推しに推されまくっています

ちえ。

第1話

 うちの高校には総合芸能コースがある。演劇、音楽、芸術分野等々。細かく科で分かれているらしいが、メディアでちょっと見る顔なんていうのも多数存在する。

 別棟の芸能コースを共同施設だけで拝む俺たち普通科の面々では、彼らは完全にアイドルだ。学内で推しを競い、派閥すら存在する。

 眼鏡が本体と言われるほどの地味男である俺なぞは、声高にそんな団体に所属するつもりはないが、つまりはこの学校で推しがいるのはもはや当然に近い事なのである。



 俺の推しは、音楽科の綾音あやねだ。

 彼女は芸能活動というより、本格的に音楽家を目指しているらしい。

 誰が何位まで序列を付けているのか不明である『我が校の推し女子』のNo.28。芸能コースだけで3ケタの在籍数がある中でその順位は高いのか低いのか。まあそこらには触れまい。

 綾音は楚々そそとしたセミロングの黒髪。静謐せいひつな雰囲気のクール美女。

 そう評されているものの、その実がかなりかけ離れた存在であるという事を俺は知っている。



「こーーたくーーーーん!!」

 今日も自宅のマンションの前。後ろから走ってきたさいしは突撃するかのように俺に抱きついてくる。華奢な細身から繰り出された衝撃は、踏みとどまれる程度だ。


「ほらもー寝癖、今日もめちゃ可愛い」

 肩越しにひょこりと顔を出して、俺の後ろ髪を摘まんでるデレデレの笑顔。


 目も当てられずに俯く。ハートに矢を受けたなんてものじゃない。砲弾級、いいやきっとミサイルだ。瞬殺すぎて苦しみも味わわず消し炭も残らない。今日も推しの尊みにありがとう。


 彼女はクールビューティーの面影もなく表情をとろけさせて両手の指を組んだ。

「ああ冴えないイケメガネ、尊い…」

 毎日夢かと思うが今の所は覚めていない。俺はなぜか推しに推されまくっている。


 冴えないイケメガネ。

 初めて綾音と話した時からそう言われ続けているのだが。

 彼女の言うこれは、イケメンが眼鏡をかけているとか、眼鏡顔がイケメンだとかいう意味ではなく、眼鏡をとると没個性ステルスするほどの属性眼鏡のことらしい。

 それもう眼鏡だけでよくね?ってやつだ。

 推しの推しが謎すぎる。だがご利益はありがたくいただいとこう。ああ、ありがとう。



 もとより芸能棟の学生と一般棟の学生が一緒に過ごす機会は少ない。

 その一握りの機会が、体育祭や文化祭等の学校行事だ。

 芸能コースは単位制を売りにしている。ある程度の出席と単位で卒業が可能であるがゆえに、芸術分野や芸能活動なんかに忙しい人々が通うのだ。

 なので、彼らは基本的に学校行事の運営に関わる事はない。

 それでは学校生活が味気ないということで、これらのイベントには普通科学生と一緒に参加できる。強制力はなく、イベント運営は普通科が行うので参加したければどうぞという訳だ。

 普通科側も、多数の推したちが自分たちと共に学校イベントを楽しんでくれるのであればウェルカムな人が多い。率先してお役を勝ち取りに行く戦いもあるらしい。


 綾音を初めて見たのは、何かのイベントの際に彼女がステージに立った時で。

 彼女が奏でる音に全ての雑音が止んだ事を覚えている。

 それからずっと俺にとっては一番の推しだった。


 最初に綾音に会った時には、見た目通りクールでつれなかったけど。その次には、ちょっぴりツンデレて。数回目にはもはやじゃれついてくる勢いになっていた。

 そして、今や毎日俺の背中に突っ込んでくるデレデレだ。


 綾音のクールビューティーはおおむね警戒心と人見知りで。こんな姿を見せるのは一部の人間にだけだと知っている。その一部の中に俺も入っているのだ。

 この奇跡をどう表現したらいいものか。尊いとしか言えないだろう。

 そう、尊いのだ。



 俺はばっと綾音から目を逸らした。

 推しにこんな顔で至近距離からキラキラと見つめられて平気な訳がない。尊すぎて息の根が止まる5秒前だ。セーフ。


 俺の様子を見て、綾音は身を離して嬉しそうに隣に並んで歩く。

 学校までの、人影が少ない間のほんの少しだけの距離。この数分が毎日俺の尊いトピックスにひっそりとピックアップされている。



 毎日が尊みで溢れたそんな学校生活で、事件が起こったのは二年生に進級してすぐのこと。

 偶然(?)綾音と一緒になった帰り道。

 彼女と目を合わせられない一瞬で、通りがかりのワンボックスカーに綾音が連れ去られた。

 綾音の声に振り返るともう既に車の中に引きずり込まれている彼女がいて。

 慌てて手を伸ばそうとしたけれど届かなかった。


 綾音をさらって走る車。

 一瞬で凍りついた思考で、取りあえず車のナンバーだけ写真に収めた。

 決して隠し撮りスキルの賜物たまものではない。


 警察に電話……なんてしてたら、追いつけない。

 考えるより先に足が車を追って走り出していた。

 この辺りの地理には詳しい。相手は車と言えども、この辺りは道が細く入り組んでいるためスピードも出せないし一方通行だって多い。


 推しをさらうだと?許せる訳ないだろう!


 特段運動が得意でもなければ武術の心得もない。ただ萌える心を燃やして走った。

 推しに手を出すなんてことは、誰が何と言おうと絶対に許される事ではないのが世のことわりなのだ。



 今まで使った事がないほど頭を働かせ、眼鏡をくもらせて走り抜けて。車が止まった人気ひとけのないアパートの塀の前に潜む。


 車のドアが開くのを息を殺して見つめ、言い争いながら出てきた綾音の姿を見た瞬間に全力疾走して彼女の腕をつかみ背にかくまった。


洸太こうたくん……」

 弾んだ声が背中から聞こえてきたが、今だけは推しの声の尊みを拝むのは後回しだ。


 犯人てきはそんな俺に対峙したまま目を見開いていた。

 そして、その姿には見覚えがある。


「そんな……ついてくるなんて」

 ぎりっと唇を噛みしめたのは、普通科のマドンナである歩生あおいだった。

 長い黒髪ストレート。大人しそうで儚げな美人であるため、芸能コースに推しを持たない男たちの人気を集めている。


 歩生は大きな瞳に涙を溜めて俺を見上げてくる。普通だったらその可愛さに怒りも吹っ飛ぶのかもしれない。

 しかし、ことは推しが攫われたなんていう、推しへの冒涜ぼうとくかつモロ犯罪行為。そしてその主犯が彼女であるのは明らかだろう。運転席の男は此方をチラ見してオロオロしている。


 可愛い女の子VS最推し。

 勝負になる訳なんてない。いや、推しに手を出した時点で敵としてロックオンは待ったなしだろう。


 俺は歩生を睨みつけて、綾音を背に匿ったまま数歩後ろに下がった。

 

「違うの……」

 歩生は悲しそうな顔で俯いて、憐れ気な声を震わせ掌を握り占めた。

 まるで俺がいじめてるみたいなんだけど。負けそうな気弱な心だったが、後ろにいる守るべき推しの前では衰えずに奮い立ったままでいられた。


「何が違うのよ、こーたくんの気を引きたかったくせに!」

 俺の背中で制服を握りしめて、綾音が叫ぶ。


 驚く俺が振り返った隙に、歩生は綾音に飛び掛かった。

「うるさい、この性悪!」


 気がつけば目前では可愛い女の子VS最推しの取っ組み合いキャットファイト。なんだこれ意味が分からない。


 可愛い子は怒った顔も可愛いなんていう説と。

 可愛い子ほど怒った顔は恐ろしいという説があるけど。

 可愛かった。

 ごちそうさまですありがとう。



 思わず真っ白な頭で二人を見つめていた俺の前で、般若も真っ青な顔をした歩生が腕を振り上げた。

 綾音は咄嗟に両手を重ねて目を瞑る。

 ヤバい。

 綾音の細い指は、夢であり商売道具である、あの美しい音を作り出す大切なもの。推しの大切なものを奪われるなんてことはあってはならない。


 慌てて踏み出す。

 歩生のグーパンは、綾音を抱きしめた俺の背中にヒットした。一瞬息が詰まってムセたけど、間に合った事がわかってほっと息を吐いた。


「洸太くん……」

 俺の肩で泣きそうな声が震える。今まで生きてきた中で一番ヒーローになった気がしたその瞬間。

 綾音は空気を切り裂くような歯ぎしりを響かせて叫んだ。



「私のこーちゃんに何すんのよ!!」


 腕の中をすり抜けて行った綾音が、俺の背中の向こうでバキリと鈍い音を響かせた。

 置いて行かれた俺にはそこで何があったのかはわからない。ただ、見なくてよかったという思いでいっぱいだ。


 地に伏した歩生を見て、肩を怒らせて振り向いた綾音と視線が絡む。

 その瞬間、彼女の顔はみるみる赤くなって、そわそわと視線を彷徨さまよわせた。

 伝染するまでもなく、俺も居たたまれない。


 綾音の心の声の中では、ずっと『私の』『こーちゃん』なんて呼ばれてたのかなんて。推しに『私の』なんて言われたらどうすればいい?

 尊すぎて背中越しに聞いた鈍い音なんて忘れてしまうだろ。願望だけど。


 見つめ合う俺たちの前で、空気になった歩生が呻く。

「もう、付き合うなら付き合っちゃいなさいよこのバカップル!私の冴えない君を私物化してしまえばいいのよ!!」

 自棄っぱちな涙声はどこか遠くに響いている。


 綾音がぱっと顔を上げて此方を見た。

 そして照れたように最高に可愛い顔で笑って。

 いつも背後からそうするように、俺に駆け寄って抱きついた。


 間近で視線が絡む。

 なんて尊すぎる推しの照れ笑い。ああ、尊い。尊すぎて……。


 目が合わせられない。

 推しは推しであって、この尊みの上で触れられる訳がない。



 咄嗟に顔を逸らした俺に、綾音はくすりと吐息で笑った。

 回された腕にぐっと引き寄せられて、頬に温かいものが触れる。

 ちゅっと可愛らしい音を立てて離れた柔らかな唇に、思わず全神経が硬直した。


 ああ、尊死んだ。頭の先から足の指まで燃え上がって、脳みそなんか沸騰している。


 ぎこちなく横目で綾音の顔を盗み見ると、彼女は頬を染めて蕩けるような笑顔を浮かべていた。

「ああ、冴えないイケメガネが照れて固まってる、最高に尊い……」



 最高な事に、俺の推しは小悪魔でもあったらしい。

 しばらく俺の尊いトピックス殿堂入りは、この衝撃的な事件で固定だろう。

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