リバース・リバウンド


 あの生気のない女性が来店した雨の日からちょうど二週間後。

 彼女は変貌した姿で、救いを求めて再び店にやってきた。



「二週間ぶり、ですね……」


「ええとあなたは……」


「以前こちらで雨宿りをさせていただいた一条と申します」



 彼女の体型はまるで別人とも思えるほど変貌していた。病人のように痩せ細っていた身体は、女性らしい丸みを……かなり帯びて、いわゆるぽっちゃり体型になっている。


 この二週間で何があったのかと思えば、それは由野さんのアドバイスによる影響だった。彼女の話を要約するとこういうことらしい。



 由野さんのアドバイスを受け、「きちんとした食事らしいものじゃなくてもいいんだ!」と思えた彼女は大好きだったケーキを口にし、それからスナック菓子、ジャンクフードと高カロリー・高脂質の沼にはまっていったと言う。

 そのせいでこの短期間に激太りしてしまったそうだ。


 しかも、食べることがストレス解消になってしまったので、単に拒食症が過食症に置き換わっただけだった。

 そのうえ、激変したことを会社内で噂されるようになり、それを耳にした彼女は焦ってここへ訪れたそうだ。


 つまるところ、由野さんの言っていた通りの事態になってしまった。


 彼女は近況や最近の食生活などを詳らかにし、由野さんにアドバイスを求める。



「あなたは、過去にトラウマになるような経験はありましたか?」



 彼女は驚嘆の音を漏らし、口元を押さえていた。



「え、ええ……多分、そうなんだと思います」



 という切り出しから始まり、彼女の小学生時代のことが語られた。



  ****



 ――それはまだ私が小学六年生だった頃。当時の私は勉強ができて、食べることが生き甲斐だというぽっちゃりした女の子だったんです。それでもその頃は自分のことが好きでした。


 体型は、身長150cm程度で、50kg前後のぽっちゃり度合いだったと思います。

 私には好きな男の子がいました。クラスでは目立たない子だったけれど、いつも優しく接してくれて、庇ってくれていたんです。

 彼に恋するには十分な理由でした。


 バレンタインにお礼も兼ねて、気持ちを伝える為にチョコレートを手作りしました。誰にも見つからないようこっそり渡すつもりだったのに、いじめっ子の男子たちに見つかってしまって、取り上げられました。


 それでからかわれるのが私ならまだ良かったんです。でも、いじめっ子たちはそれを渡される相手である彼を標的にしました。

 男子たちがしつこくて、我慢の限界に達しただけなんだと思いますが、



「うるさいな、一条のことなんか好きじゃない」



 そう断言されました。


 男子たちが「やーいふられた、ふられたー」とからかってくる言葉よりも、彼の言葉の方がずっとずっと痛かったです。



 そのことをきっかけに、彼は私と口も利いてくれなくなりました。唯一の支えだった彼さえ離れていって、張り詰めていた糸がプツンと切れたんだと思います。


 私は縋るように食べ物を口にして、狂ったように食べ続けました。食べることで落ち着くことができたから。夜中でもお構いなしに冷蔵庫の中身を食べ漁りました。

 そのツケとして、当然のように激太りしました。

 男子たちによるいじめはさらに悪化しました。守ってくれる彼がいなくなったからです。



 自己評価が急降下していくのも時間の問題でした。

 自分が太っているから全て悪いと思い込み、ダイエットを始めました。でも、途中から全然体重が落ちなくなって、挫折して。再び食べ物に頼っていたら、いつしか食べ物依存になっていました。

 だけど、もっと太って周囲に嘲られるのも嫌で、喉に指を突っ込んで「食べ吐き」を繰り返すようになったんです。指だこができるまで。

 …………それほど彼のことを信頼していたんだと思います。だから何よりも、辛かった。



  ****


 昔語りを終えた彼女の目からは数粒の涙が零れていた。でもそれは回顧して郷愁に浸るような温かいものでも、激情でもなく、ただの諦念だった。


 僕は人様に語れるほど、辛い人生経験はない。あったとしても、それは日常にありふれたものでしかなく、他人の痛みを理解するには足り得ないだろう。


 でも由野さんなら……と期待を込めて、彼女を見上げた。



「一度誰かに、弱音や本音……このことを打ち明けてみてはいかがですか」


「そんなこと……」



 言える相手がいないから由野さんを頼っているんじゃないか。

 彼女も同じ感想を抱いたのだろう、否定的な言葉を紡ごうとした、



「――できない、とおっしゃるつもりで? 私と彼には話せるのに、何故?」


「え、ええ、その……」



 困惑の表情を浮かべ、手遊びを始める彼女に、由野さんは慣れた調子で魅惑的な甘い言葉を囁く。



「あなたが自分を好きになれる、お手伝いをしましょうか?」



 ニヤリと不敵な笑みで、毅然と「種」の話を提案した。あの男性のときと同じように。



「……、その話詳しく聞かせてください」



 あのときのように種の諸説明がなされた。その間中、彼女はしきりに頷いていた。



「……ところで。あなたには、自己愛・自信・受容のどれが必要だと思いますか?」



 唐突で抽象的な問いに、彼女は苦悩する。必死に一つを選び抜こうとして、でも駄目で。


 見かねた由野さんは店の奥から二つの種を持ってきて、再度尋ねた。



「自己愛と受容の種です。あなたが必要だと思うものを選んでください」



 種はどちらも同じような見た目だった。変わったことと言えば、どちらもマーブル状に混ざり合っていたことだろうか。


 彼女は躊躇いつつも、右の種に手を伸ばした。


 今度は種のお代の支払いに移り変わる。


 彼女は「願いを教える」か「一番強い感情の欠片を渡す」の二択で後者を選んだ。怪しさ満点のこれを選んだのは、彼女自身も願いが分からないからなのかもしれない。 


 由野さんがある小瓶を彼女の胸の前に掲げると、



「自分の存在価値を認めてほしい」



 微かな声と共に、心臓の辺りが発光しだした。ゆるゆると光の球が現れると、由野さんはそれを掴み、さっさと小瓶に仕舞い込んだ。


 目の前の光景はファンタジーでしかない。だが、すっかりこの店のおかしさに慣れてしまった僕にとっては、「あー多分、樹の栄養分になるんだろうな」くらいにしか思えなかった。



「ところで、夕食でもいかがですか。野菜の冷製パスタなどもご用意できますよ」


「はい。じゃあそれをお願いします」



 由野さんは彼女に、野菜たっぷりのサラダパスタを提供した。


 彼女は肩の力が抜けたのか、変に食べ物を控えようという素振りは見せず、美味しそうにパスタを頬張っていた。


 その後、由野さんは彼女が食事を終えた頃合いを見計らって、鉢植えと土の購入を勧めた。彼女は吟味して鉢を選び、会計を済ませると満足した様子で帰っていった。



「由野さん、さっきの種ってどちらも同じものですよね?」


「全く、よく気がついたものだな。そうだよ、あれはどちらも双子種で、自己愛と受容の種だ」


「いつも自分で考えることが大事だとか口酸っぱく言ってるのに、今回はえらく干渉するんですね」



 ちょっと拗ねた振りをして、言い負かしてやろうとかそんな浅はかなことを考えていた。けれど、由野さんの深刻そうな面持ちにすっかり消沈してしまった。



「…………今回の場合はね、一つでも選択を誤ると多大な影響を与えてしまうんだ。それに、自分で選んだと思うことが重要なんだ、彼女に関してはね。彼女の病を治すには、もっと別のアプローチが必要でな、私は手助けをしようと思っているんだ。周囲の存在に気付くべきなんだよ、彼女は」



 なんだか経験したことでもあるような口振りだ。だとしても、今の僕が介入するべき問題ではない。それなら、今はまだ。そっとしておくとしようか。



 そのとき、彼女が明後日の方を向いて、悼むような涙を流していたのを僕は見逃していた。


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