第4話 雲鏡寺

暁月市にはちょっとした噂がある。暁月市の中央部にある暁月山にある雲鏡寺に行くと生まれ変わることができるというものである。


 生まれ変わるというのがどういう意味を指すのかと言われると、それは答える人によって違う。自分のコンプレックスが無くなったとか。前向きに生きれるようになったとか。そんなものであった。


 しかしながらその生まれ変わったという者の中では、一世を風靡したアイドルもいたというのである。


 そのため信じる者も多く、小さなお寺で、そこに至るまでの山道もそこまで整備されているわけではないにも関わらず、参拝客は多い方であるという。


 そんな不思議な噂のある雲鏡寺に興味を覚えた者が一人いた。


 長い黒髪をたなびかせる赤い長袖を着た女性が、カメラやらなんやらを入れたリュックを背負って山道を歩いていた。


 彼女の名前は田中詩季という。暁月市の南部にある暁月出版のオカルト雑誌『エイポン』の編集部に所属している記者である。


 元々彼女は政治部や報道部といった花形の部署に所属したいと思っていた。同期は皆、その部署にいる。


「なんで私が……」


 同期での飲み会に参加しても全く、楽しくはない。逆に惨めにさえ思うほどである。


(さっさと部署を移動になって政治部などで活躍したい)


 記者として政治家や警察の汚職を追求していきたい。そして、世の中を少しでも良くしていきたい。それが彼女の夢である。


(私の優秀さを見せつけていけば、きっと……)


「きっと……あいつも見つけ出すこともできる……」


 幼少の頃、燃え盛る炎の中で、嘲笑う姿を思い出す。おぞましきあの事件を起こした犯人。自分の両親の命を奪い、のうのうと生きている犯人。その犯人を捕まえることのできない警察ども。どちらも彼女にとっては許せない存在である。


「いずれ……」


 自分が犯人を見つけ出し、相応の裁きを与えてやる。


 彼女はそう思いながら山道を登っていった。


「結構、時間がかかるわね……」


 そこまで高い山ではない暁月山でありながらもカメラが入ったリュックを背負っているためか。山登りになれていないせいか、だいぶ疲れてきた。


「少し休もう……」


 ちょうど山道の途中で休憩所があり、そこの椅子に腰掛ける。休憩所には複数人の登山客らしき人たちがゲラゲラ笑いながら会話してたり、老人が一人静かに座っていた。そんな彼らを田中詩季は手で首元を仰ぎながらそれを見る。


(登山が目的な人ばかりって感じね……)


 ここ暁月山は登山客にも人気のある場所である。彼女はそう思いながら休憩所にある暁月山の地図を見て、雲鏡寺までの道筋を確かめる。また、そこには雲鏡寺の概要についてこのように書かれていた。


『雲鏡寺がここ暁月山に建てられたのは約六百年前のことである。かつて暁月山を中心に悪しき物たちが争い、様々な悪さをしていた。そこに修業中の一人の僧侶が現れ、照魔鏡でこの地を照らすと数多の悪しき物たちは退散していったという。その後、僧侶はこの地に身を落ち着かせ、寺を建てた。僧侶が死んだ後、その僧侶の弟子たちは師匠の照魔鏡を祀るようになったため、ここ雲鏡寺には鏡を祀られているのである』


 それを見ていると老人が話しかけてきた。


「雲鏡寺に行かれるのですかな?」


「ええ」


「そうでしたか。何故、行かれるのでしょうか?」


 老人がそう訪ねたため、田中詩季は自分が記者であることを伝え目的を伝えた。


「ここ雲鏡寺にある噂を聞きまして、なんでもここに行くと生まれ変わることができるとか……」


「ええ……できますよ……」


 彼女は老人の言葉に目を丸くする。彼女は今回の噂をそこまで信じてはいないため、急に老人がそのように言い出したため驚いたのである。


「あそこに祀られております鏡はかつて僧侶が魔を祓うのに使いました……だが、それによってその鏡は多くの魔を宿すことになってしまった……」


 老人はそのように話し始めた。


「僧侶が生きている間は悪さをしなかったが、僧侶が死ぬと悪さをするようになった。その悪さとは人を惑わし、人をまるで別人のように変えてしまったというものです」


 ここまで聞いて彼女ははっと我に返り、メモを取りだした。


「そのため僧侶の弟子たちはこの鏡を封じ込めるため、祀ることにしたのです。ふふ、ここの説明文は少々説明不足なところがあったため語らせてもらいました」


 老人はそのように笑いながら言った。


「いえ、貴重な話をありがとうございます」


 やはり現地で聞く話というものは趣きのあるものである。そう思っている中、老人はこう言った。


「これから雲鏡寺に行くのであれば、もしそこに和尚様がいないのであれば、長居しない方がよろしいですぞ」


 老人はそう言うと立ち上がる。


「それではわしはこれで……」


 彼は軽く会釈すると下山していった。


「和尚様がいなければか……」


 その後ろ姿を見ながら田中詩季はそう呟くと、立ち上がる。


「面白い話も聞けたし、行きますか……」


 彼女は再びリュックを背負い、雲鏡寺へ向かった。









「あれね……」


 少し歩いて、彼女は趣きのある寺を見つけた。雲鏡寺と書かれた門をくぐり中に入る。


「さあ、仕事といきますか」


 カメラをリュックから取り出し、カメラの紐を首にかける。


『和尚様がいなければ、長居はしない方がよろしいですぞ』


 老人の言葉を思い出す。


「取材のためにも和尚様を探さないと……」


 彼女はそう呟き、周囲を見渡す。しかしながら和尚らしき姿が見当たらない。


「すいません。和尚様はいませんかあ?」


 そう声をかけても答える者はいない。それどころか……


「なんか人がいないわね……」


 おかしい。ここまでの道中でもちらほらと人が通るのは見ている。それなら和尚がいないにしてももっと人がいてもおかしくないにも関わらず、不自然に静かである。


 僅かに寒気を感じ始める。


「別の日にしようかしら……」


 別に急いで取材をしたいわけではない。老人の話を聞いてもっと詳しく知りたいと思い始めたところである。なんなら近くの図書館でもう少し詳しく情報を集めてもいいかもしれない。そこからこの地の民俗学などと合わせれば十分に記事にできるだろう。


 そう思い、彼女は門の方を振り向くと自分の姿があった。


「えっ」


 いや、正確に言えば、自分の姿を移した鏡がそこにはあった。


「なんで鏡が……」


 彼女が後ずさると何かにぶつかった。振り向くとまた、鏡である。しかもそれが空に浮いていた。


「なんで……どうして……」


 周囲を見渡すと至るところに鏡があり、自分の姿を写していた。


「何、何、なんなのお」


 自分が先ほどいたはずの寺ではなく、いつの間にか鏡ばかりの空間にいたのである。そのあまりにもありえない事態に彼女は混乱する。


 そんな中、鏡を見ているとあることに気づいた。鏡に写る自分が微妙に違っていることに気づいた。


 ある鏡に写る自分は黒髪ではなく、茶髪であった。肌の色が違う者も、目の色が違う者もいた。


「どういうこと……」


 鏡ならば自分と全く瓜二つの姿を写すものではないか。それなのになぜ、違う姿が写るのだろうか。そうう思っていると鏡の一つで写る自分の一人が、首を傾げた。


「えっ」


 その瞬間、他の鏡に写る自分たちも首を傾げていく。


「なんで勝手に動いているの……」


「なんで勝手に動いているの……」


 自分と同じ言葉が鏡から発せられた。


「声……なんで私の声が別のところから……」


「私だからよ」


 ついには鏡の少し違う自分が話しかけてきた。


「なんなの」


「私はあなた……あなたは私……」


「違う。私は私……あなたたちは私じゃない」


 そう言うと鏡の少し違う私たちは首を傾げた後、笑い始めた。


 無数の鏡に写る自分の笑い声の大合唱に思わず、耳を塞ぎ、しゃがみこむ。


 しかしながらしゃがみこんだ先にも鏡はある。そこにも何処か少し違う私が笑っていた。彼女は目を閉じる。


「なんで閉じるの。なんで私たちを見ないの。私たちはあなただというのに……」


 そんな言葉を鏡たちが発した瞬間、そこから腕が伸びていき、彼女の身体を掴みかかっていく。


「やめて、やめてよ」


「あなたが私たちを見ようとしないから……」


 その言葉に田中詩季は目を開ける。するとそこに写った鏡の自分は、顔に大火傷を負っていた。


 思わず、彼女は悲鳴を上げて自分に掴みかかっている腕を振り払う。すると長袖が破り、長袖に隠れていた火傷が現れた。それを思わず、彼女は隠す。


「それがあなたのトラウマ」


「それがあなたの辛い過去の象徴」


 鏡の自分たちがそう言い始める。


「私はあの時の火事で大火傷を顔に負っただけ……」


 先ほどの顔に大火傷を負った自分を写した鏡がそう言うと、次は腕にもっと大きな火傷を負ったもの。足に大火傷を負ったもの。胸に大火傷に負ったもの。そういった自分が写った鏡も現れる。


 やがて大きな鏡が現れた。鏡と言っていいものなのか。それには無機質な機械的な鏡の顔があった。更に腕や足もついていた。あえてこれに名称をもたらすのであれば、鏡の化身というべき存在であった。


 その鏡の化身の身体には様々なものが写っていた。火事が起こる前の家や。自分が生まれた直後の病院の風景。自分を抱き寄せる母の姿。仕事に行こうとする父の姿。それを追う小さい頃の自分。


 様々なものが写っている。それを彼女は見て涙を流し始める。やがて鏡の化身はあるものを見せ始めた。


 それは父親が何かの瓶を持ってきた風景である。


「あ、ああああ」


 風景が暗転し、家の中にある瓶から何かが這い出てきた。


 頬が赤く、鶏冠を持ち、鋭い嘴を持つ顔、胡麻塩色の羽根を持った鳥が現れた。


 やがてそれは炎を撒き散らしていき、家は業火に包んでいった。


 そこから更に両親を焼き尽くされ、苦しまれる姿が写し出されていき、そして炎が幼少の頃の自分に襲いかかっていった。


 そしてその様を嘲笑うように鳴いている妖鳥の姿が見えた。その悪意のある姿。そして、おぞまじい姿を前に、


「あ……あ……」


 彼女は放心状態となっていた。


 その姿に鏡の化身は首をかしげ、頭の方に腕を持っていき静かにかく。


 それは周囲を見ていき、一つの鏡を指差す。そこに写る田中詩季が頷くと鏡から這い出ていく。そして放心状態の田中詩季を鏡の化身は掴むと鏡の中に入れた。


 鏡から這い出てきた田中詩季を前に鏡の化身はパチンと指を鳴らした瞬間、その田中詩季は倒れ込んだ。










「あれ……」


 田中詩季は目を覚ます。


「ちょっと、なんで私。こんなところで寝ているのかしら」


 彼女は立ち上がり、服に着いた砂埃を払いながら首を傾げる。


「はあシャワー浴びたい……」


「どうされましたか?」


 そこに立派な僧服を着た年配の女性が話しかける。


「あ、なんでもないです。あはは、あのもしかしてここの和尚様でしょうか?」


「ええ、そうです。ここの住職を努めております雲海でございます」


「実は私、こういうものでして……」


 彼女は名刺を差し出す。


「あらまあ記者さんなのですね」


「ここに来ましたのはお話を伺いたいと思いまして……」


「あらあらまあまあ、いいですよ」


 雲海はそう言って彼女に雲鏡寺のことや伝説についての取材を受けていく。


「ありがとうございました。少し写真を取っても?」


「構いませんわ」


 田中詩季は雲海の許可を受けて数十枚の写真を取った。


「では、ここで失礼します。ありがとうございました」


「また、いつでも来てくださいね」


「はい」


 彼女は雲海に頭を下げた後、門を潜り、下山しに向かった。その時、ヨレヨレの茶色のコートを身にまとった男がすれ違う。男はすれ違った彼女の後ろ姿をしばし見たあと、門を潜る。


「あらあらゲッケイジュさん」


「借りていたのを返しに来た」


 そう言って彼は雲海に鏡を手渡す。


「なあさっきの女」


「記者さんよ」


 ゲッケイジュは肩をすくめる。


「あれ、雲外鏡にいたずらされたようだぞ」


「あらまあだから倒れていたのねぇ」


 雲海は彼の言葉におほほほと笑う。


「全く……まあ俺には関係ないがな……」














 田中詩季は翌日、暁月出版に出社し、自分のデスクに座る。


「詩季さん。いつもの長袖じゃないんですね」


 隣のデスクの後輩の男が彼女にそう言った。田中詩季は少し無表情の状態で自分のを見てから言った。


「ええ、少し暑くなってきたからね」


「そうですねぇ。そう言えば編集長が話があるって言ってましたよ」


「そう、ありがとう」


 彼女はお礼を言ってから編集長・高橋清春のデスクへ向かった。


「お話があるとか?」


「ああ、田中か。昨日、お前が出していた異動願いに関しての件なんだが……」


「あ、その件なんですが取り消ししてもらってもいいですか?」


「うん?」


 高橋が首を傾げる。


「そのここで全然、成果を上げていないくせにさっさと出て行くなんて……不義理だし。それに今回、雲鏡寺の取材がとても面白くて、やりがいを感じたんです。編集長、申し訳ありませんが、ここで頑張っていきたいんです」


「おお、そこまで言ってくれるとはな。良いぞ。良いぞ。この世には摩訶不思議なことがたくさんある。その摩訶不思議なことを多くの人に知ってもらうというのは楽しいからな。わかった。あとは私がやっておくから君はその雲鏡寺の記事を書き上げてくれ」


「はい」


 彼女は編集長に頭を下げたあと、自分のデスクに戻っていく。その姿を高橋はタバコを咥えながら見ていき、白い煙を吐き出す。


「ふう、雲鏡寺の怪異に悪戯されたか?」


 彼女の変わりようにそう彼は呟いた。


 一方、彼女はデスクに座りパソコンを開く。


「さあ、書くぞお」


 今回の取材内容を元に記事を書き始めた。



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