第10話  ある夫婦の物語 Sideアンジェリカ

 王都を出てほぼほぼ休む事無く馬車を走り続けて三日後、ようやくアッシュベリーの領地へと無事入る事が出来ました。


 それから一日半掛けて領主館マナーハウスではなくとても大きな城塞都市でした。


 ぐるりと高い塀に囲われた中にある街は活気に満ち溢れ、皆口々に旦那様の帰りを喜んでおります。


 そうして道中は私の体調も何とか持ちましたがやはり多少無理をしたのでしょうか。

 到着した所で極度に張り詰めていた緊張が解けてしまったのでしょう。

 馬車を降りエントランスへ向かう最中急に眩暈を起こしそのまま意識を失ってしまいました。


「――――アンジェリカ⁉」


 意識を失う寸前私の耳へ届いたのは酷く切なげで心配している様な、まるで悲鳴に近い旦那様の声が聞こえたのは現実?

 それとも夢――――なのかしら。


 現実ではあり得ないわね。

 私達はまだお互いの事を何も知らない急遽決められた政略結婚ですもの。

 それに私は最初から旦那様を意図的ではないにしろ裏切っているのですもの。

 また今回の事で絆を結ぶ為の政略結婚が逆に禍根を残す結果となってしまったわ。


 そう何も利用価値のなくなってしまった私は何時旦那様に追い出されても仕方のない存在。


 でもせめてアッシュベリーへ到着したのであればここは小説で読んだ通りの悪女とやらを何としても演じきり、この地の黒い部分……憎悪や憎しみは私へ、そして尊敬と敬愛は旦那様へと注がれます様にしなくてはね。


 でも一つだけ問題があるのです。


 悪女とは一体どうすればなれるのでしょう。

 小説の中の悪女は全て抽象的で今一つ理解が出来ない……の。


 だけどお優しい旦那様の為に出来る事があれば何でもしたい。

 何故なら兄の許へ帰るしかない私を救って下さったのは他の誰でもない旦那様だから……。





「アンジェ様っっ」


 最初に視界に入ったのは意匠を凝らしただろうとても見事で雄々しい獅子と月桂樹が精密に彫られている四本の支柱と天蓋。

 

 次はその天蓋を囲う柔らかなモスグリーンを基調としたカーテンと傍近くで泣き叫ぶリザの姿。


「……り、ザこ、こは?」


 喉がカラカラで思う様に言葉が紡がない。


「ここはアッシュベリーですよ。領都を囲うお城の中にある一室ですわ」


 そう答えながらリザは私へ白湯を飲ませてくれた。


「私はどうして……」


 ここにこうしているのだろう。

 目覚めたばかりで今一つはっきりしない。


「お倒れになったのです。陛下より逃れる為とは言え四日、いえほぼ五日ですわね。身重のお身体で無理をし過ぎたのと極度の緊張故にお倒れになったのだと医師が申しておりました」


「そう……ですか」


 多分そうなのかもと徐々に頭の中がはっきりすると同時に倒れた事を思い出します。

 そしてここにこうして寝かされているという事は医師の診察もされたのだろうと。



 穢れた身。

 まして兄の子を孕んでしまった女を旦那様は一体どうされるのでしょう。

 

 王妹と言う立場もですがお優しい旦那様が私を処分すると言う事はないと思います。


 ですが王家とアッシュベリーへ絆をもたらすのではなく、確実にあの日亀裂を生じさせてしまった私と言う存在がまさかの傷物だと知った旦那様の怒りは如何ばかりなのでしょうか。


 それを含め諸々を考えれば到底私から旦那様へ会いに行く等出来ません。

 またそこまでの厚顔でもありません。



 悪女の道も考えましたがお腹の大きな悪女……って小説の中には一つも存在しなかったわ。

 でも現実に私のお腹は日々少しずつ大きくなっているのです。

 一体これからどうすればいいのか皆目見当がつかないのです。


 身体を無理やり拓かされたのも初めての行為ならば、こうして子を孕むのも初めてなのです。


 相談したい母はもうこの世にはおりません。

 私の頼みとなるのはリザだけ。


 旦那様に縋り付くのは王女としての矜持もですが色々と大事になってしまいえばもう度の様に動けばいいのかわからないのです。


 そうした結果こうしてただただ泣くばかりの生活。


「旦那様と一度お話し合いをされては如何でしょう」


「だ、駄目っ、それだけは駄目です!! これ以上旦那様に、アッシュベリーに迷惑を掛ける事なんて出来ません」


 これは嘘偽りのない心からの想い。

 あの日助け出して下さった旦那様へこれ以上何をお願いすると言うの。

 

 とは言え私はまだ16歳になったばかりの小娘。

 具体的に何が出来るとも言えない吹けば飛ぶ様な存在。


「ああいっそ今直ぐ死ぬ事が出来ればどの様に幸せでしょう」

「アンジェ様っ、どうかお心を強く持って下さいませ!!」


『駄目、駄目よリザ。私はあの夜お兄様に侵された日より私の心は死んでしまったのですもの」


 

 そう、全てはあの狂った夜。

 あの日から私の心は死んでしまったのです。


 

 


 

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