第十五章 一つに
AIの消滅は誰の目にも明らかだった。それと同時にSHINの消耗も露わになっていた。命が、流れ出していた。
「いや、そんな、AIさぁぁん!」
天野がAIだった水たまりに駆け寄ろうとする。
「クルス、ジャスティス、最大火力で攻撃を!」
それを遮るのは友氏の叫び。すぐさま只野が応えてその燃える拳を繰り出す。真芯で捉えた拳からさらに爆薬が悲しみの雄叫びを上げ、弾け飛ぶSHINの断片がでたらめな鎮魂歌を鳴り響かせる。
「救えぬなら、せめて敵をとらねば正義など名乗れぬ!」
さらなる追い打ちの構えを見せる只野の姿に、天野も自分が本来やるべき事を思い出す。
「結局私達は食うか食われるか。私にあなたは分からない。あなたに私はわからない!」
咆哮とともにプラズマカノンが放たれる。怒りと悲しみが場を支配していた。そして最後には怒りの炎が悲しみの涙に溶けきらなかった電光をも焼き尽くした。
室内――壁に大穴がいくつも空いたこの空間をまだ部屋と呼べれば、だが――は凄惨な有様だった。床も壁も焼け焦げていない面積の方が少なく、ありとあらゆる照明、電子機器、椅子や机と言った家具、果ては消火器に至るまで原型を留めているものは何一つなかった。それはそこに立つ者たちも同じであった。白のコスチュームも銀のベルトも血の赤に塗れた男、ひしゃげた仮面の中から血と腕を引きずる少女、茶色の皮膚が黒く焦がされ全ての棘が根本から折り取られた青年、そして――
「何故だ、何故だ! お前たちは何故そのような理解不能な行動をする! しかもお前たちのうち誰一人として分かり合っている者はいないではないか!」
存在を保てず足先から無に還ろうとしている男が膝をつき叫ぶ。もはや立ち上がることすらできない。だが帰るところのない感情がその口から吐き出される。自身があれだけ忌み嫌った”言葉”によって。
「私には分からなかった。あの時彼女が私の理論を信じて身を任せてくれたのか、失敗を分かって身を差し出したのか。ついぞ分からなかった! 分かりたい! 解りたい! 言語の障壁などに邪魔されることなく理解したかったのだ!」
あまりの剣幕にもはや力は残されていないはずのSHINに対し、誰も言葉を発する事ができない。
「それは、分かるよ。」
唯一言葉を述べたのは友氏だった。それもSHINへの賛同の言葉。他の二人は会話よりとどめを優先すべきと感じたが体が言うことを聞かない。
「分かるけど、それじゃだめなんだ。」
理解を示したかに見えた言葉は一転して否定へと繋がる。
「確かにあの時僕は彼女の気持ちを理解したかった。叶うことなら今でもしたい。」
自分のせいで最愛の人を失った者同士、友氏にはSHINに対する共感があった。だがその壁を乗り越えようとしたSHINと、その壁の前で祈り続けることを選んだ友氏とでは歩む道が異なった。
「それならば何故! 私と君は分かり合えるはずだ。同じ過去を持つ者、最愛の人を自ら葬った呪われた同族として!」
SHINの言葉はもはや祈りとして響いていた。友氏も返す言葉を探すがその間にも孤独な祈りは続けられる。
「完全なるコミュニケーションによる理解! それこそが我が悲願。言葉とは、実に不完全なコミュニケーション手段だ!」
「あーあーちょっとスピーカー借りるわよ。あんたそんなもんねぇ、さっきのAIサン見てたらわかるでしょ!貴方のために命張ったのよ!」
反論は意外なところから出ていた。友氏の通信機を介して須磨が叫んでいた。無理な音量の上げ方をしたせいで友氏は目を白黒させているが構わず須磨は続ける。
「あの子はちゃんと貴方に伝えていた。それは貴方が信じられなかっただけでしょう。」
「信じる? 言葉を、信じるなど……」
それは奇跡だったのかもしれないし、偶然だったのかもしれない。AIであった水たまりが身をよじるように動かし、懸命にSHINの方へと向かっているように見えた。少なくともSHIN本人にそう感ぜられた。そしてその事によって全ての幕が下りようとしていた。
精気の戻った顔でSHINが友氏に向き直る。腕を使って這うように近づく。もはやその下半身は虚空へと消えていた。天野が歪んだ目庇を上げ照準を向けるが友氏は制止する。そして友氏の足元で語りかける。
「
SHINの口から出たのは信じられない言葉だった。
「何を、言って。」
「私はもう戦闘で傷つき、エネルギー供給も絶たれ、もはや存在を保つのですら困難を伴う。だが私はまだ生きる。お前に喰われ、AIとともにお前の一部として生き続ける。そこに新たな人のコミュニケーションの可能性を見たい。」
「あなたも、僕に荷物を背負わせるのか……」
「そうだ、そうやって人は生きると、学んだのだ。お前と……AIから。」
言葉の最後は弱々しく、風に流され誰にも聞こえなかったに違いない。
そしてもはやそこに言葉は必要なかった。友氏はまずAIであったものにそっと手を触れる。もはや命とは呼べないそれだが、まだ優しい暖かみが残っている。両手で掬い、口に含み、飲み干す。僅かだが飢えが満たされるのを感じるということは、そこにはまだ精髄の欠片が残っていたのだろう。二度、三度と繰り返し、さらには手の形を変形させて地面の水滴を飲み切る。儀式めいた光景にあの只野ですら声を発せない。
いよいよだった。SHINは最後に一度だけ肯くとそのまま頭を下げ動かなくなった。
すぱん。その首を剣のように変化した腕で斬り落とす。そのままさらに体を細切れに刻んでいく。そして一つを突き刺し口へと運ぶ。その味を感じた時友氏の口からは叫び声が飛び出していた。その肉はあまりに美味でみるみる飢えが満たされていくのを感じる。それはつまり自らの捕食対象――生への渇望、生きたいという意思――に強く合致しているということ。彼の最後の言葉が強がりでなく、本当に自分の中で生きようとしてる事、それが自分だけは確かにわかる事、その事実に対する慟哭が友氏の口から出ることを止められるものは何もなかった。
これが最初の捕食ではない。これからもきっと沢山の屍肉を喰らって生きていくのだろう。そのいつか途絶える血塗れの道の中で今回の捕食はきっと忘れることはないだろう。そして、思い出す。始まりの捕食、恋人を食べたという消えない汚点。あの時の肉のなんと味気なかった事か。彼女はとっくに生を諦めていたのだろう。死してなお生きようとする目の前の存在との味の差に愕然としながらも、獣の誘惑を人の意志で嗜めながら食事を進める。
さらに何切れかの肉を食べ、全く飢えを感じなくはなったが、それでも友氏はSHINであったものを食べ続けていた。彼には食べ尽くさなければならないという強い義務感があった。腕、足、胴、そして最後に一言「ありがとう」と言って頭を口内へと押し込んだ。ここれをもって信と愛は飲み込まれ、そして一つとなった。それで全てが終った。友氏の心に、言葉にならない傷と相互理解への飢えを残して。
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