第八章 出会い

 歩き出したAIは、けれどもすぐ自分の家に戻ってきていた。冷静に考えて情報が足りないというのもあったし、なぜだか家の周囲に全く人の気配がなく誰にも今の情報を聞けなかったというのもある。

「そもそも"私"、AIとはなんなのか。それをはっきりさせなくちゃ。」

 床に散らばった日記を拾い上げる。日記の表紙をめくると「浅野愛」という名前がある。これの持ち主であり、自分のもとになった人物であることは間違いないだろう。その名前について考えると同時に自らの内側に問いかける。私は浅野愛であるという意識と、浅野愛そのものではないという認識が同時に存在している。

「私は死んだ浅野愛の記憶と感情を持った何者か……」

 日記は大学入学から始まった。父親から日記を贈られたことから始まる他愛のない日々の記録。入学式、どの授業を取ろうか悩んだこと、初めてのバイト、友達との小旅行、学期末でレポートに追われる日々。そして端々に出てくる「あの人」という単語。ページをめくる手が徐々に早くなる。記憶が戻るにつれて文字を読まなくても何が書かれているのか理解できる。そしてそれは唐突に訪れた。

 空白。空白。空白。

 ある日を境に日記が途切れる。そして記憶も。あの日家を出たところでぷっつりと途切れてしまう。思い出そうとしても容量のなくなったハードのようにある時点から先の一切の記録が読み込めない。日記を媒体に生まれたという性質上、本人が日記に記した事しか記憶として思い出すことはできないようだ。

「何か……ないの? 今の私なら記憶を読み取れる、はず。」

 AIは手にした日記を机に置き、引き出しを開ける。色とりどりの文房具、古ぼけた何枚もの手紙、随分前から止まっているであろう腕時計、そして黄ばんだアクセサリーショップの小箱。

「これは……」

 そっとその小箱を開ける。中に収まっているのはあの人から贈られたネックレス。指輪を買おうと言われて「まだ早いよ」と言ってネックレスを買ったのだ。それ以来毎日付けていた。きっとあの日も。そっと手に取り、首の後ろで留め具をはめる。

「あ、ああ……」

 一瞬、強い光を感じた。人間の常識を超えた力が働くのを感じた。

 それで全て思い出した。この一瞬のうちに過ぎ去った数々の記憶を思い返すと、確かに先程までは脳内になかったシーンを思い浮かべることができる。実際には記憶の追体験なのだろうが、思い出したという表現が感覚的には正しかった。

 あの日彼、深海信、に協力を依頼された実験。説明は受けたが難しくてほとんど理解できなかった。唯一理解できたのは"完璧なコミニュケーション"という言葉だけ。自分にはなんのことかわからなかったが、彼がとてもそれを大事にしていて、文字通り人生をかけて取り組んでいることは理解できた。なにより彼を信じていたし、彼とより深いコミニュケーションが取れるというなら断る理由はなかった。夜中に大学の彼のラボに行った。親には友達とレポートを書くと言って家を出た気がする。深夜の実験室で彼と二人きり、少し緊張した。なんだからわからない様々な装置を頭につけて、そして……

「実験は失敗して、私は死んだ。」

 最期の記憶は混濁していて詳細は分からないが、結末だけははっきりと理解できた。彼の考えていた"完璧なコミニュケーション"は成立しなかった。最後まで彼の考えていたことはわからなかったし、考えていることを彼に伝えることもできなかった。

「それを、伝えないと。」

 彼女は自分の使命を悟った。もう一度彼に会い、あなたは間違っていたと伝えなければならない。立ち上がり、押し入れからまだ痛みの少ない鞄を取り出す。どれだけ遠くまで行かないといけないかわからない。まずは荷造りが必要だ。

「誰?そこにいるのは?」

 鞄にメモ帳とペンを入れたところで人の気配を察知しAIが振り返る。その目には警戒の色。人が住まなくなって久しい家に入ってくる人間などロクな存在である可能性は極めて低い。

「目標と接触。ジャーム化はしていない模様。」

 割れた窓から侵入していたであろうその人物は通信機に向かって報告を済ませるとこちらに向き直る。

「あなた、オーヴァードよね?ちょっと話を聞きたいから付いてきてくれない?とりあえずの身の安全は保障するわよ。」

 その長い髪の少女は好戦的な目線を送りながらそう問いかける。その顔は嘘はついていない、と自らの未知の力が囁く。

「私も誰かに聞きたいことがあったの。ちょうどいいわ。連れて行ってちょうだい。」

 AIもそう答えて少女とともに家を出た。その胸にはくすんだネックレスと、強い決意があった。

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