第六・五章 哄笑する交渉者

「あんたが最近この辺で暴れてる電気使いブラックドッグの元締めかい?」

 一仕事終えて気分良く帰ろうとしている一川に話しかける者が一人。その鼻で嗅ぎつけたのだろうか。顔の一部が肉食獣のそれへと変容している。

「そうとも言えるしそうじゃないとも言える。それで、そちらさんの用件は?」

 一川は基本的にこういった怪しい話を無視しない。たとえ罠でも罠なりに使い途はあるというのを知っているからだ。

「中の連中と鉢合わせするとお互い面倒だろう。移動しよう。」

 誘導されているのを承知で提案に従って移動する。交渉というテーブルはどんな場にだって広げることができる。一定の距離を保ちながら歩くこと10分、橋の下で生態変貌者、キュマイラの男は足を止める。

「さて、それでどんな交渉をしてくれるんだい?」

 足を止めても振り向かない男に一川の方から話しかける。片手をポケットに突っ込み、空いている方の手で欠伸の出そうな口元を押さえる。退屈だから早く話を始めろ、と暗に伝えている。

「俺達のセルのボスからの伝言がある。ボスは強い人間が好きだから、お前をスカウトしたいらしい。」

 そこまで喋って獣の口から溜息が漏れる。男としては今回の任務に些かの不満があるようだ。苛つきを隠せないようでしきりに手を動かしたり、足で地面を叩いたりしている。

「だがつまり。そうだろ?」

 顔の一部だけだった肉食獣のパーツが顔全体、上半身、腕へと急速に広がっていく。現れたのは羆の意匠、その腕の先には一撃必殺の鋭さを誇る爪が並ぶ。その剛腕を標的に向けて振り抜くがそこには既に何もない。

「その手で握手は無理だろうよ。あの世で蜂蜜でも舐めてろ。」

 パンパンッと銃声が二発響く。ポケットから引き抜かれた一川の手には今火を吹いたばかりの拳銃が握られている。胸に一発、額に一発、お手本のような射撃を受け男が前のめりに倒れる。

「ガ……ハァッ!」

 リザレクトが発動し傷が塞がりつつある男の首を踏みつけ、抵抗を封じる。

「悪いが交渉は決裂だ。そっちのボスには私から伝えておくよ。」

 至近距離からさらに頭部へとダメ押しの一発。ビクンと男の体が一度だけ跳ね、そして動くものはただ流れる血のみとなった。

「さて、頭は悪いが身体は悪くないな。なかなか美味そうじゃないか。」

 一川はおもむろに男の死体の肩関節に銃弾を撃ち込む。そしてその穴を起点として腕を引き千切る。肉体派でない一川にはそれなりの重労働だ。千切り取った腕の二の腕部分の筋肉に食らいつく。その顔には作りものでない笑みがこぼれる。とても邪悪な。

「単純だがしっかりとした味わい。腕っぷしだけは強かったと見える。」

 "強者"という自らの捕食対象に合致した獲物が得られ満足げな様子の一川。さらに指を額の穴から差し入れ、脳髄を少しばかりつまみ出す。その味を舌で確かめるが、こちらはイマイチのようで首を横に振る。

「ほんとに単細胞なんだな。こっちは味が薄い。こいつに交渉人やらせようなんてよほどの人材難か……ははあ、なるほど。ここからが交渉本番ってわけかい?」

 橋の下に一人で立つ一川は、誰かに聞かせるかのような声でどこへともなく語りかける。それに呼応して影が動く。影はやがてはっきりとした形として一川の眼前に立ち上がったのだった。

「先程の男は私が先払いした交渉の対価だ。では今度はこちらの要求を聞いてもらおうか。」

 喋り出した影と耳を傾ける一川。その姿は次第に闇に溶けゆく。一川の口の端に浮かんだのは邪悪な笑みだった。

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