推しがとうとい

くにすらのに

第1話

 Tシャツ良し。髪型良し。口臭なし。

 今日は待ちに待った推しとの接近戦、握手会だ。

 

 奇抜すぎる服装や髪型は恰好した覚えてもらえない。シンプルにライブTシャツを身にまとい、髪型は普段通りのクセのないもの。歯と舌をしっかり磨いてブレスケアを一噛み。


 仕事に行く時以上に気合を入れて身だしなみを整える。

 正直、就活の面接よりも緊張する。


 御社に嫌われても内定をもらえないだけだが、推しに嫌われたら生きがいを失ってしまう。


 楽しみ気持ちと同時に胃袋をギュッと悪魔に掴まれたような不安感を抱えながら自分の順番を迎えた。


「あ、来てくれたんだー」


 俺の推し、尊さの代名詞であるかすみんの目の前に立つ前に彼女の方から言葉を掛けてくれた。


 腰の高さで小さく手を振る姿が可愛い。

 その小刻みに揺れる手に思わず視線が行ってしまう。あくまでも俺は手を見ている。ミニスカートから伸びる太ももはたまたま視界に入っただけだ。


 もし俺が犬だったらその白い太ももに遠慮なく頬ずりしている。来世は犬になろうと決めた瞬間だ。


「もちろんですよ。あれだけ最前でガッツいて接近戦に来なかったら恥ですって」


 制限時間30秒のカウントは立ち位置に付いてからなので数秒ほど得をしてしまった。足しげくライブに通い、貴重な接近戦に全て参加してきた甲斐があったというものだ。


「かすみんね、今日キミに聞いてみたいことがあったの」


「え? なんですか」


 ファンが推しに質問することはあってもその逆というのは聞いたことがない。

 俺に聞きたいことがある。つまり完全に認知してくれているということだ。


 質問内容もさることながら、かすみんが今日という日のために質問を用意してくれていたことが嬉しかった。


「思い切ってきくけど、かすみんのどこが尊いの?」


 趣味とか好きな食べ物とか差しさわりのないことを聞かれると思っていたので、予想外な深い問い掛けに俺は言葉を失ってしまった。


「よく尊いって褒めてくれるけど、ねえねえどんなとこ?」


「それは……」

 

 彼女の大きくて澄んだ目をじっと見つめる。

 あ、やっぱ可愛い。あと恥ずかしい。日常生活で人と目を合わせられない男が挑戦していい代物じゃない。


「まず目が可愛い」


 その言葉は自然と出てきた。自分が感じたものを脳の検閲を通さずに口から発した。


「もちろん顔も。あと歌がうまい。アイドルにしてはとかじゃなくて、ボイトレとかしてるんだろうなって言うのを感じるんだ。デビューの頃に比べて明らかに声量も出てるし音程もぶれなくなった。きっと見えないところで努力してるんだろうなっていうのが伝わってきた。ダンスだってカッコいい。先月のライブは土下座するのも忘れるくらい見惚れちゃった。それにトークも面白い。かすみんのことを知らない人でも楽しめると思う。SNSでめっちゃオススメしてるからリスナーも増えると思うよ。あとは……」


「ストップストーップ! そこまで具体的に褒められるとかえって恥ずかしいよ。これからも尊いって言って。尊んで」


「かすみん尊い!」


「そうそう。ほら、あといつもみたいに土下座土下座」


 ぴょんぴょんと跳ねながら俺に土下座を命じるかすみん。

 オールスタンディングのライブハウスみたいな雰囲気の場所ならともなく、こういった握手会の静かな会場ではちょっと気が引ける。


 しかし、推しが目の前で土下座を見たがっている。それに応えなかったらオタクじゃない。


「かすみん尊いよー!」


 いつもの掛け声と共に俺は床に額を擦り付けたあと、チラリと頭を上げて彼女の反応を伺った。


 その結果、見えてもいいパンツが見えてしまうのは仕方のないことだと思う。この場で土下座を要求したのは彼女の方だ。


 本来ならひらひらの布で隠されている太ももの付け根が尊い。

 見えないものが見える。そういうところに人間は喜びを感じるのだ。


「はい。時間でーす」


 スタッフさんに肩をポンと叩かれ退場を促される。

 土下座してスカートの中を覗いているのに優しく家に帰してくれるのだから本当にありがたい話である。


「またねー。これからもかすみんを尊んでね」


「もちろんです!」


 小さくガッツポーズをしながら自分が出来うる限りの爽やかな笑顔で俺は会場をあとにした。

 今日も推しが尊い。



 私のどこが尊いの?

 推しがいにあなたならどう答えますか?

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