第十一章 ずれ
「追わないんですか?」
取り残された一川がSHINに問いかける。疑問形を用いてはいるが答えを聞く気はないのか、あるいは聞くまでもないのか、手近な椅子を掴むとそこに腰掛ける。ある意味で言葉を交わさずともコミニュケーションが完了している。
「些事は捨て置け。」
SHINは一川のほうを見もせず答える。その目は先程の戦いの余波で電力が途絶え機能が停止した装置に注がれている。
「それよりも装置の修理と改良が先だ。理性を失ってはコミュニケーションも何もない。出力の微調整が必要だ。さっきの侵入者たちであれば今の出力でも耐えれたかもしれんがな。あるいはお前がサンプルとなるか?」
SHINは侵入者たちと一川をある意味でほとんど区別していない。ただ現時点で使えるものはより確実は方法を確立してから処置に移したいと考えているだけだ。彼の理論が現実を征服するのであればいずれは同じ場所へと導かれるのだから。全ての人類を言葉という枠から解き放ち、ロスのない電気的コミュニケーションの世界へと導くことこそが彼の野望であり理想であり唯一絶対の使命であった。
「さっきのやつらがどうなるかを見てからにしたいところですな。」
一川は嘘か本当かわからない調子で答える。もっとも、彼はいかにも真実という顔で嘘がつけるし、ふざけた表情で真実を漏らすこともあり、その全てが信用という言葉から程遠い。そのまま椅子を回してSHINに背を向ける。
「ふん、お前のおかげでサンプルには困らないが、人類の相互理解という私の理想はむしろ遠のいたよ。」
SHINは一川の後ろ姿を睨みつける。その視線は部下に向けられるような類のものではない。明確な憎悪が乗せられていた。
B.I.N.D.S.”吊られた男”隊支部、そこには傷つき疲れ果て息も絶え絶えに身体を投げ出す四人と、状況の飲み込めていないまま逃げてきた一人がいた。
「無事で、よかった。」
須磨が声をかける。今回は通信越しでなく生身の身体から発せられている。逃走経路を指示した後、全員の無事を確認したくて支部まで駆けつけたのだ。天野の体のあちこちを触って無事を確かめる。
「須磨君か、わざわざすまないね。」
永山は努めて明るく返すがその顔からは疲労と憔悴が消しきれていない。今回、戦力として最も役立たなかったという事実も永山を苦しめる要因となっていた。体の内側から湧き上る果てない逃走への飢餓が精神を苛んでいることは、しかし誰にも気付かれない。
「これから、どうするんですか?」
まだ傷の浅い友氏が尋ねる。その顔から表情は消え、判決を待つ被告のような佇まいだ。その性格から”もう一度行け”と言われればすぐにでも出るだろうが、それは死にに行くだけというのはこの中で最も死に敏感な彼が一番よくわかっていた。
「もちろん再戦だ!次こそは我が正義の拳の塵にしてくれる!征くぞ諸君!」
一人只野が腕を振り上げ気を吐くが、同調する者はいない。先程の戦いでの圧倒的な力を前にして、勝てない事がわからない程愚かな者はいなかった。それは只野ですら同じで、ただ刺し違える覚悟を持てるかどうかの違いだけだった。そのまま誰も反応できない無言の時間が流れ、しびれを切らした只野がテーブルを叩いて立ち去ろうとしたその時だった。
「あの、一ついいですか……?」
沈黙を切り裂いたのはここまで置いてけぼりだったAIだった。彼女も彼女なりに様々なことを考え、そして一つの結論に至った。
「中にいたのは信、だったんですよね?」
確たる証拠はないがAIから聞いた外見的特徴、発言、もろもろの条件を合わせて考えればそれは間違いのないことだった。彼はAIと同じように故・深海信の記憶を受け継いだレネゲイドビーイングであろう。はっきりと肯定する者はいないが、それが否定されるような空気ではなかった。その無言の肯定を持って、自身の結論が正しいことを確信する。
「それなら、次は私も一緒に行きます。彼のことは、私が一番わかっています。」
決意を固めたAIの言葉はあまりにも重かった。現場にいた人間はあまりのことに言葉を失い、直接”彼”を目撃していない須磨だけが唯一言葉を発することができた。
「でもあなたは何の訓練も受けていない。現場に出るなんて危険すぎる。通信で会話を試みる方法もある。」
「今の私はレネゲイドビーイング?ですから。そう簡単には死なないんでしょう? それに……」
(彼に殺されたとしてもこれが初めてではないから)
言葉の後半を飲み込んで須磨に向かって微笑んで見せる。誰がこの場で最も心が折れていないのか、誰がこれからの行動を決められるのか、その覚悟の笑みが物語っていた。
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