第3話 水鏡 後編
田中の事件に受けて再び、蓮田高校に警察が来たため、近くにいた三人は佐々木を含めて事情聴取を受けた。それが終わるとそこでゲッケイジュから電話があり、
『ちょっと取ってくるものがあるから、お前たちの学校近くの喫茶店にいろ』
と言われていたため、蓮田高校近くにいる喫茶店に三人は集合した。
「ゲッケイジュの旦那に田中からハギが知った内容を伝えたんだろう。どうだった?」
ヒイラギが問いかけるとカエデは答えた。
「ゲッケイジュさんは今回の事件で使われたものはある都市伝説にあるものを使ったのだろうって」
「一体、それはなんだ?」
「都市伝説にこういうものがあるの。真夜中に剃刀を咥え、洗面器一杯に張られた水面を覗くと、そこに未来の結婚相手が映るというものが」
「聞いたことあるけど、詳しくは知らないなあ」
ヒイラギがそう言ったため、カエデはゲッケイジュから聞いた詳しいその都市伝説の内容を伝えた。
真夜中に剃刀を咥え、洗面器一杯に張られた水面を覗くと、そこに未来の結婚相手が映るという都市伝説を知った一人の少女がいた。その少女は夜、その噂を確かめようと実行に移した。
深夜、風呂場に行き、洗面器に目一杯の水を入れて、口に剃刀を咥えて洗面器の中を覗いた。すると自分の顔が映るはずのその水面に、なんと知らない男性の顔が浮かび上がった。
元々面白半分で、やった少女は本当に人の顔が写ったことに驚いた。そして思わず、口に咥えていた剃刀を落とした。
剃刀が水中に落ちると、気味の悪いことに水面が赤く濁った。再び驚いた少女は洗面器の水を捨てるやいなや、部屋へと駆け出したという。
やがて十数年後、少女も大人の女性となっていた。
あの日の記憶は中学、高校、大学までの学生時代の楽しい思い出に追いやられ、また近頃は、仕事の忙しさの為に、思い出すこともなかった。
そんな或る日、女性にお見合いの話が舞い込んだ。母親から勧められた相手の条件を気に入り、また相手も彼女に会いたがっていた為に、女性はお見合いを受けることにした。
会って見ると、相手の男性は優しそうな良い人だった。しかしながら男の口には大きなマスクがあった。
(こんな席でどうしてマスクなんかしているのかしら、もしかして風邪でも引いているのかしらね)
彼女は気になりつつも、そのうちマスクを外すだろうと思い、二人は次のデートの約束までした。
一週間後、二人はデートをした。しかしながら男性は一週間経ったにも関わらず、相変わらずマスクを付けてやってきた。そのため女性は言った。
「デートの時くらいマスクを取らないのですか?」
すると、男は、
「何を見ても怖がらないのであれば、いいですよ」
と言った。何を言っているのだろうかと彼女が思っていると、男はその大きなマスクをはずした。
彼女は彼の顔、正確に言えば、頬を見て息を呑んだ。男性の頬には、刃物で切り裂かれたような、痛々しい傷があったのである。
彼女は思わず、男性に聞いた。
「そ、その傷どうされたんですか?」
すると男は一言、
「お前にやられたんだ」
と言ったという。
「最後のオチから先がどんな風になったのかは気になるが、それ以上の話は無いのは実に残念な話だ。まあ怖い話っていう意味ではこれで良いのかもしれんがな」
三人の元に茶色のヨレヨレのコートを身にまとっているゲッケイジュがやってきたそう言った。
「では、この都市伝説が今回の事件で行われたと?」
「恐らくな……対象者が実行者の姿を見ることができる。水面のイメージから連想ができ、かつ即効性があると考えて、これではないかと思う……それに……」
ゲッケイジュはそう言ってから暁月市の西部にある暁月山を見て、呟く。
「雲鏡寺が近くにあるしなあ……」
三人が首を傾げると、ゲッケイジュはこう続けた。
「元々この都市伝説を知った時、考えていたんだ。水面に落ちた剃刀によって頬に大きな傷を残すほどの影響力を与えるのであれば、明確な殺意を持って首元に刃物を突き立てれば、どうなるかってな……まさかこういう形で見ることができるとは思ってなかったがなあ」
彼は鼻で笑う。
「つまり、今回の事件の犯人は将来の結婚相手になりうる相手を殺していったということかよ」
ハギは吐き捨てるように言った。それに対してゲッケイジュは言った。
「結婚相手としては満足できなかったじゃないのか。ほれ、お前たち若いものはガチャを回すのが好きなんだろ。いわゆるこれもガチャみたいな感覚なんじゃないか。いいやつが出るまでってさ」
「結婚相手ガチャって……」
ヒイラギの一言にゲッケイジュは笑う。それに対してカエデは呆れながら言う。
「それで……殺害方法はわかりましたが、犯人は特定できていませんよね。どうしますか?」
「特定は簡単だ。ちょっとした工夫をすればいい」
ゲッケイジュはヒイラギを見る。
「今回、対象者は実行者の姿を見ることができるんだ。それを利用しない手はない」
彼はにやりと笑う。
「呪殺の対象者をお前にして、堂々と犯人の姿を見ようじゃないか」
「ちょっとそれって、ヒイラギ君に死ねってことですか?」
「大丈夫、大丈夫。ヒイラギならな」
ゲッケイジュはヒイラギの首元を見る。ヒイラギはそれに気づき、そっと首元のマフラーに触る。確かに
「ここを狙うとは限りませんよね?」
「わかっている。それを狙って失敗した時のためにお前なんだ。ちょっとお前にこれを持ってもらうことで、お前を対象者として誘導しようと思ってな……」
ゲッケイジュはカバンから鏡を取り出した。
「これは?」
「ちょっと雲鏡寺から借りてきた鏡だ」
「ああ、西部にある暁月山にある寺の……そう言えば、あそこって鏡のお清めとかしてくれるんですよね」
「そうだ。そこで清められた鏡の一つだ」
透き通るほどの美しい鏡面をした鏡である。
「これを持っていれば、お前が呪殺対象者となっても大丈夫だ」
「わかりました」
ヒイラギは鏡を受け取る。
(なんか霊力を感じる鏡だなあ……)
微妙に霊力を感じる。まあ寺に清められているのだから霊力を持つこともある。
「これを持って、お前に対象者を移す魔法陣の上に寝てもらう。さあ今回の犯人の姿を拝むことにするとしよう」
夜、一人の女性は寝室を出て、キッチンまで行くとそこから包丁を取り出した。包丁に無表情な安藤夏江の顔が写った。
彼女はそのまま風呂場へと向かう。そして、洗面台にある父親の剃刀を取り出し、洗面器に水を目一杯入れ始める。
この都市伝説のことを彼女が知ったのはたまたまネットサーフィンをしていて知った。最初は純粋に自分の将来の結婚相手のことを知りたかっただけであった。
彼女には恋人がいた。佐藤孝介である。しかし彼女はその佐藤孝介との恋人生活に飽きていた。
佐藤孝介は勉強もでき、運動もでき、社交的な人物である。しかしながら見た目が普通であった。デートもあまり面白くなく、爪を噛む癖もあるのも嫌であった。それに彼の両親は厳しそうな人で、結婚した後のことを考えると大変そうであった。
彼女は自分にもっと素晴らしい結婚相手がいるのではないか。その人と付き合うべきではないのか。そう思うようになっていたのである。
そこで都市伝説の通りにやってみた。すると水面に佐藤の顔が浮かんだ。
あの佐藤が自分の将来の結婚相手……信じられない。あんな爪を噛む癖があって汚く、デートプランもろくに立てられないし、そう言えば、デートの時、車道側に立ってくれないし、店での食事も割り勘ばかり、あんな女に対しての礼儀もなっていない男が自分の結婚相手、信じらない。
彼女は激怒し、台所にある包丁を持ってきて、水面に写る佐藤の首に振り下ろした。するとどす黒い血が洗面器から流れた。流石に彼女もこれには驚き、急いで包丁を洗って片付け、布団にくるまった。
その翌日、始業式で佐藤は首が取れて死んだ。彼女は罪悪感から泣いた。皆が慰める中、ふとこう思った。佐藤が死んだならば、水面に写る結婚相手はどうなるのだろうかと。
彼女は同じように夜、やってみた。すると洗面器に写ったのは田中静流の顔が写った。
田中静流。顔は悪くない。しかしながら彼は童顔すぎるし、オタクな一面が強い。何より背も低い。彼女のタイプは背の高いイケメンである。言動もなよなよしていて、頼りがいがない。こんな男と結婚しても果たして安定した収入や生活を送ることができるだろうか。
しかしながらこれでわかったことがある。この水面に写る結婚相手は変えることができるということである。このまま続けていけば、自分に本当に相応しい結婚相手を見つけることができるだろう。
彼女の手に握られていた包丁が再び、振り下ろされた。
「ふふ……私は見つけてみせる。私に相応しい人を……」
彼女は洗面器に水が目一杯入ったのを確認すると剃刀を噛み、水面を見る。そこに写ったのは……
(首藤ヒイラギ君……)
顔は悪くない。性格も優しい、勉強も運動もそこそこできる。背も高い方。しかし……
(確か首元に大きなやけど痕があるのよね)
そのためいつもマフラーをつけていると聞いたことがある。
(結婚相手がキズモノってありえないわ)
姿形は完璧でなければならない。それが彼女の結婚相手に望むことである。
(恨みはないけど……)
結婚相手に相応しくないのであれば、殺さなければならない。
「さよなら……」
彼女はヒイラギの首元に向かって包丁を振り下ろした。
ヒイラギは魔法陣の書かれたベットに横たわれていた。その周りにゲッケイジュ、ハギ、カエデがいる。
「まだか?」
「まだです」
ゲッケイジュの言葉にヒイラギは答える。彼の手には雲鏡寺の鏡がある。
「ふむ、深夜に行われたとしても中々効果が出ないなおい」
「出ない方がいんですけどね」
「それじゃあ犯人がわからないじゃないか。わざわざ鏡も借りてきたし特定できないとな……」
呆れるようにゲッケイジュがそう言うとハギはこう言った。
「もしかして犯人はヒイラギが写って、気に入ってしまったとか?」
「えっ」
「ああ、そのパターンもあるのか」
「えっ」
ハギとゲッケイジュの会話にカエデは二人を交互に見て、ヒイラギを見る。ヒイラギは首を振る。
「いやいや無いでしょ」
「そ、そうよね。無いわよね」
(わかりやすいやつだなあ)
カエデの様子にハギはそう思った。
「結構、こいつも顔立ちは整っているからなあ」
「冗談を……」
そこまで言ったところでヒイラギは目の前が水面が揺らぐように動いた気がした。
「来たかもしれません」
「来たか……」
ゲッケイジュはわくわくしたように言った。彼にとっては面白いものが見れるかもしれないのである。彼はヒイラギが持つ鏡を見る。
やがて目の前に暗いながらも何処かの光景が見えた。そしてそこに犯人が写りこんだ。
「安藤夏江だ」
「えっ」
「あの佐藤の彼女か……」
ヒイラギの言葉に二人が驚く中、ヒイラギは自分に向かって包丁を振り下ろす安藤夏江の姿が見えた。思わず、ヒイラギは目をつぶる。しかし痛みも何もない。
目を開けると困惑している安藤夏江の姿が見えた。だが、それ以上にヒイラギは驚くものを見た。
彼女が困惑してから後ずさったところで彼女の後ろに大きなものが現れたのである。その大きなものの全身は鏡で覆われており、様々なものが写りこんでおり、無機質な顔が安藤夏江を見つめていた。
それに気づいた安藤夏江が振り向くと鏡の化身に写る何かを見た。瞬間、悲鳴を挙げた。そこで風景は見えなくなった。
「安藤が……」
ヒイラギが起き上がりそう言った。それに二人が驚く中、ゲッケイジュは言った。
「呪い返しに成功したようだな……」
彼はヒイラギの手にある鏡をちらりと見たあと、茶色のコートを纏った。
「お前たちその安藤とやらの家は知っているか?」
「知ってます」
「そうか。では、行ってみるとしよう」
四人が安藤の家に向かうとそこにはパトカーが集まっており、救急車もいた。
「やはり死んだか」
「安藤は死んだんですか?」
カエデがそう言うと安藤の家から青いカバーが被らされた遺体が運ばれていた。家から安藤の両親らしき二人が出てきて、母親の方は泣き崩れていた。
「『人を呪わば穴二つ』、それを踏まえた上で、呪いをかけてかつそれに失敗すれば、その反動は強いものになる。特に今回は縛りが緩かった分、呪い返しに使ったこれに対して対抗することさえできなかったようだな……」
ゲッケイジュはヒイラギが持ってきた鏡を見ながら言った。
「この鏡が呪い返しにって一体、この鏡って……」
「鏡自体はなんでもないんだがなあ……」
彼は雲鏡寺の方を見る。
「あそこの寺が祀っているものって知っているか?」
「鏡って聞いたことがありますけど……」
ヒイラギの言葉にゲッケイジュは頷く。
「そうだ。だが、鏡ではあるが、実はただの鏡ではない。雲外鏡という妖怪になったものを祀っているんだ」
「雲外鏡……魔を見抜く照魔鏡が妖怪に転じたというあれですか。もしかして安藤の元に現れた鏡の化身って……」
ヒイラギは恐らく安藤を死に追いやったであろう鏡の化身の正体がその祀られている雲外鏡ではないかと思った。
「そうだろうな……本来、あの都市伝説に呪殺を為せるほどの力はなかったはずなんだ」
「それじゃあなんで、佐藤と田中を殺せたんだよ」
ハギがそう言う。
「だからその雲外鏡の影響さ。あの雲外鏡は祀られていることから従来の雲外鏡よりも遥かに強い力を有しているようなんだ。その力の影響がもたらされたことであのような真似ができるようになってしまった」
「なぜ、雲外鏡の影響を受けたんですか。雲外鏡とは関係無いですよね?」
カエデの疑問にゲッケイジュは答える。
「あの都市伝説は一種の水鏡の性質があるんだ。水鏡に未来が写るというものはよくある話の一つだしな。まあそう言うのは本来は寺の近くの滝とかで生じる水鏡なんだが、あの都市伝説は擬似的な水鏡を作ることができる。その水鏡に更に影響を与えたのが雲外鏡ってわけさ……」
「つまり偶然が重なったということかよ」
ハギがそう言うとゲッケイジュは苦笑しながら頷いた。
「そういうことさ。全く、お騒がせなことさ……」
ゲッケイジュはヒイラギに持たせていた鏡を取る。
「俺はこの鏡を返してくる。じゃあな……」
そう言って彼は雲鏡寺へと向かった。
「なあヒイラギ……安藤はどうしてこんなことしたんだろうな」
「さあ、どうだろうな……最後の言葉でも聞いてみたら?」
ハギはそう言われ、安藤の遺体が運ばれた救急車に向かって手をかざす。
「『なんで……どうして……」だそうだ」
「皮肉ね。自分が殺した二人のような言葉なんて……」
「そうだな……」
カエデの言葉にハギは頷き、ため息をつく。
「帰ろうぜ……」
ハギはそう言って安藤夏江の家に背を向けて歩き出した。
「そうね……」
「うん、帰ろう……」
二人も安藤夏江の家から去っていった。
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