第十一・五章 衝動
夜の街を見下ろす
「無用な力を使ったな。」
眼下の景色に向かって呟く。しかし彼の場合力を使い過ぎて消耗するということはない。その逆、力の使用によって余計なものが溢れてきている状態である。
食欲。人肉を貪りたいという抗い難い欲望。人類を次のステップに導こうという自分が僅かとはいえその人類を手にかけただの栄養源としてしまう矛盾を感じぬわけではない。しかもより優秀な頭脳を持つものほど食欲をそそられるという傾向も彼は苦々しく思っていた。この傾向のためもはや自我があるかも怪しい実験の失敗作などではほとんど腹の足しにならず、より優秀な頭脳を他から調達する必要があった。
「保身だけは見事なものだな……!」
このような時に場にいれば間違いなく十分な栄養となるであろう一川の姿は既にない。その脳髄を引きずり出して食い千切るのはまた次回にしなければならない。衝動を抱えたままSHINはタワーを降りる。警備員などに合わないよう注意を払って街へと出る。見つかったところで殺して食うのは簡単だが、そのようなもので満足できるほど軽い飢えには思えなかった。
最小限の捕食で空腹を紛らわせるため最も近い大学へと足を運ぶ。もう夜だというのにいくつもの棟の窓が煌々と光り、内部にいる知的生命体の存在を証明している。入り口はカードキーがないと入れない構造となっているが、それを解除することなど造作もなかった。
手近な実験室へと入り、一人で実験装置へ向かっている学生に忍び寄る。学生はイヤホンをしており、全く異変に気付いた様子はない。SHINがその頭に手をかける事でやっと気付くが、もはやその頭部は人外の膂力によって固定されており振り向くことはできない。その口から叫びが飛び出すより一刹那早く、掴んだ手の指より電流が放たれる。
「お前の事は理解した。だから安心して喰われるがいい。」
それが学生がこの世で聞いた最後の言葉となった。次の瞬間には頭部を掴んでいた手とは逆の手が学生の眼窩に差し入れられる。短い悲鳴と共に学生は絶命するがその声は誰にも届かなかった。差し入れられた指が引き下ろされる事で頭蓋骨の前面が表情筋とともに地面に落ちる。さらに頭頂部を砕き割り、その脳髄を露出させる。
この段階において初めてSHINの口の端が笑顔に歪む。理性では抑えきれぬ本能の欲するモノを前に科学者という仮面は剥がれ落ち、人喰いの獣という本性が顕になる。まだ温かい前頭葉へと口をつける。一口二口と食べ進めるごとに身体が満足していくのが分かる。頭頂葉、側頭葉と食事は続き、後頭葉を食べ終える頃には飢えという衝動は鳴りを潜めていた。
ぼとり、と学生だったものの体が地面に落ちる。冷静になったSHINの目がその死体を見下ろしていた。思い切り足を踏み上げた彼は勢いのままに半分ほどしか残っていない頭蓋骨を踏み砕く。そしてその目にはまた最初のような苛立ちが戻る。足先から紫電が走ったと思った次の瞬間には学生の死体は炎に包まれている。
「私は正気だ……私は、まだ……」
SHINは自らに言い聞かせるように呟きながら去っていく。炎は不自然なまでの速度で残された屍肉を分解し、白い骨と黒い焦げへと変換していく。それは彼が犠牲者に向けた弔いの形でもあった。
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