女はそうは思っていないようで……、



「そう、ですよね……あ、あの、ラズベリーと甘夏のスムージー、一つください。テイクアウトで」


「かしこまりました」



 注文した彼女の声はひどく震えていた。


 一方で由野さんは涼しい顔をして、冷凍した果物をミキサーにかける。出来上がったそれを受け取った一条さんは会計を済ませると、逃げ出すように店を後にした。



「由野さん! どうして彼女の背中を押さなかったんですか!?」



 沸き上がる感情を抑えきれず、僕は彼女に詰め寄った。



「……他人に人の運命を決める権利などない。ただそれだけだよ。自らの意思・選択でなければ後悔したときに、委ねた相手に責任をなすりつけてしまえるからね」


「だからって……由野さんは縋ってきた相手の手を振り払うんですか?」


「…………きちんと問いには応じた。それで十分だろ」



 彼女は言い訳でもするように僕から目を逸らした。片腕を抱いて、自衛までしている有様だ。


 煮え切らない態度に僕は店のエプロンを脱ぎ捨てていた。



「おい、少年! 何をするつもりだ!!」


「決まってるじゃないですか! 一条さんに、今ここで諦めちゃダメだって言ってくるんです。ここで踵を返したら、彼女の過去が報われないっっ」



 一条さんの後を追いかけようと扉にかけた手を掴まれて、強引に振り向かせられた。



「少年、君はまだ幼い。君には大人の事情というものが分かっていないんだ。大人には気持ちだけでは突っ走れない様々な障害がある。君の未熟な精神論で彼女の心を掻き乱すな、他人の選択に口を出すな……それは他人が踏み込んでいい領分じゃない」



 彼女から「大人」を言い訳にした陳腐な説教を聞いたのは初めてだった。そして僕はそれにひどく失望していた。

 憧れというのは実に厄介な感情だ。勝手に好意を抱いて、それを理想化・偶像化しておきながら、現実とそれが異なれば落胆する。だからこれはただの逆ギレだ。



「そうですよ! 僕はなーんにも分かっちゃいないただのガキですよ! なら、言わせてもらいますが、ガキは大人の事情なんてものは理解できないオツムしか持ち合わせてないですし、そんなものはクソくらえなので勝手にさせてもらいますぅ~。それにですね、大人だって言うなら、他人にとやかく言われたから選択を変えたなんて言い訳は通用しないでしょう? だから僕はただ、言いたいことを言いに行くだけです!」


「……ふん。勝手にしろ」



 ようやく掴まれていた手が解かれた。僕はそれを了承と捉えて、店を飛び出したのだった。


  

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