第6話 帰還

 パソコンのキーボードを打つ音。コピー機の音。人がひっきりなしに移動する音が飛び交う暁月出版の政治部で、ひときわ大きな声が響いた。


「おい、安食ぃ」


 名前を呼ばれた男はデスクから顔を上げた。


「こっちに来い」


「はい、今、行きます」


 そう言って男は立ち上がり、編集長の元に向かった。


「なんでしょうか。編集長?」


「なんでしょうかじゃねぇよ」


 編集長と呼ばれた暁月出版の政治部の編集長・新井昇はデスクを思いっきり叩き、男……安食啓介に怒鳴った。


「お前、いつになったら記事を書き上げるんだ。でっかいネタがあると言うからお前のページを作っていたんだぞ」


「わかってます。しかし、まだ記事にするには裏取りが……」


「なら、さっさとその裏取りをしてこんかあ」


 新井編集長の激高に安食は逃げるようにデスクに戻り、荷物を持って政治部から出ていった。


「あっ先輩」


 廊下に出たところで長い黒髪の女性が近づいてきた。


「田中か」


「先輩、お久しぶりです」


 彼女は田中詩季、安食の一つ下の後輩で教育係として一年一緒に仕事をした仲である。その後、配属替えにより、彼女はオカルト部に異動となり、現在、活躍しているという。


「この前のなんだっけな。そうだ、雲鏡寺の記事。読み応えがあって面白かったぞ」


「本当ですか。嬉しいです」


 田中は嬉しそうに笑った。


(オカルト部に行くってなった時は不満そうな顔をしていたが、やりがいを持てるようになったようだな)


「先輩、なんか顔色悪くないですか?」


 そう思っている内に田中は自分にそんなことを言ってきた。


「さっき編集長に怒られていたのが原因なんですか?」


「いや……そういうわけではなくてな……」


「そうですか。なら、せっかくなんで先輩一緒にご飯食べに行きましょう。美味しいお店見つけたんですよ」


 後輩の言葉を聞いて、安食は少し躊躇しつつも、せっかくの後輩からの誘いのため一緒に行くことにした。


「ここです先輩」


 彼女が連れてきたのは夢幻堂という食堂である。最近、出来た食堂であるが、中には多くの客が思い思いの料理を食べていた。


「ここなんでもあるし、安くて美味しいんですよ」


 田中はメニューを広げながらどれにしますと言った。


「そうだな……」


 安食はメニューを開き口元に手を当てながら選ぶ。


「私、ナポリタンにしようっと。あっ先輩。千円で食べれるステーキありますよ」


「いや、俺は鮭定食にしようかな」


 そう言って安食は鮭定食を頼んだ。


「先輩、今追っているのはなんなんですか?」


 田中はナポリタンを食べながらそう尋ねてきた。


「ここだけの話だぞ」


「わかってますって」


 安食は少し顔を寄せて言った。


「喰田正一の賄賂疑惑を追っている」


「喰田正一って今、次の総理大臣筆頭って言われている大物政治家じゃないですか」


 喰田正一。年齢は五十六歳。現与党で力を伸ばしている大物政治家で、次の総理大臣筆頭と言われ、次の総裁選に出れば当選確実とまで言われている。


「そうだ」


「でも、賄賂疑惑って本当なんですか?」


「ああ、本当だ。しかもその賄賂を渡しているっていうのが鬼頭グループなんだ」


 鬼頭グループは葬祭事業を中心に日本の各都道府県に事業所を広く展開して実力を伸ばしているグループである。


「そこと賄賂の受け渡しがあったんですか?」


「ああ、ある道からの情報が確かならばな……」


 そこまで言ったところで安食は口元に手を当てた。


「大丈夫ですか先輩?」


「ああ、大丈夫だ。最近、食欲が無くてな……」


「そうだったんですか。もしかしてお誘いしてしまって……」


「そんなことは気にすることは無い」


 落ち込む田中に安食は優しくそう言った。


(それに食欲が無いというのは嘘だしな)


 田中には食欲が無いと言ったが、それは正確ではない。食欲はあるのである。しかし食べ物を見ると吐き気を覚えて食べれないのである。


 最初は特に気にしていなかったが、段々と酷くなっていっており、一日一食、食べれれば良いという日が増えていた。その一方で食欲は残っており、食べたいのに、食べれないということが続いていた。


 流石にこれは何らかの病気かと思い、病院に行って診察を受けたが、そこでの診断は精神的なものであるとして薬をもらっているが、中々この状態は変わらずにいた。


「今日はありがとうございました」


 結局、安食は鮭定食を完食できず、田中と一緒に店を出た。


「ああ、良い気分転換になって良かったよ」


「それなら良かったです。では、頑張ってください」


 彼女がそう言って離れるとそこで目の中にゴミが入ったのか目に痛みが走った。


「痛っ」


 田中はカバンから手鏡を取り出し、自分の目を見る。その時、僅かに白い影が映った。


「えっ」


 彼女は驚き、振り向くがそこには先輩・安食の背が見えるだけであった。












 後輩との食事から数日後の夜、安食は記事の裏取りのため喰田を追っていた。


 そんな中、喰田は密かにある場所に向かっているという情報を得て、向かうとそこには大きな屋敷があり、調べてみると、


「鬼頭グループの総裁の屋敷……」


 やはり喰田と鬼頭グループには繋がりがあったのである。


「確か鬼頭グループの今の総裁は……ウェンディ・カリバン……」


 ウェンディ・カリバン。アメリカのボストン出身の女性で今は亡き鬼頭和彦の妻で、夫亡きあとグループの総裁となり、かじ取りを行っている女傑である。


「そういえば、喰田正一も数年前に奥さんを亡くしていたな……その二人が密会か……」


 賄賂どころか別の関係さえもあるのではないだろうか。そんな下世話な考えが思い浮かびながらも、屋敷の中は大きな塀に囲まれているため写真を撮ることは不可能であろう。


「仕方ないか」


 今日は少なくとも喰田と鬼頭グループの総裁が私的に会う関係のようであることがわかった。それだけで良いだろうと思った瞬間、


「うっ」


 後ろから何か衝撃を受け、安食は倒れた。その後ろには黒服の男があり、気絶している安食の体を抱えると屋敷に向かっていった。













 喰田は五十代とは思えない若々しい体らしく力強く屋敷の中を歩いていき、扉を開くと、そこには白い髪の女性と茶色のコートの男がいた。


「ふん、ゲッケイジュか」


「これはこれは喰田大先生ではありませんか。私などの名前を覚えておられるとは……」


 ゲッケイジュが手を合わせて言うのを喰田は無視しながら白い髪の女性……ウェンディ・カリバンを見る。


「なぜ、この男がいるのだ?」


「ちょっとした野暮用でして、すぐに立ち去りますのでぇ」


 ははあとばかりの態度でゲッケイジュはそう言うのを喰田は鼻で笑う。


「もう準備が終わったようですわ。ゲッケイジュ様。こちらを持って行けば、すぐに持って行くことができましょう」


 ウェンディはそう言って紙をゲッケイジュに渡す。


「では、頂きますね。今後ともよろしくお願いします」


 ゲッケイジュはそう言って部屋から出て行った。


「いやはや、全くあいつが体を失うから……こんな臭いところに来なくちゃいけないんだよなあ」


 彼は愚痴りながら駐車場まで行き、大きな荷物を黒服から受け取る。そこで男を抱えている黒服が通りかかる。


 それを見ながらゲッケイジュは呟く。


「少し、こいつら増えすぎているかもしれんな……」










 喰田とウェンディはメイドの案内を受けながら大きなテーブルに迎え合わせの形で座る。


「ゲッケイジュなんぞといつまで関わっている」


「あの方とはビジネスですの。金払いもよろしいですし、とても知識のある方ですのよ」


 ウィンディはメイドに食事を運ぶように指示しながらそう言う。


「ふん、どうだが。私はあのような男は好かん」


 喰田の言葉にウェンディはくすくすと笑う。


「それでどうです。最近は?」


「順調だ」


 食事が運ばれ始め、料理に手を付けながら喰田はそう言う。


「少子化対策を元にした改正案ももうすぐ通るだろう。これによって更に私の人気は上がり、次の総裁選に向けた手回しも十分。もはや私が総理大臣になるのは時間の問題だろう」


 喰田は深紅のワインを飲み干し、じわりと血が溢れるステーキを口にする。


「そうね。この前のニュースでもそのように言ってましたわ」


「そうだろうな。全く、愚かな群衆はいつでも強いリーダーシップが発揮していると思えば、誰もがそれに縋りつこうとする。全く、実に愚かだ」


「ふふ、そんな愚かな群衆の上に立つのでしょう。あなたは」


「そうだ。それが本来のあるべき形なのだからな」


 彼は深紅のワインを注がせながらそう言う。


「愚かな連中は自分たちこそがこの星の頂点であると思い込んでいる。全く愚かなことだ。我々こそが食物連鎖の頂点だと言うのになあ」


 そんな彼の言葉を聞きながらウェンディも深紅のワインを飲む。


「既に我々の同胞の多くが世界の上位のポジションに着き始めている。このまま行けば、この国だけでなく、この星全てを我々が有し、主導していく。そして愚かな群衆は愚かな家畜と成り果てるのだ」


 二人は不気味に笑い合った。


 そこに黒服の男がやってきてウィンディに耳打ちをした。


「連れてきなさい」


 その言葉に黒服の男が頷き、部屋から出て行く。そして少しして男を抱えて戻ってきた。そして男を下した。


「最近、喰田様。お嬢様の周りを探っていた者です」


「ほう、そうであったか。さっさと解体してしまえば良かろう」


 喰田は何の躊躇もなく、そう言った。


「お持ちなさい」


 するとウィンディは立ち上がり、気絶している男……安食の元に近づく。


「どうやらあなたたちは連中の中にいすぎて鈍ってしまっているようですわね」


「何?」


 彼女は安食の頬を撫でる。それを見て喰田は目を開くとなるほどとうなずく。


「そうか。そうであったか」


「ええ、そう」


 ウィンディは優しいほほ笑みを浮かべながら頷いた。












「うぅここは……」


 安食は僅かな痛みを感じながら目を覚ました。そこには白い髪の女性が優しい微笑みを浮かべていた。


「お目覚めになられたのですね」


「あんたは?」


「私はウェンディ・カリバンですわ」


 安食は驚く。


「あんたが……」


「そこまで驚く必要はありませんわ。私とあなたは同胞なのですから」


「な、なにを言って……」


(同胞……何を言っているんだ?)


 動揺する安食の目の前に黒服の男が食事を乗せた皿が置かれた。それを見た瞬間、安食は目を見開き、口の中から溢れんばかりの涎がたれ始めた。


「なんて……なんて……」


(美味しそうなんだ)


 それは本来、可笑しかったはずであった。あれほどどんな食べ物を前にしても吐き気を覚え、食べようと思えなかったにも関わらず。目の前の料理にこれほど食欲を刺激され、喰らい、しゃぶりつくしたいと思うのだろうか。


「さあ、食べてよいのですよ」


 ウェンディは聖母のような微笑みを浮かべながら彼にそう言った。


「しかし……」


 溢れだす食欲がありながらも安食が踏みとどまろうとするのは目の前の料理から異臭がするからである。嗅いだことの無い。いや、義父が亡くなった際に嗅いだことのあるような。


「躊躇することはありません。これを食すことが本来、あるべき形なのです。さあ、あれを見なさい」


 彼女が指さした方角を見るとそこには数多くの絵が飾られており、その中の一枚を見た。その絵には人ならざる存在が数多の屍を喰らう姿が描かれていた。


 それを見た者は誰もが嫌悪感を顕わにし、不快さを訴えるであろう。それほどの悍ましさのある絵であった。しかしながら安食の目からは涙が流れていた。


(なんで俺はこの絵に感動しているんだ)


「さあ、どうぞ」


 ウェンディは料理が乗せられている皿を差し出す。その瞬間、安食は皿の上にある料理に貪り始めた。


「旨い。旨い。旨い」


 何度もそう言いながら、彼は料理を貪っていく。その姿にウェンディは彼に手をまわし、抱き寄せる。


「ああ、長く苦しかったことでしょう。たんとお食べになさい」


 やがて周囲から拍手が鳴り響く。


「我らが同胞よ」


 その中には喰田もいる。


「汝は帰ってきたのだ。我々の元に」


「帰ってきた……」


 口の周りを赤く汚しながら安食は呟く。


「そうです。あなたは帰ってきたのです。我々の元に」


 ウェンディは彼を抱きながら彼の頭を撫でる。彼女の言葉とその仕草に安食は涙を流す。


「俺は……俺は……」


「大丈夫よ。ここならあなたは苦しむことは無いのだから」


 彼女はそう言って顔を上げ、絵を見る。彼女が見る絵には自分達の子供と取り替えてきた人の子供に、自分達と同じように屍を喰うことを教えている光景が描かれていた。


「おかえりなさい。私たち人鬼の世界へ」






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