尊さという価値基準

篠騎シオン

神絵師の絵に尊いって言うじゃん?

誰もいない街を歩く。

あれだけにぎやかだった渋谷も、今や誰一人としていない。

っていうか、いたらとっても問題なんだけどね。

だって、今日で地球は終わる。

ネットを覗けば、まだ太陽系の中にいる友達とコンタクトが取れるけど、みんな私に任された仕事を尊いというだけで、面白い話なんてしてくれない。

昔みたいに、友達として楽しく話せない。

彼女達の中で、私は『尊い』仕事をする、神に等しい存在になってしまったから。





尊さというものが、人間を評する価値基準になってもう一世紀ほど経つらしい。

ほとんどの仕事がAIやロボットによって人が行う必要のなくなった現代。

じゃあ人をはかるにはどうしたらよいだろうか、という議論が生まれた。

その時注目されたのが、かつてサブカルチャーであったアニメやネットなどの世界の民の言葉。

神絵師様の絵今回も尊い、推しが尊い……。

人間にたった一つ残された職がクリエイターだったことからも、その、尊いを価値基準に押し上げようという力は強かったんだって。

結果人は、いかにその行い、生涯が尊いかで人の良し悪しを判断することになって。人々は尊い行いをすることに執心して、それは人を思いやることにつながり、自分よりも他者を優先することにつながり、世界はよりよくなっていったみたい。

優しい世界になって、人類は他者を思うように進化したとまで言われた。

それは、よかったんだけど……。


「そんな思考がなければ、私が今ここにいることもなかったのかな」


渋谷のど真ん中でひとりぼやく。


私はよく知らないのだけれど、人類がこの地球を捨てなければならない大問題が起きた、らしい。

そして地球を捨て、人々は宇宙へと旅立つことになった。AIによる技術の発展は目覚ましくて、地上にいる人間全員が脱出するのになんら問題はなかったそうだ。

たった一つの問題は、誰か一人が残って地球を処理するためのボタンを押す必要があったってこと。


人々は我先にとその尊い任務に名乗りを上げた。

その結果、誰を選ぶことも出来ず、そもそも誰か一人を選ぶ権限を持っている人間なんていなくて、それならいっそ世界中で抽選にてその人を決めようということになった。


そして選ばれたのが私。

とても幸運で、とても不幸な私。

何十億分の一の確率を引き当てて、私はこれから死ぬのだ。


「こんなことになるなら世界投票行っとけばよかったかな」


世界抽選のアイディアを出した人たちもさすがにそれを押し付ける気はなくて、世界中を対象にしたアイディアの可否を問う世界投票が行われた。

等しく一人一票、票を入れられた。

で、私はどっちにもいれなかった。

だってそんな低い確率のためにわざわざ投票にいくなんて、馬鹿だと思ったから。

友達とクリエイティブな遊びをしているほうがずっと有意義な時間の使い方だって。

でもその結果がこれ。

もう笑うしかないよね。


結果は投票率50%を大きく下回って、だけど圧倒的賛成多数で世界抽選が採用された。誰もがこの尊い仕事をやりたいと思っているようです、そうメディアは報道した。

でも本当はそうじゃなくて、みんな興味がなかっただけっていうのは、選ばれた私の勝手な妄想かな。投票しなかった人たちはみんな、自分が選ばれるなら反対に入れたんじゃないかって。低い確率だし自分なんか選ばれっこないって思って入れなかったんだって。投票率がその証じゃないかって。

私は選ばれてから、毎日悶々と考えた。


でもその妄想もみんなの態度で打ち砕かれていった。

私は何度も何度も何度もみんなに、おめでとう、尊いねって言葉をかけられ羨望のまなざしで見られた。そんなにうらやましいなら変わってよ、そう言いたかったけど、世界抽選で決まった結果を覆すのは、世界条約に反する。

それはとてもとても尊くない行いで、死刑になってしまうから。

選ばれた時点で私の死は確定的だった。


それに本気で羨ましがっている人たちに、やりたくないなんて言えなかった。

きっと人類で私だけが、その尊さを実感できてない。

だからこそそれを実感するために選ばれたんだ、私はその日が近づいてくるたびにそう、言い聞かせた。


そして今朝。

絶対に忘れられない、私と別れて宇宙船に入っていく人々の不思議な顔。

そこにどんな思いがあるのかは、尊くない私には、よくわからなかった。


思い出しながら携帯食料をかじる。

私は待っていた。

みんなが太陽系から出るのを。今のロケットは昔に比べれば光速に近づいたから、そうそう時間はかからない。


「あと2時間くらいしたら連絡来るかな」


『連絡予想時刻、は、あと2時間18分後です』


AI内臓の腕時計型スマホが回答する。

人間がいなくなった世界でもAI達はしっかりと動いている。

道を尋ねれば応えてくれるし、しかるべきところに行けば食料だってもらえるらしい。


「人が一人もいないのに、そのまま社会は動いてるんだよなぁ」


人間向けの店などは対象者がいないため店じまいしているけど、動物保護のための施設、AI稼働のための発電所とかは今も動いているみたい。


「人間ってこの社会にいらないんじゃ……そのために厄介払いされたとかないよね?」


言ってから笑う。

そもそも私はこの社会について知らなすぎる。

ぜーんぶ、伝聞、だから心の中も、らしいばっかり。

それなのに、尊さも実感できず、こんな大事な役目任されちゃって、馬鹿みたい。


「ボタン押すのやめよっかなー!」


こんなことを言ったらAIに怒られるだろうと思ったけど、指摘の声は飛ばない。

不思議に思ってスマホを覗きこんでいると、ぽんっと3Dのホログラムが浮き上がり、私が設定した可愛らしいキャラクターが口を開いた。


『それもいいんじゃない?』


私はその言葉に目をぱちくりさせる。

今、彼女、それもいいって言った? 私が仕事を放棄しようとしたことを容認した?

しばらく考えて、私は今見たことを頭からかき消す。


きっと私は一人になって頭をやられて、変な幻覚をみてしまったに違いない。


私は、ボタンのある東京タワーへと向かうことにした。

それを実際見て決心を固めるために。



『この先、右です』


「くうう、つらい……」


自動運転の車は使えるけど、自分の足で辿り着いてみたくて、私は渋谷から東京タワーのある港区まで自転車で向かっていた。

運動なんかしなくても、いくらでもロボットの補助が受けられる時代。

それは私にとってなかなかの重労働だった。


『電動アシストを起動しますか?』


「い、いや……頑張る」


私の体調を慮ったAIにノーと言ってなかば意地になりながら、私は東京タワーまでの数キロを漕ぎ切った。



疲労感に包まれながら、辿り着いた建物を見上げる。

100年か、もっと前に建てられた東京タワー。

今はもう象徴でしかないそれは、何回も補強工事を繰り返されて、今もまだここに建っている。


「赤い……そしておっきい。綺麗……」


私よりも何倍も何十倍も何百倍も大きいそれに自分の手足で辿り着いた私は、そこがなんだか、神聖な場所に思えていた。


私はこれから尊い仕事をするんだって。


実感することが、出来た。

心が、固まる。


エレベーターで展望デッキまで上る。

いつの間にか日は暮れていて、真っ暗な東京を一望できるそこに、ボタンがライトアップされて置いてあった。

AIのくせに粋な演出するじゃない。

ふんっと鼻を鳴らした時、AIから通知が来る。


『人類一同が太陽系を脱出しました』


なんていいタイミング。

私は展望デッキからもう一度だけ静かな東京を眺め、この一人の時間を、尊い自分の使命を、噛み締めた。

私もやっとこれで、尊い人類の一員になれる。

そう思いながら。


そして、ボタンに手をかけ——



「待って」



「えっ?」


一人きりだと思っていた空間に、私を止める声が響く。

周囲を見回すと、柱の陰から青年が現れた。


「ごめん。本当は見届けるのが俺の仕事なんだけど。でもなんか、少し悲しくなってしまって」


そう言って青年がぎこちなく笑う。

私は、混乱しながらも、彼に尋ねる。


「あなたは、どうして、だって人類は私以外全員太陽系外に脱出したはずじゃ……」


その言葉に、彼はいやぁ、と頭をかきながら言う。


「俺は君がボタンを押せなかったときのバックアップ要員なんだ」


「バックアップ」


その言葉を聞いて、私は、神聖だと思っていた仕事が急に穢れたもののように感じた。

尊い仕事のバックアップってなんだ。

今のご時世、事故はAIが予測する。急病だってAIがすべて治してくれる。

つまりボタンが押せないってことは、私の決心が揺らいだ時ってこと。

本当にそれが尊いならば、私の決心が揺らぐことなんてないはずじゃない?

つまり人類は、私の尊さを、仕事の尊さを疑っていた。

疑うなんて行為、尊くない。

あの投票率の理由は私の想像通りだったのだ。

ほんとはみんな、尊さを装っているだけ。

人類は進化なんてしていない。


「ハハッ」


私は笑ってしまった。

なんだ人間、昔のまんまじゃん。

私だけが取り残されてるんじゃなかったって。


私は何故か急に満足して、そんな尊くない私と、同類な人類のために、ボタンを押してあげる気になった。


「ごめん、声をかけたってことは止めたくなったのかもだけど、私は押すね」


そう言って彼にことわる。


「わかった。大丈夫、反対はしていないんだ。ただ君に、僕というバックアップがいたことを知ってほしかったという、ただのエゴ。押してくれ」


うなずきながら彼は言う。


「じゃあ」


なんだか愉快な気持ちだった。

私はもう一度だけ、静かな東京の街を眺めてから。


そのボタンを押した——













なにも起こらない。



「どういこと?」



「わからない。故障かな?」



二人で顔を見合わせる。


そういえば、スイッチを押すとどうなるのか聞いてない、処理としか言われなかった、そう思い出していたところに、ホログラムのAIが現れる。



『人類削減計画完了。アダムとイブ。新しい世界へようこそ』


どうやら新しい世界が、始まった、みたい?

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