グッバイ*ハロー

cometubu

さいだーみたいに、おもいだす

──記憶が炭酸の泡のように浮かんでは消えていく。

しゅわり…しゅわり…と淡い映像の断片が流れて、瞬間、バチンッ!と強炭酸以上の刺激が弾けて全てが繋がった。


その衝撃に、記憶があふれて、痛くもないのに涙が出そうだと思った。


「…優心まこ?」


優しい母の心配するような声に、ハッと自分の状況を思い出す。

今 私は、目の前の従兄いとこへ自己紹介をするように言われていたのだった。


「あ、えっと、『うえはる まこ』です!ごさい、です!!」


手のひらをパーにして年齢を表したあと、よろしくおねがいします、と頭を下げると母の温かい手で頭を撫でられる。


「ね?五歳にしては礼儀 正しいでしょ」


うちの娘かわいいでしょ?という親バカな雰囲気を出しながら自慢げに言う母に、目の前の青年は少し困り顔だ。


「でも俺、子守に自信ないけど大丈夫?」

「大丈夫よ。大人しいし お絵描きとか折り紙が好きだし。…ただ、一人で留守番させるのは心配だし…なにより寂しい想いをさせたくないのよ」

「それなら なおさら俺よりも伯母おばさんが一緒に居た方が…」

「だから、その為の布石を打つのよ」


仕事で功績を上げて、優心の晴れ舞台は(絶対に仕事を休んで)皆勤にするのよ…と言う声と瞳は燃える様な熱が込められている。


「だから、春休み明けから お迎えと夜までの時間は お願いして良い?志陽しょうも高校に進学したばかりで大変かもなんだけど、早めに帰る様にはするから」

「……分かったよ。伯母さんには世話になったしな」


子守に自信はないが子供は嫌いじゃ無いし、と溢す青年に安堵する。


「俺は上春うえはる 志陽しょう。これから よろしく、優心…ちゃん?」

「マコで良いよ。ショウ…くん?」

「それなら志陽で良いよ。優心。」


屈んで握手をしてくれた青年の柔らかい笑顔は優しそうで、春休み明けからは彼が幼稚園のお迎え、そして(母が迎えにきてくれるまでの)面倒を見てくれるらしい。

普通なら とても安心できる状況。うん。なら。


…先程 脳内にぎった、淡い映像──




──そう、『前世』の記憶がなければ。


心中で大量に冷や汗をかきながら何とか握手を交わすと、母と帰路につく。

家に帰って手洗いうがいをしてからリビングのお気に入りの定位置、ソファに座る。すぐに眠気が来たので横になる。


「あら、初対面の人と会って緊張しちゃったのかしらね?」


そんな母の声と、彼女の手がサラリと髪の毛をくのを感じながら、私の意識は夢の世界へと吸い込まれていった。


***


彼を一目見た瞬間に、前世のことを思い出した。


私は優心まこ。現在 五歳。

何処にでも居る五歳児だった。


つい、さっきまでは。


目の前に居た青年……志陽しょうを見た瞬間。

自分の脳内に幾つもの淡い断片的な場面が炭酸の泡のように浮かんでは消えた。


真子まこ


それが私の前世の名前。前世も今世も名前はマコ。

異世界転生なんてせず、今も昔も魔法なんてない至って普通の現代社会で生きていた。


運命の人と出会い、プロポーズを受け、大学卒業後に彼と結婚した。

…その後、私と最愛の人との間には元気な一人息子が出来た。


息子には『しょう』と名付けた。


因みに、先程 初めて会った青年の名前も『志陽しょう


………ここまで来たら、もう お分かりいただけただろうか。


先程 会った青年は、私の前世の息子である。

嘘だろ神様………


「十歳年上の従兄が前世の息子だった件」なんてラノベでも無いぞ。…あったらごめん。


彼を見た瞬間、断片的とはいえ前世を思い出したのだ。

あの時、母の声で すぐに気がついて自己紹介 出来た自分を褒めたい。すごいよ私。圧倒的 優勝。私しか勝たん。


何故 彼がトリガーだったのか。

それは何となく分かる。

前世の死に際、私の心残りはむすこだった。


私は、今日 志陽に会うまで、15歳のに会ったことは無かった。


翔が13の時。


私は、病気で死んでしまったから──


***


眩しいほどの夕陽が差し込む病室。


様々な薬品の匂いと、絶えず自分へと栄養を送り続ける点滴。そして沢山の管に囲まれながら、弱々しく、途切れ途切れな心電図の音がする。


霞みかけた視界に、見慣れた家族の顔が映る。

夫は涙を堪えていた。

彼は涙を堪える時、いつも唇を強く噛みしめる。そんなに強く噛みしめたら、切れてしまいそうだ。

貴方が泣きそうになるたび、私は いつも注意していたでしょ。

たとえ唇でも、どんなに小さな傷でも、貴方が傷つく姿を見たくはないのよ。

そう言いたいのに……呼吸器と自分の ざらついた呼吸音に邪魔されて、思いは声にならない。

夫は いつかこんな日が来ることを、知っていた。分かっていた。だから、涙を堪える。


…だが、息子は。

自分の息子は中学生になったばかりで、母親の心配などしないで青春を謳歌してほしかった。

しかし今、自分の手を痛いぐらいに握って目が溶けそうなほど、それも見ている自分の方が辛くなるほどに泣いて ひたすら自分を呼ぶ息子を見ると、その選択が正解だったのかは分からなかった。「お母さん!お母さん!」と泣き叫ぶ彼の声は とても悲痛だ。

自分は病気と闘いながらも努めて冷静に振る舞い遺書は書いておいたし、心残りも特になく、あとは逝くだけだと割り切っていたのに。……割り切っていた、つもりだったのに。


今更 気づいても遅いのに。


おそらく自分の人生で最期であろう温い涙が一筋つたって、病院のシーツを濡らした。


でも、最期は笑顔で逝きたかった。


胸が一杯で、上手く笑えていたのかとか、最期に役立たずになった喉を精一杯 頑張らせて呟いた『ごめんね、ありがとう』の言葉が声になって、最愛の2人の耳に届いたのかは分からなかった。


瞼が重くなってくる。


眠くないのに、眠い時と同じ感覚だ。


ただただ、2人に申し訳なくて。


でも、感謝していて。


1分1秒がキラキラと輝いて、大切で勿体無い程に。


大好きだった。幸せだった。








………まだ、死にたく、なかった───…






その思考を最後に、意識がすぅっ…と薄く、遠くなっていく。


夕闇の迫る病室に、無機質な心肺停止の音が冷たく鳴り響いた。


***


わあ、鬱。


前世の夢を見て眠りから覚めた五歳児のメンタルはボロボロである。


前世の記憶が最高に鬱。

そりゃ心残りにもなるよね。

夢でヘビーな詳細を思い出すとは思わなかった。


結婚して子供が出来て。

それは、笑顔に溢れたとても幸せで温かな記憶。


…からの、病に倒れて死ぬという鬱展開。


何の病か分からないが、何という…


そのあと、母親から「お夕飯よー」と声をかけられ好物のカレーだと気づくまで、優心の複雑な気持ちは続いた。

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