物憂い彼は少年をも頼る(2)

 

 ――「薄情」「冷血」だと言われ続けてきた。

 つまらない、好きと思われている気がしない、などの理由で付き合っていた彼女にも振られてしまった。

 決まっていつも、告白をするのは相手からなのに、別れを告げるのも相手から。


「自分から告白してきておいてそれはないだろう?」と思ったことも何度かあった。


 だが、中身のない恋愛を繰り返すうち、その気持ちは次第に弱まっていった。

 無慈悲で、無感情で、無味乾燥な欠陥人間の自分と分かり合える人なんていないのだろうと。 



 とは言っても、二十七歳で彼女に振られるのは手痛かった。そろそろ結婚を考えなくてはいけない年頃なのに。結婚して、家庭を持ち、子どもが生まれる……なんて想像がつかない。


 そこでふと思った。



「自分は本気で誰かを好きになったことがあるのか」と。



 思えば、見た目が良いとか、彼女はいないと恥ずかしいとか、打算的な理由でしか付き合ってこなかった。けれど、それに気付いたところでどうしようもない。



 そうやって呆然と思考を巡らして歩いていたら、見知らぬ路地に足を踏み入れていた。普段なら絶対に先に進もうとはしないのに、嗅いだことのない香りに吸い寄せられるように足を勧めた。


 僕は店に着くとカウンターに腰掛けて、食事を摂った。そして今、こうして君に自分語りをしているんだよ。





 と。ひとしきり語り終えた彼は、冷めたオニオンスープをグイと飲み干した。


 彼の境遇自体はそれなりにありふれたものなのだろう。別段嘆くものでもない。気にしなければそのうち、相手も見つかるだろう。「冷血」は別として……。

 ただ、彼の境遇如何よりも、心に留まったことがあった。



『見知らぬ路地に足を踏み入れて――香りに吸い寄せられるように』



 僕のときもそうだった。由野さんと出逢ったあの梅雨の日は、いじめのことで心を病んでいた。もしかしたら、この店には精神を病んだ人を惹き付ける何かがあるのか……? あの不思議な少年がそういう患者たちを誘っているのか……、 

 ――いや、これは現実だ。魔法なんてものは存在しない。



(そんなものがあるなら僕は……)



「そ、そんなことないと思います! だってお客さんは、バイトの僕を隣に招いてくれました。それに、こうして他人から言われたことを思い悩んで、どうにかしようとして……今日会ったばかりの僕に悩みとして打ち明けるほどに考え込んでいるなら、あなたは薄情な人なんかじゃないです。あなたはただ、努力家なだけです」



 危なかった。今は彼の悩みを聴いている最中だったのに。あまりに感情移入してしまうと、幾度となく思い出してしまう……。



「そうかな……」


「そうですよ! 少なくとも僕にとっては優しい人です」



 今はとにかく少しでも元気を取り戻して、自分に自信を持ってほしい。

 僕がそうであったように、一つの出来事が引き金となって自身を無くしてしまったんだろう。


 彼女になら、彼の悩みの「種」が分かるだろうか。僕の悩みを解決する糸口を見つけてくれたように、彼にも「種」の話を聴かせるのだろう。

 信じがたくて、御伽噺にも匹敵するファンタジーな、あの話を。


 僕が他力本願な考えに至っていると、彼は僕の言葉に多少納得したのか、安堵の息を漏らした。



「そう、だといいな」



 しかし依然として、彼の表情は不安に包まれたままだ。


 高校生の僕如きにこれ以上何か言われたところで、手助けになるとも思えない。どうしたものかなぁ……。気の利いた一言も返せず、シンと静まり返る店内。誰か助けて……。


 と、そこへ仕事が一段落したらしい由野さんがやってきた。見れば、彼女の手元にはトレイがあり、デザートが載せられている。



「ご歓談中失礼します。このモンブランは試作品なんですが、よろしければどうぞ。代金は頂きませんので、ご感想をお聞かせください」



 その光景に僕は目を丸くした。


 由野さん、敬語で接客できるんだ! 僕にはめちゃくちゃ横柄な態度ばかりなのに……。

 驚き方が露骨だったのか、彼女に鋭い眼でギロリと睨み付けられた。



「はい、ありがとうございます……いただきます」



 しかし、お客さんに対しては非常に穏やかな表情を向けて、丁寧な応対をしている。これが大人というやつなんだろう。到底真似できそうにない。


 渋皮煮の栗を使用したと思われるモンブランは、高級ホテルのショーケースに並んでいたとしてもおかしくないくらい上品な見た目をしていた。


 スプーンでモンブランを掬い、それを口に入れた彼は口元を綻ばせる。そして、噛み締めるように言った。



「美味しい。とても、美味しいです」



 思った通り、由野さんは満面の笑みを浮かべる。こういうところは本当に可愛いんだけれど、な。いつもこうであればいいと思ったことは、口が裂けても言えない。


 彼はパクパクとモンブランを食べ進めていく。その姿を見つめる彼女は、子どもを愛でる母親さながらだった。それだけ美味しく食べてもらえることが嬉しいんだろう。



「ごちそうさまでした」



 モンブランを完食して、幸せな雰囲気が漂っている中、彼女は突然こんなことを言い出した。



「さきほどのお話、失礼ながら厨房から聞かせていただきました。何かお悩みのようでしたが、どうでしょう。私でよければ、お話しお伺いしますよ」



 魅惑的な笑みを浮かべ、物腰柔らかな態度で彼女は問い掛けた。彼女のこれは善意そのものだからいいのだが、弱っているところに手を差し伸べる姿は詐欺の手口に似ている。


 彼は戸惑ったように目を右往左往させた後、そっと目を伏せてしまった。

 初めて訪れた店の店主からこんな提案をされれば、誰だって警戒するだろう。それとも、別の理由から目を逸らしたのかもしれないが。たとえば蠱惑的な店主とか。


 けれども、秒針が頂点に達した頃。彼は意を決したように顔を上げると、深く頷き、再度語り始めたのだった。



「…………僕は取り立てて、何かに執着したことがないんです。何かに興味を抱いても、好きになっても、すぐに飽きてしまいました。だから今まで色んな女性に振られ、『情の薄い奴』だって言われ続けてきたんじゃないかって。誰のことも、好きにはなれないから……」



 何も全てにおいて彼が悪かったわけではないだろう。


(僕は未経験だが)交際するにはそれなりの相性というものが必要だ。いくらルックスや性格、ステータスの全てが揃っていたって、合わない相手とは続かない。

 従って、彼はこれまで価値観の合う人と巡り会えなかっただけなのだ。と人生経験の浅い僕はこう思うわけだが、由野さんなら一体どんな答えを出すのだろうか。



「では、お尋ねしますが……あなたはどうしたい、どうなさりたいとお考えですか?」


「僕は…………本気で、誰かを好きになりたい、恋をしたい、です」



 握り締めた手は震え、声は途切れながらも彼は自分の意思をはっきりと告げきった。



「それはどうしてでしょう?」


「今まで付き合ってきた人に振られたのは、相手に一生懸命向き合えなかったことと、気持ちを分かろうともしなかったことにあると思います。それに、このままではどんな人に対しても失礼だなと気付いたので」 



 彼女の思惑通り、彼はより饒舌に心の内を語った。心なしか、声音が僅かに明るくなったように感じる。



「それは、恋以外では代用できないのですか?」



 代用という言葉は酷く切ない。何かが他のものの代わりになんてなれるわけがないのに。



「多分、恋じゃないとダメだと思うんです。それに、誰かを愛し愛されるというのは、とても素敵なことのように思えます。恋をしている人はキラキラしていて、楽しそうですから」



 彼は周囲が言うほど無感情でも冷血でもなく、ただ思いを上手く表現できていないだけかもしれない。もしかすると、理知的で、物事を論理的に考えすぎるのかもしれないと。

 だからこそ、今の彼には感情的に行動することと、本能の赴くままに生きることが必要なのではないか? それには、自分の気持ちを明確にすることが必要になる。  


 ――とまあ、僕なりに彼女の思考を想像してみたわけだが、実際にどれだけ離れているかは分からない。



「では、恋をするためには何が必要だと思われますか?」



 その言葉を聞く限りでは、ある程度は当たっているのだろう。



「感情の豊かさだと思います、そこの彼のような」


「それは表現力の豊かさだと考えてよろしいでしょうか。だとするなら、『素直さ』『思いやり』『情熱』それとも、『本心』など、あなたには何が必要ですか?」

「表情、だと思います。無感情だとよく言われましたが、何を考えているかよく分からないとも言われますから」



 現に眉一つ動かさずに喋っている。確かに何を考えているのかは分かりづらい。



「そうですか、表情ですね。つまり、自分の感情を表現する術がほしいということですか?」


「そうだと思います」



 流石は由野さん。相手の欲しい言葉を与えられている、とここまでは至って順調だった。



「私、心の『種』というものをお売りしております。それは、願いを『叶える』というわけではありませんが、心を成長させる機会を差し上げ、願いを叶えるお手伝いをしております」



 うわ~出た、胡散臭い悪徳商法みたいなやつ。でもこれ、本当なんだよなぁ。嘘みたいな話。大の大人がこんな話に乗るわけないだろう、ちょっとは相手と言葉を選ばないと……、



「僕にも売っていただけますか?」



 彼はカウンターから身を乗り出していた。わらにもすがる思いなのかもしれない。



「かしこまりました。ですが、事前に諸注意をさせていただきますね」



 彼女はスゥっと深く息を吸い込んだ。



「第一に、願いを教えること又は、あなたの心の中で一番強い割合を占めている感情の一部を分けること。


 第二に、必ずしも心が成長するとは限らず、枯渇してしまうこともあるということを理解・了承すること。


 第三に、願いが必ず成就するとは限らない。願いが叶わなかったとしても自己責任であること。



 ――以上を踏まえた上で、承諾していただければ種はお売りいたします。今ならまだ取り消すことも可能ですが、いかがなさいますか?」



 彼にデザートを持ってきたときの態度とは打って変わり、試すような、どこか突き放した態度だ。


 重々しくなった空気に萎縮したのか、彼はゴクリと喉を鳴らす。

 お陰で僕まで緊張する。


 諦めてしまうのかと思いきや、彼はおもむろに顔を上げた。



「それでも……いいです。僕に、種を、売ってください」



 静かに見上げた彼の瞳にはしっかりと由野さんの顔を映していた。彼女は彼の様子をじっと観察し終えると、満足したように頷いた。



「それでは、『種』の説明をしますね。種は土に植えて、週に一、二回水を与えてください。日光が当たらない部屋でも育てられますので、その辺りはご安心を。種は、心の状態を反映・投影するもので、成長を促進してくれます。そのため、種が生長すると、育てた人の心も成長します。その逆もまた然りです。あなたが選ぶ心の種が、あなたの選んだ心の成長を促してくれるでしょう」


「……なるほど。普通の種ではないと。しかも、心の成長によって願いが叶うかもしれないというところがまたいいですね。神頼みではない感じで」



 多少理解できなかったとしても、分かった風を装うのが大人というものだろうか。それとも、僕の頭が悪いから一度で理解できなっただけなのか……?



「それから、種は育っても、育たなかったとしても店に返却しに来てください。実が実れば、それを一つ回収します。二つ返してくだされば、種のお代は返金させていただきます」



 種という以上、実がなっても不思議ではない。しかし彼は思うところがあるらしく、首を傾げた。



「あの……実って、食べられるものなんですか?」


「はい。それに、とっても美味しいですよ。ですが、二つ以上実が生らなければ、食べる機会はありませんね。もし、実を召し上がるのであれば、うちで調理のサービスも行っておりますので、是非そちらをご利用くださいませ」



 ふむ、と首を縦に下ろした彼。けれどまだ気になる点が残っているらしく……、



「その実って、生で食べることはできないんですか?」



 言われてみればそうだ。食べられるというなら、誰だって構わないだろう。

 そんな僕の淡い考えを裏切るように、彼女は顔色を翳らせた。



「可能ですが、お勧めはできません」


「というと?」



 仄暗い顔色がさらに苦渋の色で染まり、唇は楔で打ち込まれたように重々しかった。



「過去にそれをして……大惨事になったことがありました。誰も彼も救われず、後悔に襲われる結果だけが残りました。私が気付いたときには手の施しようもなかったのです。ですからどうか、独断で実や種を食べることはおやめください。責任を負いかねます」



 血を見てきたような物々しさに彼もあっさりと身を引いた。



「分かりました。あと、お願いがあるのですが――」



 彼は由野さんにだけ聞こえるように耳打ちをする。ここには僕と彼女と彼の三人しかいないのに、どうして内緒話をする必要があるんだ。



「はい、構いませんよ。それではここにお名前と、お客様が通える日時と、連絡先を記入してください」



 僕の嫉妬などお構いなしに、彼女はレジ横に置いてあったメモ用紙とボールペンを差し出す。彼はスマホを横目に書き上げた。


 その後、彼は「自己表現の種」・鉢植え・土を購入。全ての会計を済ませると、入店時とは打って変わって、穏やかな表情で退店したのだった。



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