よろしくね、これから。

始まりは、寒さが和らいできて心地良い、澄み渡った空が綺麗な春の日だった。


「この子 来週から年長さんなんだけど、私の仕事が終わるまでで良いの。面倒見てくれない?」

「………は?」


笑顔で「この子、礼儀 正しいから大丈夫!」と話を進める伯母に、志陽は間抜けな声を出してしまった。


中学を卒業し、もうすぐ高校生になるという春休み最後の週。

いつものように見るとも無しにTVをつけてごろごろしていたら、玄関の呼び出し音。

インターホンを面倒臭がって飛ばし出てみると、少し離れているところに住んでいた母の姉──伯母が立っていた。

母と伯母は たまに小洒落たカフェのお茶を一緒にするくらい仲が良く、自分も幼稚園や小学生の頃 面倒を見てもらったりと お世話になり仲は良い方だと思う。

しかし そんな伯母が、母ではなく自分に頼るとは珍しい。


とりあえず言われた内容を、休みボケした脳を必死に動かして反芻する。


そして叔母が言った"この子"とは何だろうと彼女の視線を辿ると、そこには可愛らしい桜色のワンピースを着て白い靴下に茶色の靴を履いた小さな女の子が立っていた。

焦げ茶色で子供特有の細くふわふわとしたセミロングの髪の毛は左側でサイドハーフアップにしてあり、結び目には服と同じ色のリボンを着けている。


…そういえば、母が数年前に「姉(伯母)が子供を産んだ」とかで「赤ちゃん可愛い」だとか、「昔は志陽も可愛かったのに…」とか言って面倒臭かったことを思い出す。

実際に会ったことは無かったけれど…そうか、この子のことだったのか。

なんて思いながら、その子をじっと見つめる。


俯いているせいで表情は見えないが、初対面のひとに緊張しているのか、右手は母親である伯母の服の裾を、左手では自分の服を、どちらも きゅっ…と強く握りしめていた。

伯母が「優心、自己紹介できる?」と促すと、女の子はコクンと頷いてから顔を上げる。


しかし、俺と目が合うと…彼女は固まった。


それは、呆然としたような…でも、どこか驚愕したような表情に見えた。


幼児の複雑さを孕んだ瞳は、一瞬の間をおいて何だか若干 潤んできた気がしてギクリとする。


え、俺の顔って怖い?笑顔じゃないから?


と不安になっていたが、伯母が声をかけると滞りなく自己紹介は終わり、伯母さんの頼み事の意図も知り、俺は来週から優心と過ごすことになった。


***


幼稚園のお迎えってしたことない。


いや、一人っ子で男子高校生なりたての十五歳にそんな経験があったら変だけど。


どうしたら良いのか分からず、周りの保護者さんたちを見ながら もたもたしていたら、幼稚園の先生が「…もしかして、お迎えですか?」と聞いてきた。


完璧に不審者でしたよね。ごめんなさい。正直 声をかけてもらえて助かりました。


色々な気持ちを込めてすみません、と謝りつつ優心を呼んでもらう。


すると優心は自分を見つけた途端に笑顔になって、走り寄ってくれる。手を差し出せば嬉しそうに手を繋いでくれた。


先生から「あ、本当に保護者だった」という安堵が言外に伝わってくる。


物騒な世の中だもんな。

次回からは、ちゃんと声かけます。


幼稚園から俺の家へ向かう。

そこに伯母が仕事を終わらせ次第 迎えに来る、という話になっている。

昨日のうちに、お世話になる間のお菓子や お絵かき帳、折り紙と何かあった時用のお小遣いを渡された。

母も「可愛い幼稚園児が来る!」と乗り気で、俺も飲んで良いから、とジュースを買っていた。


俺の家までは少し遠く、徒歩15分くらいだ。

それも幼稚園児の歩幅に合わせているため、実際 時間はもっと掛かる。


…とりあえず、気まずい。


周りからは年の離れた兄妹に見えなくもないだろうが、実際兄妹ではない上に、もし兄妹だとしても無言で帰ることは無いだろう。


しかし幼稚園児と すぐ仲良くなれるようなコミュニケーション能力は残念ながら持ち合わせていないし、どんな話題を振れば良いかも分からない。


女の子なのだから多分、日曜日の朝にやっている魔法少女的なものが好きなのだろうが、アニメ好きでも無く妹も居なかった自分が観ている筈もない。

つまり、話題にするのすら躊躇われた。


(どうする!?どうするんだ俺!「ご趣味は?」とか…いや、見合いじゃないんだから…)


そもそも「しゅみって何?」って返されたら終わりだ。


頭をフル回転させつつ一人ツッコミをして悩んでいると、左下から声が掛かった。


「ショウは………いま、こーこーせい?」


「…え?」


その一言に思考が一気に現実に引き戻され、思わず気の抜けた声が出てしまった。

自分のことを見上げてくる少女はそんな自分の言葉をどう取ったのか


「このまえ、おかあさんが いってたから」


と理由を話してくれた。


このまえ、とは いつだろうか。


そういえば、初対面の時に伯母が『高校生になったばかりで大変かもだけど…』みたいなことを言っていた気がする。


一瞬 驚いたが、相手から話しかけてくれたという安心に緊張が和らいだ。


「うん。丁度 今日から高校生だよ」


優しく答えながら、そうか、こういう話題で良いのか…と思い直す。


そういえば、自己紹介は名前(と年齢)だけだったな。

まずは、お互いのことを知っていこう。


その後は優心が「ショウの好きな たべものってなに?」「きらいな ものある?」という質問攻めをし、それに対して答えつつ、じゃあ優心はどうなんだ?という質問返しをしてく。

彼女は明るく、「おかーさんの作った たまごやきが好き!」とか「ニンジンちょっと苦手…」と顔を顰めたりしていた。素直な反応が可愛らしい。


「ニンジン嫌いなのか?」

「キライじゃないけど…あまいニンジンとは なかよくなれないの…」

「ははっ、仲良くって何だよ。でも、甘いのってことはグラッセか?アレは俺も苦手だな」


会話が途切れることは無く、気づけば志陽の家に着いていた。

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