第7話 エコトリアの少女
元来、私にはそういうところがある。シリアスで重たい空気の中、すぅっと自分の気持ちが底冷えて、何もかもが他人事のように感じることがあった。
それはやがて妙な可笑しさを込み上げさせる。だから私は大抵の場合『笑って』いる。弟が死んでからは、ずっとそうだった。
* * *
翌日は折角の晴れで、しかも体育祭の代休だったけれど、モクレンさんが私とボタンを避けていた。それが明らかで他の皆もぎこちない。
ナツメはモクレンさんに気を使って、私たちとは少し遠くを歩いていた。いつもは傍にぶんぶんと太い(ナツメのツインテールはボリュームがある)毛の房が揺れているというのに、今日は項垂れたボタンがぴったりと私のそばに寄り添っていた。
ボタンが時折不安そうにこちらを見上げるので、私はその度に少し笑んで彼女を見下ろして、そして状況を考えた。私たちは初めてタケさんに集められたビル、みんなが初めて出会ったビルに向かって歩いている。
キキョウさんも積極的にボタンと私に近づこうとはしなかった。無理もない、昨日のボタンの態度が他の子たちの気持ちを逆立てている。何と言うかこういう時私は、無邪気な振りをしてそういった状況を傍観しがちだ。
目があえばナツメとキキョウさんには笑顔で返すし、モクレンさんにも変わらずに笑いかけた。そのことで皆が少なからずホッとしているのを感じる。後ろめたく感じるのと、興味深いと思うのがないまぜになって、秋晴れの人工の日差しがクラクラと強く感じられた。
酷く目眩がする。
モクレンさんは昨日からまるで蝋人形のように表情を硬くしている。強い日差しの中で、陰影が恐ろしく思えるほどだった。白いおでこが、まるで陶器のように思える。
ビルのガラス戸をすり抜けると、五人で揃ってエレベーターに乗った。嫌な沈黙。この間まではあんなに仲が良かったのに……。扉が開くと、エレベーターホールでニヤニヤとタケさんが待っていた(今日は白衣を羽織っている)。
「何だお前らぁ、お通夜みたいな顔をして」
一人だけいつもと変わらずチェシャ猫みたいに笑っている。その姿にナツメがカチンと来たようで噛みついた。
「何の用ですか? 昨日もお会いしたのに」
「いやずっと警察側で……というか俺が立てていた仮説があったんだけど、昨夜どうやら証拠らしきものが見つかってね」
そう言うと背を向けて歩き出した。私たちはそれに従って歩く。長い廊下を抜けて、何てことない扉の向こうには、白く長い廊下が待ち構えていた。……来たことのない通路だ。
「君たちは『エコトリア』って小説を知ってる? 『コロニーS』とかだと学校の教材とかになってんじゃないかな?」
「……『シンドローム』の方なら一応読みました、名作ということで」
キキョウさんがタケさんの出方を窺うように答える。それを横目に見たあと、左端にいるナツメを盗み見た。ナツメは怒りの表情を驚きに変えていた。『シンドローム』というのは彼女が唯一『コロニーN』から持って来た小説だったから。
私は彼女と同室になってそこで初めてその本に出会った。彼女はそれをとても大切にしていて、手作りのシンプルな布製のカバーでそれを包んでいた。簡単な裁縫でも、普段針仕事なぞしないナツメがいびつな波縫いを駆使してこの本を守ろうとしているのが見て取れた。
大事な本なのだ。だから私も興味がわいた。初稿のタイトルは『エコトリア』という。『エコトリア』は物語というよりは、核戦争後の地球の現状を、ミヒャエル・Z・ハッケという学者が論じたSFまがいの文章だった。のちに彼はこれに物語の要素を加えて空想小説『シンドローム』を発表している。
『エコトリア』はその中では惑星の名前として登場している。それによると、緑に囲まれたこの星は、文明らしい文明は存在せず、自然とともにたくさんの動物と、一人の少女が生活しているだけだと書かれている。
「……それは小説じゃないですよ。小説は『シンドローム』って方で、それは元になった論文みたいなもので」
「ふむ、まーどっちでもいいんだけどね。要は俺は『エコトリア』の少女について君たちに語りたいわけだ」
タケさんについて大きな広いホールへ入って行く。そこは照明も薬局のように青白く、清潔過ぎてゾッとする印象を受けた。芝居染みた動作でタケさんは振り返る。
「君たちはどう思ってる? 『エコトリア』の少女について。彼女が実在すると思う?」
『エコトリアの少女』。惑星『エコトリア』と
「私は、そういう存在はいるような気がしています」
怒ったとばかり思っていたナツメが、静かに肯定した。
「ほぅ、なぜそう?」
「……実は、私の友達があなたと同じことを言っていた。不思議な力が私にあることを気づいた時に、二人でそう話してた。『有り得なくはない』って」
「そう、そうして『俺たち』もずっとそう考えてた」
瞬間に両側の壁の向こうから、自分たちが歩んで来た廊下にも大勢の人の気配が感じられた。恐らくタケさんの部下たちだ。
「俺は小さいころ、キキョウ。お前と同じ『コロニーS』にいたんだ」
「タケさんが……本当に?」
名前を出されたキキョウさんが、青く鈍い灰色の瞳を大きく瞬く。
「ああ、俺は
「あ……それでマツ先生と顔見知りなんですね」
「その通りだ。その金持ちの研究者ってのがジャパン学園の創設者なわけなんだけど。施設にいた時に、俺たちは不思議な少女を見たんだ」
思い出すように、タケさんは目を細めた。
「綺麗な、線の細い髪の長い少女だった。一緒にいるとそこだけ森林の中にいるような、小川のそばにいるような清涼感が感じられて……」
それを聞いてキキョウさんの顔色が変わった。心もざわついているのが他の三人にもテレパシーで伝わったようだ。みんなの顔が一斉に強ばる。私は……わたしはきっと変わっていない。いつも通り、笑っているだろう。タケさんはそんな私をちらりと一瞥して、かまわずに話を続けた。
「その子は、施設の一室をあてがわれていた。最初はビクビクとして人も寄せつけない感じだった。でもマツとか俺が声を掛けるようになって変わっていった……近くには大きな世界樹があって、施設を抜け出した時はいつもそこにいた」
『知っている』
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