第14話 透明な膜

「あーちゃん」


 私とナツメの姿を見つけると、走り寄って来た。「ユリたち、出発した~?」とモクレンさんに聞かれるが、震えた唇を噛み締めることしかできない。すると、キキョウさんとモクレンさんの間に、ナツメがするりと割り込んだ。


「なんかちょっと調子悪いみたいなんだよ、あとで話そ」


 すると、キキョウさんもモクレンさんも私の異変に気づいたようで、ボタンについて話を戻した。


「寮には気配がないの、学園の方に行ったみたい~」

「朝起きたらいなくて……昨日家族のところから帰ってから、様子がおかしかったもんね」

「校舎の中に気配はあるんだけど、何でだか場所が特定できないのよ~」

「……って?」

「誰かに邪魔されてる感じもあるし、三階に気配があったかと思えば一階にあったり、違う棟だったり~」


 モクレンさんとキキョウさんとナツメが話すのを聞きながら、ふと顔を上げて私は思わず声を出した。


「……あれ、なんかおかしくない?!」


  残りの三人も視線を上げた。いつの間にか生徒がまばらになった渡り廊下の先には、学園の正面玄関がどっしりと構えている。しかしその手前、広い通路のちょうど真ん中に当たる辺りに、まるで水を張ったような『膜』が見えた。


「何あれ」

「明らかにおかしいよね」

「でもあの『膜』の向こうに、今ボタンの気配がするみたい~」


 そう言ったモクレンさんの目線の先に、キキョウさんとナツメと一緒に私も注視する。


「行こう!」


 私は三人の間を掻き分けて、に向かって踏み出した。ナツメが少し咳払いして私のすぐ後ろについて来たようだった。カツカツと彼女特有のヒール音が聞こえて来て背を押される思いだ。


 皆にユリのことを話さねばならない、でもその前にボタンを見つけてあげないといけない。いつの間にか私を守るようにナツメが先にに到着した。


 他の学生たちはまるで問題ないようにそのを通り過ぎていく。でもナツメはそのを越えたと同時に、姿が見えなくなってしまった。周りの生徒たちはその異変にも気づかないようなのだ。


 ためらわないわけじゃない。でもこの向こう側にボタンが絶対にいる。私も歩いて行った勢いのまま、そのに飛び込む。一瞬だけ、まるで蜘蛛の巣に引っかかるように体が空中に止まった感触があった。


 でも、そのままプツリッと障害は途切れて、私の体は反対側の空間に押し出される。顔を上げるとそこは普段と変わらない校舎に向けての通路が口を開けている。ただ違うのは、先程いたはずの登校の生徒たちが、一人残らず消えていることだった。


「誰もいない」


 ため息みたいに、私が考えていたことを口にしたのはキキョウさんだった。その背後から、まるで壁から現れるようにモクレンさんが顔を出す。少し先にナツメが私たちを急かすように立っていた。それを見てキキョウさんが私の横をすり抜けていく。


「ボタンの気配がする」

「うん!」

「多分、六年の教室~」


 モクレンさんの言う通り、三階に何か感じるようで。私以外の三人は、揃って同じ方向を見ている。私たちは頷き合うと、階段へ向けて走り始めた。大きな階段を走り上がっていくと、階段の踊り場のところでまたあの次元のが見える。


 私がどうしようと少しまごつくと、私の腕を掴んでナツメがひらりとその穴に飛び込んでいった。


「わ!」


 目に写るのは天の川みたいな星の中。その紫やピンクのコスモの中に放り出されて、上も下も分からないのにナツメはぐんぐんと前に向かって進んで行く。


 一足飛びで大きく宙をまたいだナツメの姿が、そのままひらりと目の前から消える。そこに、その世界からの出口があって、私たちはまた無人の校舎の中に舞い戻った。


「びっっっっくりしたぁ……!」


 私が胸を撫で下ろすと、無事到着したみんなは、何でか廊下の先を見ていた。グラデーションがかかった美しい髪色の少女が一人、ふらふらと灰色に沈んで行く。その姿にドキリとして私の足はその場に留まる。キキョウさんとモクレンさんがそんな私を追い越して駆けて行った。


「ボタン!」


 一番に駆け寄ったのはナツメだった。急に走り出した彼女の向こう側。まるで薄暗い廊下に亡霊のように立っていたのはやはりボタンだった。声で振り返ったところで、懐に飛び込んできたナツメに捕まる。小さい手のひらがボタンの制服を強く掴んだ。


「どこ行ってたんだよ」

「あ……」


 ボタンはまるで今気づいたみたいに心許なく声を出した。


「あんたをみんなが探してたんだぞ?」

「え、そうなんだぁ……。えへへ、ごめんねぇ」

「ボタン、一体どうしたの?!」


 私がみんなから少し離れてボタンに問うと、彼女はいつもと同じくヘラヘラと笑う。


「なんか、『あくーかん』? の。気配がしたからちょっと集中してその中に向かってテレポートしてみたのね? したら出られなくなっちゃってぇ」


 でへへと頭を掻く仕草は、普段通りに思えた。


「ぅんもう、バカ丸出しかよ……行くぞ」


 ナツメがそう言って、ボタンの手を引いて先へ進もうとする。灰色の天井の高い校舎は、生徒がいないとまるで無機質感が増して何だか寒い。


 やはりここは『亜空間』なのだ。ボタンは何者かに呼ばれたと言った形だろう。そこに私たち五人のブーティの音だけがカツカツと響き渡る。みんなが元の世界に戻ろうと前へ進む中、立ち止まったのはボタンだった。


 それに気づいたのは隣を歩いていた私ではなくて、一番先頭を歩いていたキキョウさんだった。


「ボタン」


 キキョウさんは、段の彼女の声色より少し高めに名前を呼んだ。それでもボタンは顎を上げずに、その厚ぼったい唇を噛み締めるようにする。それで、私もやっと彼女の様子のおかしさに気づけた。


「あー……ごめん。やっぱゴメンだわ」

「ボタン?」

「ごめん、一緒には戻れない」

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