第18回 家族として生きてきた時間は信仰よりも深く強い(後編)

 「……。」


 誰もが正義が美愛の首を刎ねるところを見ようとする。

 だけど―…。


 「俺には…斬れ…な…い。」


 正義は、美愛を自らの剣で首を刎ねることができなかったのである。

 正義は、思い出してしまったのだ。

 美愛と兄妹として、過ごした日々のことを―…。

 それは、美愛が魔物と化しても変わらない。

 変わるはずがない。

 美愛を家族として愛しているのだから―…。

 そう、家族として生きてきた時間は信仰よりも深く、強い。

 今、まさに、そのことを正義が示しているのだ。

 決して、それが、すべてのことにおいて正しいとは限らないが、今のこの場、場面においては事実であった。

 一方で、正義が美愛の首を刎ねなかったことに対する神野の思いは、苦々しいものでしかなかった。

 さらに、勇者パーティーは、正義が美愛を斬れないのは、気持ち的にはわかる。

 だけど、今の勇者には味方することはできない。

 パーティーメンバーは、神が美愛を殺すことを望んでいるのだから―…。

 美愛を殺さなければ、人類は神によって滅ぼされてしまうのだから―…。

 人類に抗う術は存在しない。

 それを実行しようとする前に、神によってあっさりと滅ぼされてしまうのだから―…。

 西暦2023年の世界の滅亡は、予言者が予言していたものではなく、かつ、科学者が隕石の地球への衝突などの危機的なことを予め知らせたことでもない。

 ある日、世界は簡単に滅んでしまったのだ。

 その当時の人間は、誰もそのことを理解することすらできなかったのだ。

 できるわけがない。突然訪れたのだから、前触れもなく。

 それが、神によってなされたのだ。

 そう、教えられている以上、神に従うことが自分にとって生き残る可能性を上げるのだ。


 「どうなされましたか。勇者様。」


 神野は冷静に取り繕いながら言う。

 その心の奥底では、さっさとしろと、苛立ちが表情に浮かんでいた。

 その神野の雰囲気は、周りに苛立っているというのがわかるほどである。

 それに気づかないのは、正義ぐらいであった。

 それは、正義が美愛を殺すか殺さないかの葛藤の渦の中にあって、周りを冷静に見ることなどできなかったからだ。


 「俺には…、美愛は…斬れ…ま…せ…ん。」


 語尾が次第に弱くなりながら、正義は言う。

 すでに、心の奥底では涙が流れていたのだ。

 それは、悲しみの涙。

 誰にも実物の涙が見えるというわけではないが、正義の気持ちがわからないでもない。神野以外は―…。


 「勇者様。あなたは人類を魔王の手から救いたいとは思わないのですか―…。妹様を魔物にしたあの悪しき魔王を―…。」


 神野は、冷静に自らの言葉が正論であるかのように述べる。

 神野にとっては、今、この場で美愛を殺してもらわないと困るからだ。

 時間がかかれば、かかるほど、美愛が目を覚まして、逃げ出されるかもしれないし、大声をあげられるかもしれない。

 そのことの対策として、この教会に閉じ込めているのであるが―…。

 ここならバレないし、神からの指令を達成することができる。

 ゆえに、美愛を斬れないとわめく、勇者には苛立ちを通り越したものを感じる。


 「それでも―…、家族である以上、美愛の首を刎ねられない。だから、大使大山…、美愛を殺さずに救う方法はないのですか。魔王を殺せば、美愛は元に戻るとかそういうのは―…。」


 正義は縋る思いで、神野に聞く。

 きっと、別の方法が存在する。

 美愛を殺さずに救う方法は、存在するはずだ。

 そう信じたい。信じることが今の正義にとって、自我を保つために必要なことだ。

 だけど、そんなことは次の神野の一言で絶望の淵に落とされる。神野が嘘を混ぜていて―…。


 「魔王を殺しても、あなたの妹君は元に戻りません。むしろ、次の魔王の器になることの可能性が高い。いや、そうなってしまい、魔王が再度誕生し、人類をまた恐怖のどん底に陥れるでしょう。

 人類は、魔王に唆され、魔物になる、そう、美愛様のような犠牲者が誕生してしまいかねません。

 だから、ここは、心を鬼にして、美愛様の首を刎ねてください。

 勇者様、あなたは、人類を魔王や魔物たちの恐怖から救うこと、それが使命でしょう。その使命を果たせ!!

 神の意志を果たすことが、人類の生きる道であろう!!!

 神に逆らい、人類を滅ぼすのか、勇者様は!!!!

 神がその気になれば、人類などあっという間に、何も抵抗することができずに滅んでしまいます!!!!!

 そうなってしまえば、あなたの家族である美愛様も結局は、死んでしまう。

 だけど、大丈夫、勇者様。」


 ここで、神野は、勇者正義には、まだ、あの薬が効いていることを思い出す。

 今、その薬に抵抗しているだろうが、それをも簡単に抵抗を無効にする魔法の言葉があるのを―…。


 「ここだけの話です。美愛様を殺しても大丈夫です。神様はこうおっしゃっています。今、私めに啓示が降りてきました。

 勇者阿久利正義、お前が美愛を殺したとしても、魔王を殺し、人類に平和をもたらしたあかつきには、妹である美愛を生き返らせよう。

 勇者のその美しき家族愛に免じて―…。

 そうです。勇者様。今、美愛様を殺しても問題はないのです。美愛様を魔物にしたあの憎き魔王を殺せば、神はきっと美愛様を生き返らせて、家族が幸せに過ごせる日を保障されるのです。

 だから、美愛様のために―…。美愛様に悲しい思いをさせないでください。」


 この神野の言葉は矛盾だらけだ。

 神野に神の啓示が降りてきたわけではない。

 これは、神野が勝手に作った嘘話であり、正義が美愛を殺す罪悪感をなくすためのものである。

 さらに、正義が望むであろう家族との平穏な日々は魔王を殺すことによって手に入れることができるということを示し、そこにでっち上げられた神の啓示を入れることで、正義の薬への抵抗を弱めさせるのだ。

 最後に、美愛が魔物となって、人々を殺すことを想像させ、それをさせたくないという正義の気持ちを利用したのだ。

 そして、魔物となって人々を殺すことを美愛によって悲しいことであることを言うことで、最後の罪悪感を取り払った。

 正義の目から涙が溢れだし始めた。

 それは、自分の情けなさであった。

 大切な妹である美愛を救えなかったという己の弱さを―…。

 そして、必ず魔王を倒し、美愛を生き返らせるという思いを込めて―…。


 (ごめん、美愛。)


 と、正義は、心の中で思いながら、剣を上に振り上げ、再度、美愛の首を刎ねるために振り下ろすのであった。

 が、その手が止まってしまう。

 それは、正義が美愛を殺すことへの罪悪感があったわけではない。

 教会の扉が壊されたのだ。

 そう、そこには、美愛を助けにきた一人の人物と一匹の猫がいた。


 

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