第5話 視えたプライベート
女の子は、うひゃひゃっと不思議な笑い声を漏らし、窓の上下のへりに足と手をかけ不安定に体を浮かせた。危ない、あぶない……てか細くて長い脚が目の前にあって、ちょっと顔を上げてしまって、流石に照れてしまった(とんでもないもん、履いてやがる)。
「こんな良い天気の日はさー、どっか行きたくなっちゃうよね」
外は夏のから秋の気配に変わろうとしていた。青空が高い……。まぶしそうな彼女の顔。外からの光で彼女のシャツが透け、細い骨格が浮かぶ上がる。ひどく華奢な人だ、八重歯が可愛い。転入してきてまもなくだが何となく顔は分かる。私と同じクラスの……確かー……
するとふいに予鈴が鳴った。次はグランドで体育のはずだ。『一緒に行こう』と声をかけようとすると、もうジャスミンさんの姿はそこにはなかった。階段の方でカンカンッと登る音が聞こえて、私は急いでそこまで彼女を追う。
階段の音は鳴り止まず、彼女はどうやら屋上まで上っていったようだった。後ろ髪を引かれる思いをしながら私は着替えに更衣室に向けて歩を速めた。ジャスミンさんは五時間目の体育には結局出なかった。
「モクレンさん、球技大会ドッチボールだよね」
「うん~」
「じゃあ今日放課後練習あるから」
「え~」
第四学年、学級委員長のパンジーの言葉に私は唸った。
パンジーは本来ならキキョウさんと同い年だけど、優秀なのでスキップして第四学年なのだそうだ。勉強もできるけど人当たりも良く、ほどよくユーモアがあるのでクラスでも人気者だ。第四学年の代表者でもある。
しかし授業終わりに彼女から告げられた言葉により、今のパンジーは私には悪魔に見える。
「今日は折角寮に帰ってゴロゴロしようと思ってたのに~」
「駄目ダメ、今日は駄目! モクレンさん一回も放課後練習出てないじゃん、今日は出てもらうよ」
有無を言わさず更衣室に連れ込まれる。そこにはドッチボールに出るクラスメートがもう着替えを始めていた。
「やっとつかまったか」
「さすが学年代表、やるー!」
クラスメートはみんなでパンジーを褒めて笑った。私も観念して渋々と着替えを始める。
「何だよ、私以外にもサボってる奴いるでしょ~?」
「ドッチじゃいないよ」
「モクレンくらいだよ」
と言って、みんなまた笑う。
「サッカーにいるけどあの人はねえ?」
「出なくても全然大丈夫だからなー」
「……」
何となく、誰のことかは分かった気がした。
「ジャスミンさんには、モクレンさん昼休みに会ったでしょ?」
パンジーの言葉に私は驚いて目を大きくした。
「うん……何で知ってるの~? 気持ち悪~い」
「ひど! 私、昼休み校庭にいて野球の練習してたから見えたんだ。あの人危ないこと平気でするよねー」
とパンジーが笑った。その背後で突然声が聞こえた。
「ジャスミン、いる?」
更衣室の扉に、外からの光を背に受けて立っている人物がいる。ああ、何だかこの感じ……怖い! 眉間に皺を寄せたキンモクセイさんだった。もう先に着替え終わったパンジーに話かけている。ちょっと嫌な予感がして知らないフリをして着替えを続けた、けれど。
「ひ!」
むき出しの背中にふいに手で触れられた。……ひどく冷たい手で……。そしてピリピリと信号が脳内に走る。見えて来た、映像があった。恐らく彼女が経験したものだ。
* * *
「一体どういうつもりなの、生徒こんなに遅くまで残して」
見覚えのある男が部屋の扉を開けると、キンモクセイさんが腰に手をあてて仁王立ちしていた。灰色のどこか簡素な部屋。壁はコンクリートの打ちっぱなしで、おしゃれだが寒そうにも見える。そう言えば、教員の寮も、校舎の近くに建っていた。
部屋の壁に、一揃い灰色のスーツが掛けてあって、それだけが妙に違和感が感じられた。いつもジャージの彼が、それに袖を通している姿は想像できなかった。
「何だよお前、やぶからぼうに」
苦笑するその男はジャパン学園女子部の体育教師だった。確か名前は『マツ先生』。私も五限目の授業で世話になったばかりだ(もちろんキンモクセイさんも)。
「てか、何て格好しているわけ?」
とキンモクセイさんは顔をしかめて、ズリ下がった眼鏡を中指で上げる。一日中体育授業だったのだろう。マツ先生は風呂から上がったばかりのようだった。腰にバスタオルを巻いてハンドタオルで頭を拭きながら「だっていきなり来るんだもんよ」と口を尖らせている。
「着替えて来るから座ってて」
と顎でしめされた場所を見て、キンモクセイさんはますます眉間に皺を寄せる。ここに座れと? てかどこに? と言わんばかりだ。しめされたソファーは得体の知れない人形や玩具で溢れかえっていた。
「何だよ、また数増えたんじゃない? 折角の給料こんな人形に使っちゃってさー」
「フィギュアと呼んでくれよ」
Tシャツと短パンに着替えてきたマツ先生は、人形や玩具を拾い上げてテーブルの上にキチンと並べる。
「何? 遅くまでってお前は勝手に来たんじゃん」
「私じゃないよ、一年のナツメって子。球拾いで残しているでしょ?」
「ああ」
「だんだん寒くなってきてんのに、半袖ブルマの体操着で遅くまで残すなんて、サド行為にしか思えないよ。保護者からクレーム来たらどうすんの?」
「この学園通ってんなら、親なんて口出せやしないだろ」
「……いや、そういう問題じゃないだろ」
フーンと頷いて、マツ先生はニヤニヤした。
「何だよ」
という顔をして、わずかに赤面するキンモクセイさんに向かって、「意外に下級生思いなんだな」と揶揄うように顔を近づけた。キンモクセイさんは、今度はハッキリと赤面する。それを見てマツ先生は満足そうに笑い、キンモクセイさんに背を向けてから呟いた。
「……不公平なのは主義じゃないんでね……」
「え……?」
振り返った時、マツ先生はもう笑っていた。
「折角だから茶ぁでも飲んでけよ」
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