第20話  ある夫婦の物語 sideシリル

 数ヶ月後、ああ今もあの瞬間を忘れる事はない。


 アンジェリカ、アンは玉の様な元気に産声を上げる男の子を無事に産んでくれた。

 


 本当にあの日は感動の連続だった。

 いや感動だけではない。

 彼女と家族になろうと告げたひと月後、俺達は領内にある教会で領民達に祝われての結婚式を行ったのだ。


 これに比べれば王都の結婚式等三文役者とシナリオ通りの滑稽な劇に過ぎないだろう。


 俺とアン……アンジェリカはアンジェと言う愛称をとても嫌っていた。

 その理由は義兄である国王が愛おしむ様に呼んでいたからだと言う。


 それはそうだろう。

 強姦魔に愛おしげに呼ばれる名前等に愛着が持てる筈がない。

 何もこれはアンだけではない。

 この事実を知った俺やこのアッシュベリーに住む者皆がアンジェと言う愛称をそれ以降厭う様になれば、誰も彼女をアンジェとは呼ばなくなった。



 そして彼女は自分の事は今まで誰も呼んではいないと呼んで欲しいと願い出た。


 俺は勿論即答で了承した。

 何故ならという事実がとても新鮮且つ特別なものに思えたからだ。


 アッシュベリーの者しか知らない彼女の新しい呼び名。


 そうアンはアッシュベリーの地で新たに生まれ変わったのだ。

 王宮に住んでいた囚われの王女はもう死んだのであり、この世の何処にも存在はしない。

 だからこれからは家族三人……いや、もしかするとそれ以上になるのかもしれない。



 ああそうだ。

 これより先は辛い思い等一切させやしない。

 笑って笑い過ぎてお腹が捩れるまで笑わせれば、絶対にこの世界で一番に幸せにしてみせる!!


 そうして改めて俺達は夫婦となったけれどもだ。

 未だ初夜は迎えてはいない。

 理由はまあそうだな。

 アンの胎にはから……か。


 これに関しては侍医やアン、それにリザに侍女長や家令にも散々言われたな。

 いやそれだけではない。

 視察へ赴けば領民達から、砦へ行けば騎士達からも言われたよ。


 だと。


 だがその無理が俺には全く以ってわからない。


 何しろ14歳の頃よりずっと抱いていた恋心なのだぞ。

 然も初恋と言うものだ。

 先ずそれだけでも自分を抑え込む自信が全くない。


 そう今はまだいい。

 まだ肌を合わせてはいない今だからこそ自制が出来る。

 だが一度たりともアの新雪の様に真っ白で白い肌へ指を這わせれば――――ってま、不味い。

 これ以上想像すれば色々と大変な事になる。


 だから無事出産を終え、アンの体調が戻るのを待ちそこで改めてって〰〰〰〰⁉


 考えるだけで勃つのではない俺の愚息よ。

 今はまだ早いのだ。

 解放されるまで今暫し待て――――だ。



 それからの俺達は本当に幸せだった。


 帝国側さえ大人しくしてくれればだ。

 俺達アッシュベリーの騎士は戦う理由がまったくないのだからな。

 ただしだからと言って警備を怠る事はしない。

 そうして平和な時間はアンと共に過ごしていた。


 共に食事をし、これまでのお互いの事を話しお茶をする。

 毎朝と夕方の散歩に時には馬車へと乗って海岸近くでピクニックをする。


 本当に穏やかで静かだった。

 何気ない事がとても温かく、そして何物にも代え難いくらいに幸せな時間だった。

 

 時折ぽこんと彼女の胎を蹴る元気な子を見てはお互いに顔を見合わせ思わず微笑んでしまう。


 まるで自分もこの幸せの中へ混ぜろ……と主張しているみたいだったな。



 そうして冬の寒い季節だった。

 その日は今年一番の寒さで、おまけに雪深くしんしんと降り積もる雪はまるでアンの肌と同じだなと思っていた時にその時は訪れた。


 ぱしゃん


「あ、ああ」

「大丈夫ですよ。これは破水と申しましてもう間もなくお子様とお会いする事が出来ますからね奥方様」


 そう言われるとアンは安心したらしく、暫くは俺も傍で彼女の手を握ってはいたのだがそれも時間の問題だった。


「ここよりは女の戦に御座いますれば、旦那様はどうぞあちらでお待ち下さいませ」


「い、いや俺、は……」


 情けなく慌てふためく俺を見てアンはふと優しげに微笑み……。


「もう直ぐですわ。もう、直ぐ……どうか後でこの子に会って下さい、ませ」


 それから生まれるまで丸一日掛かってしまった。

 俺は屋敷の中を熊の様にウロウロと歩き回ればだ。

 出産で忙しなく動く侍女達から生暖かい目で最初は見つめられていたのだが最後の方は――――。


「少しは落ち着いて下さいませっ。今頑張っておられるのは奥方様なのです。旦那様はお部屋でじっとお待ち下さい」


 アンと然して変わりのないメイドにまで怒られてしまった。

 そうして生まれたのが我がアッシュベリーを次代を背負う男児だ。


 

 


 

 

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