【第一種:自己表現の種&受容の種】

紳士店長と居眠りバイト


 大通りの裏路地を抜けた先、住宅街に紛れてひっそりと佇む飲食店「stray sheep」。


 外観はアンティークな洋館を模してこそいるが、その実一般家屋となんら変わりない。強いて違いを挙げるとすれば、入り口に重厚そうな木製扉を使用としていることと、ベルタイプのドアベルを使用していることぐらいだろう。


 ただでさえ閑静な住宅街に居を構えるこの店は、やはり異彩を放っているらしい。通行人がいても、門扉を叩くことはない。大抵の人は速歩で通過し、いくらかの人は物珍しさ故か中を覗き込もうとするが、中の様子が窺えない怪しさと物音一つしない不気味さから、やはり入店を諦めてしまう。



 ――と、これほど文句を挙げ連ねている僕だが、先日この店の店主こと「由野さん」から正式に勧誘されて、アルバイトの身なのである。

 嫌々働かされているわけでもないし、脅されてやっているわけでもない。むしろ、ここで雇われたのは遊園地に行けるくらい喜ばしいことだった!


 ……だけど。


 僕にはこの店が、足を踏み入れても摩訶不思議に満ち溢れていて、「心の種」という一見すると胡散臭いものを扱っているところとか、



「そーいう変なところも全部ひっくるめて、この店が好きなんだけどなぁ……」



 それにしても、この窓は夏の日差しをある程度抑えてくれるからいい。不透過というのも客サイドでは短所だが、雇用される側にとっては有り難い限りである。それほど大窓でもなければ、高さも背伸びをすれば届く程度。



「木漏れ日のような柔らかな日差し、空調の効いた店内、お客さんもいない……絶好のお昼寝条件だ――ぁうあっ!?」



 バコッと小気味いい音が後頭部に響いたのを感じ、恐る恐る背後を振り返ってみると……、



「ふん。随分とご機嫌のようだな……そんなに暇なら今から二、三時間ほど畑仕事でもやってくるか? 

 ――さぞ、夜はぐっすり眠れることだろうなぁ」



 黒髪のショートボブ。シャープな目鼻立ちで、ワイシャツとギャルソンを優雅に着こなす端整な顔立ちの彼女。畑仕事でもしてきたのか、首筋から汗が滴り落ちている。これが俗に言う汗も滴るいいオトコか。



「い、いえそれは勘弁してください……っていうか、今から二、三時間ってシフト終わりまでじゃないですか~~あんまりですよぉ…………」



 ふふふ……と不敵な笑みを浮かべる紳士もとい彼女は、この店の店主「由野さん」だ。



「君が悪いんだろう。雇用主の店を悪く言う店員には躾が必要だからな」



 ふんっと鼻を鳴らすと、腕組みをして僕に背を向けた。


 それはいくらなんでも時代錯誤も甚だしいだろう。SNSの類いでネットに上げてないだけマシだし、あと僕のは悪口ではない。



「ご、誤解ですってば~~だ、だってその……せっかく好きで働いている店なのに、こんな閑古鳥が鳴いてる状態じゃ潰れちゃうんじゃないかって心配で…………居眠りかけてたのはホントですけど」



 ごめんなさいと頭を下げて謝った。内心、彼女の返答に気が気でなかった。けれど、



「顔を上げろ」



 言われるままに顔を上げると、髪をぐわしぐわしと掻き乱された。


 一体どういう意味なんだと思考をフル回転させていると、視界の端に顔をくしゃくしゃにして笑う彼女が映った。



「ハハハッ。君は本当にその場の雰囲気に呑まれやすいというか、騙されやすいというか……案ずるな、本気で怒ってもいなければ、店だって潰れはしないさ」



 朗らかな笑みを向けてくれる由野さんだったが、僕は思わず聞き返してしまった。



「え? こんなに営業時間少ないのに、本当に大丈夫なんですか??」



 この店は、テイクアウトのみ午前九時~十一時営業。十一時からは店内飲食可。四時まで営業を続け、中二時間の休憩を挟み、午後六時~午後十時まで営業。しかし午後九時以降は客を入れず、ラストオーダーは午後九時半という変則的なスタイルだ。



「それほど少なくはないだろう……それにだ、営業時間が長ければ長いほど儲かるものではない。人件費や光熱費などのコスト面で考えてみれば、短縮営業の方がいいんだ」


「でも、お客さんの立場としては連続営業の方がいいんじゃ……? その方が客足も増えるんじゃないんですか?」



 まだ高校生の僕には経営はよく分からないが、それでもお客さんの数が多い方がいいというのは分かる。午後三時からシフトに入っているのに来店したお客さんはせいぜい二、三人。しかもみんなお持ち帰り対象のフードを単品購入だった。これでは僕の賃金だけでも大赤字なのは明白だ。


 しかし、そんな僕の考えは愚考であったらしく、彼女は大層なため息を吐いた。



「あのなぁ…………。少年、もし君が休む目的で飲食店に入るとするならどちらに入る?

 一つは全国チェーン店のファミリーレストラン。もう一つは個人経営の隔日営業の喫茶店。価格帯はどちらも同じものとする」


「……喫茶店、ですかね。チェーン店のファミレスならいつでも行けますし」


「つまりはそういうことだ……というのはさすがに冗談だが、この店は店舗販売と店内飲食だけで経営しているわけじゃない。お得意様に催し事の料理や菓子をご依頼いただいているのでね、さほど困っていない。困っても、私個人の収入を減らすだけさ」



 闊達に笑ってのける彼女だが、それは絶対に笑い事じゃない気がする……。



「あぁそれから。平日の昼間はよく、近所のご婦人たちが足を運んでくれているからそこそこ繁盛しているよ。スーツ姿の営業マンにはテイクアウトの弁当もウケがいいようだ」


「それなら良かったです」



 店が潰れないなら僕は何も言うことはあるまい。ホッと胸を撫で下ろした、



「……それに、この格好をしていると、どうも男に間違われてね。『男の一人暮らしは大変だろう』と、度々おかずなんかの差し入れを頂いているんだ。お陰で食費も浮くし、手間も減るからとても助かっているよ」



 シャイニースマイルを浮かべた由野さんは自覚的なマダムキラーである。

 彼女は女性を誑かすテクやフェロモンを持ち合わせている計算高い大人だ。


 実は今朝方も、バイトにやって来たら近所の奥様方に囲まれていた。それにちゃっかり「作りすぎたおかずのお裾分け」を頂戴していたのも目撃済だ。由野さんのファンであるマダムたちは、彼女のことを「深雪の紳士」だとか呼んでいるらしいが、その正体を知ったらどんな反応をするだろうか。


 コルセットで胸を潰しているだけで、実はナイスバディな彼女を見せてやりたい。だが、彼女の食生活を困らせたいわけではない。しばらくは僕と彼女だけの秘密にするのもいいだろう。

 在りし日の彼女のたわわな姿を思い出してムフフと口元をだらしなくしているときだった。    


 ――カラン、コロォン。



(いっけねお客さんだ)



 気と顔を引き締め、姿勢をしゃんとする。



「いらっしゃいませ、何名様ですか?」

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