十六夜月






 夜中の電話には、できるだけ出ない方がいい。

 相手がロクでもない輩だった、なんてことも珍しくないからだ。


 何せ電話を介する怪奇というものは、思いの外に多い。

 ダイヤルひとつで隣の家から首相官邸まで選り取り見取り。

 食うや食わずの三下どもが、こんな手軽な方法を使わない理由も無いだろう。


 つまり逆に言えば、電話口の向こうは殆どが取るに足らない雑魚。

 まんまと騙されて此方から招き入れでもしない限り、大したこともできない木っ端。


 ……なんだが、油断は禁物。

 最近じゃ奴等は手を替え品を替え、実に多彩な方法で騙しを行ってくる。

 下手すれば、人間の詐欺師よりも達者なくらいだ。


 だから、もし電話に出る時は、必ず数珠を巻くべきだろう。

 相手が人間か別の何かかは、大抵それで判別できる。


 ――ただ、もうひとつ忘れてはならない。


 電話を使ってくる連中は、決して全てが雑魚ではないことを。

 高位の化生でありながらも、敢えて電話を好む変わり種が、中には居ることを。



 そして、その筆頭こそが、言わずと知れた都市伝説。

 祓い屋ですら迂闊には手を出せない、怪奇『メリーさん』だ。






『もしもし。ボク、ヒナさん。今エーゲの家の前に居るの』


 世にも珍しい、文車妖妃が営む古本屋。

 先日、そこで買い求めたばかりの本を読みながら、寛いでいた夜半。

 着信音で小うるさく自己主張するスマホを取ってみれば、そんな第一声。


「そうか」


 エーゲは短くそう答えると同時、億劫そうに立ち上がり、玄関へと向かう。

 そしてガチャリと音を響かせ、鍵及びチェーンロックをかけた。


「よし。で、何の用だ」

『ちょっと!? 今、あからさまにボクを締め出したよね!?』


 電話口と扉の向こうからの、喧しい二重音声。

 やもすれば毟り取られそうな勢いで以て、激しくノブが捻られる。


『開けろー! 居るのは分かってるんだぞー!』


 闇金融の借金取りも顔負けの怒声。

 その手の職に就けば、さぞ大物となるだろう。


 やがて、鋭利な衝撃と重い破裂音がドアを襲う。

 一分と待たずに業を煮やし、蹴り付け始めたらしい。

 何とも堪え性の無い限りであった。


『このこのこのこの! 空手三段のボクを怒らせたらどうなるか思い知れー!』

「ええい人間凶器め。誰だ、こんな馬鹿に戦闘能力を与えたのは……俺か」


 自分がどれだけ怪奇を寄せやすいのか。

 そもそも、まともな験力も持たず現代日本で暮らすことが、どれだけ危険を伴うのか。

 ヒナにはその辺の理解が、昔から足りていなかった。

 故、せめて自衛の手段を持たせようと、夜間教室で空手を習わせたのだ。


 ……まさかここまで強くなるなど、想像だにしなかったが。


 今にもドアが蹴破られそうな玄関前で、小さく溜息を吐くエーゲ。

 過去の己の軽率さを、些かばかり後悔していた。

 何故、馬鹿を相手に武力特化のステ振りなど行ってしまったのだろう、と。


「はぁ……分かった分かった、悪かった。開けてやるからもう蹴るな」

『わーい!』


 今泣いたカラスが何とやら。

 天岩戸ならぬアパートのドアを開けると、無邪気な笑顔で待ち構えるヒナの姿。

 つい数秒前までの癇癪は、果たして何処へ消えたのか。

 実に単純な女だった。






「どうでもいいけど、エーゲの部屋って遊ぶもの何も無いよね」

「強引に押し掛けといてそれか。どんな面の皮してやがる」

「こんなー」


 コーラで満たされたグラスの氷をかき混ぜながら、むに、と軽く頬を引っ張るヒナ。

 対するエーゲは憤る気力も失せたのか、大きく肩を落とす。


「……長生きするよ、お前」

「わーい、褒められちゃった!」


 当然だが、彼に褒めたつもりは全く無い。

 皮肉を皮肉と受け取れないのは、ストレスフルな現代に於いて強みなのやも知れない。

 無論、相手をさせられる方は倍の勢いで心労が嵩むけれど。


「じゃあ何して遊ぼっか」

「マジでたまにだけどな、自由なお前が羨ましくなる」

「えへへへー。もう、この褒め上手め!」


 白磁の如き頬を朱に染め、照れ笑う。

 そんなヒナを見詰めるエーゲの眼差しは、半ば死んだ魚のそれであった。


「よっし、降霊術やろう! 死んだおばーちゃん口寄せするの!」


 エーゲが右手に巻いた下ろしたての数珠を奪い、なむなむと適当な念仏を唱うヒナ。

 亡くした親族どころか、動物霊一匹呼び出せそうになかった。


 と言うか。


「お前の婆様、まだピンピンしてるぞ」

「なんまいだーしゃばだびだーさんばいざー……ん? そだっけ?」

「あぁ。今年の正月、帰省した時に小遣いくれた……シィッ!」


 頷きながら、エーゲは部屋の隅に針を投げる。

 縫い止められたのは奇妙な靄。自分の形すら忘れてしまった低俗霊。

 ヒナのいい加減な念仏にすら救いを求め、寄ってきたらしい。


「ん……しまった、つい反射的に。すまん、詫びに浄土への道行を手伝ってやるから許せ」


 軽く手を合わせて針を抜き、六文銭を書き留めた紙片を渡す。

 すると、霊の姿が渦を巻いて薄れ、程無く消え去った。


「……ヒナ。何の力も無い雑霊をからかってやるな、可哀想だろ。今に本気で祟られるぞ」

「ボク、割と真面目にやってたんだけど」


 珍しく真顔で返される。

 それはそれで、頭の痛くなる話だった。


「まあいいや! コーラおかわり!」

「はいはい……」


 いつの間にか空となったグラスをずいと突き出され、嘆息混じりに受け取るエーゲ。

 キッキンの冷蔵庫からペットボトルを取ろうと、緩慢に立ち上がる。


 ポケットでスマホが鳴り響いたのは、そんな折のことであった。


「あぁ? 誰だよこんな時間に」

「非常識だねー」

「ブーメランって言葉知ってるかお前」


 引っ張り出し、画面を見下ろすと、表示されていたのはバイト先の店長の番号。

 どうせまたシフトの交代だろうと当たりを付け、通話アイコンをタップする。


『もしもし』

「……?」


 だが、電話口から届いた声に、エーゲの顔色が変わる。

 平坦な、どこか幼さを残した女声。

 割れ鐘のような店長のそれとは、似ても似つかぬものだった。


 不穏を感じたエーゲが再び口を開くより先、耳障りなノイズが混ざり込む。

 そして。


『私、メリーさん。今、駅前に居るの』


 ただひと言、声はそう告げて。

 ぶつりと無遠慮に、通話は切れた。






「あー、しまった」


 テーブルにスマホを置き、エーゲは己の失態を悔いる。


 夜半過ぎの着信に出る際は、必ず数珠を巻いておかなければならない。

 そうすることで、相手が如何なる存在であるかを、数珠が教えてくれる。


 しかしながら、それをヒナに遊ばせたまま電話を取ってしまった。


 凡ミスもいいところの初歩的なポカ。

 更によくよく見れば、スマホの裏面に貼り付けた護符が殆ど焼け焦げている。

 何故気付かなかったのかと、逆に笑えるくらいだった。


「……ま、相手がメリーさんじゃ、あんま関係ねぇか」


 都市伝説に属する怪奇の中でも、間違いなく五本指に入る知名度を持った怪物。

 重ねて、物騒な噂と反して実際は大人しい口裂け女や八尺様とは根本的に違う。

 噂通りに振る舞い、多くの犠牲者を出し、色濃い実害を振り撒く、凶暴で悪辣な化生。

 素人に毛が生えた程度のエーゲでは、まともに張り合って敵う筈もない相手。

 数珠と護符に気付いていたところで、容易に退けられたとは思えなかった。


「さて、どうすっか」

「はいもしもしー。あ、うん分かった、伝えとくね……エーゲ、今コンビニに居るってー」

「少しは緊張感を持とうぜ」


 着々と近付きつつあるメリーさん。

 果たして数ある逸話のどれを投影した個体なのかは不明だが、何れにせよ対処は必須。


 最悪、ヒナ諸共に殺されかねないのだ。

 ただ天運に任せ手を拱くなど、エーゲは御免だった。

 事ある毎、神仏に恨み辛みの焚き上げを行っている身としては、特に。

 祈っても絶対助けてくれないだろうという、揺るがぬ自負があった。


 ――閑話休題。

 メリーさんは確かに強力な怪奇だが、並外れた知名度の分、対処法も割れている。


 例えば、以前に行きつけのコンビニの店長が実行したという手。

 即ちメリーさんが飽きて標的を変えるまで、只管に移動し逃げ続ける方法。


 場合によっては、一週間かそこらで本州を半分近く回る羽目となる。

 けれども、やはりこれが最も安全かつ確実と言えよう。


 ……ただし、エーゲ達にこの手は使えない。

 より正しくは、ヒナが、であるが。


「新宿駅に駆け込むのもな……場合によっちゃメリーさんと戦う方がマシだろ」

「知ってる知ってる! 夜中の新宿駅って地獄に繋がってるんでしょ?」

「繋がってる時もある、らしい。俺も詳しくは知らん」

「行ってみたーい! 地獄の鬼とか見たーい!」

「アホかお前。エロい目かグロい目に遭うのがオチだぞ」


 ヒナを連れて地獄巡りなど、正気の沙汰とは思えなかった。

 どうせ彼女のこと、黄泉の食べ物を口にして出られなくなるに決まっている。


「つか、対処法ってあと何があった? 半分以上は下らねぇ冗談だった気がするぞ」

「もしもしー。うんうん、はーい……エーゲ、今近所の犬に吠えられてるってー」

「報告が律儀だな。腹立たしい」


 そして、この近所でよく吠える犬が居る家となると、もう殆ど目と鼻の先。

 悩むのは後だと一旦思案を断ち、エーゲは壁に掛けたコートを取った。


「行くぞヒナ。取り敢えず移動だ」

「うぇーい」


 せめて、もう少し気合の入った返事はできなかったのだろうか。






 数分置きに着信、細かな近況報告を受けつつ、街中を逃げ回ること小一時間。

 ヒナが飽きて愚図り始めた頃、ふとエーゲはひとつの妙案に至った。


 何処へ行こうとも必ず追い縋り続ける怪奇、メリーさん。

 最後は獲物の背後へと忍び寄り、恐怖の坩堝へと落とす悪趣味なストーカー。

 まともな手段で彼女を振り切ることは、統計から考えて不可能に近い。


 が、もしも。

 もしもメリーさんほどの化生であっても、おいそれと立ち入れない場所があったなら。

 或いは、発見自体が極めて困難な場所に隠れ潜んだなら、どうなるだろう。


 思えば夜中の新宿駅でメリーさんを撒けるという話も、その可能性を裏付けている。


 そもそも、新宿駅でメリーさんを振り払うことができるのは何故か。

 それは彼女が、異界と化した駅構内で道に迷うからだ。


 道に迷う。迷う場所がある。

 つまり、メリーさんは瞬間移動や壁抜けなど、超常の手段で動いているワケではない。

 若しくは、無条件にそうした方法が使えるワケではない。


 なら、入れない、見付けられない死角があっても不思議はない。

 そしてエーゲには、そんな場所にひとつ心当たりがあった。


 結界で巧妙に隠された建造物。

 決まった所作をなぞらなければ、存在の知覚すら適わない。

 恐らくはメリーさんと同等以上の力を持つであろう、真性の九十九神が営む店。



「つーワケだ。背に腹は変えられん、悪いが今晩泊めてくれ」

「よろしくねー」



「へ……?」


 横に並び、揃って頭を下げるエーゲとヒナ。

 暫し、沈黙が店内に伝う。


「え、え? ……え、ええぇぇッ!?」


 やがて。向けられた言葉の意味を呑み込んだのだろう。

 人気の無い古本屋に、文車妖妃の叫び声が、所狭しと響き渡った。






『もしもし。私、メリーさん……あの、今どこに居るの……?』


 声の端に震えを帯びた、やもすれば泣きそうな問い掛けだった。

 正味、声色が少女然としたものということもあり、幾許かの憐憫すら誘われる。


「質問を返すようだが、素直に教えると思ってんのか? お前ヒナより馬鹿じゃねぇの」


 対し、刺々しく吐き捨て、もうかけてくるなと一方的に通話を終えるエーゲ。

 血も涙もないようだが、しかし対応としては何ひとつ間違っていない。

 相手は怪奇。その中でも分かり易く危険な手合いである、メリーさんなのだから。


「ったく……」


 サイレントモードにしたスマホを放り、読みかけだった文面へと再び目を落とす。


 江戸時代の終わり頃に出版された、古めかしい装丁の本。

 まさかオリジナルが現存しているなどと、夢にも思わなかった逸品。


 しかし、幕末手前の発行ともなれば、当然ながら書流も今のそれとは異なる。

 更に加えて、文面を綴る書体も独特なくずし字。

 ある程度の知識の下地が無ければ、まともに読むことさえ適わない。

 まあ、元より古文書とは、大凡そういう代物だが。


 とは言え、和様御家流の翻訳など、現代っ子には軽いもの。

 何せ幻世に於ける義務教育のカリキュラムは、古文の比重が特に大きい。

 今日日、これくらいなら中学生でも楽に読み進められるだろう。


 そして、そんな一般例に漏れず、エーゲも特に読むことを苦とした様子は無い。

 寧ろ、見た目には分かり辛いが、ぺらぺらと機嫌良くページを捲っている。


 ……転じて、一方のヒナはと言えば。


「すやぁ」


 エーゲに倣って柄にもなく本を開いてみたはいいが、ものの五分でダウン。

 クッションを枕にテーブルへと突っ伏し、心地好さげに寝息など立てていた。

 とことん、頭を使う行為というものに向いていないらしい。


「無いと何も見えねぇのは分かるけどな、寝る時くらい眼鏡は外せよ……」


 溜息混じりにエーゲはヒナの眼鏡を取り、ついで三つ編みも解いておく。

 シュシュと風鈴で留められた長い髪が、衣擦れに似た音を立てて広がった。


「……黙ってりゃ、文句無しの美人なんだが」


 理知的な形貌の小顔、妖艶な色香を含んだ癖毛。

 すらりと長い手足、痩躯ながらも全く骨ばっていない肢体。


 これでもう少し落ち着きを持ってくれれば、嫁の貰い手にも困らず済んだ筈。

 育て方を間違えたと、まるで親のような後悔を抱くエーゲ。

 自由人の目付役も楽ではない。


「なあ、布団あるか。貸して貰えると助かる」

「え、あ、うん……はい……えっと、奥に」


 おずおずと店の奥、襖の向こうを指差す文車。

 エーゲは軽く頭を下げると、眠るヒナを慣れた風に抱き上げた。


 外見相応な、人一人の重量とするにはひどく軽い手応え。

 日頃の大食いで放り込んだ食べ物は、果たしてどこに行ってしまっているのか。


 胸も頭も、こんなに可哀想だと言うのに。






「破魔の針を使った結界か……覚えておいて損は無さそうだな」


 ヒナを寝かし付けた後、再三読書へと戻ったエーゲ。


 ちなみに、彼が先程より目を通している本は、しっかりと買い取った品である。

 こういうあたり、律儀な男であった。


「……ず、随分と熱心、なのね……?」


 ふと、本棚の陰から顔を出した文車が、つかえ気味にそう語りかける。

 挙動不審も甚だしいけれど、初対面の時よりは幾らか耐性を養えた様子。

 ほんの少し。三寸程度、以前と比べて距離が詰まっていた。


「陰陽師でも……め、目指してるの?」

「あぁ? まさか、何年も修行積んでる暇なんかねぇよ」


 呪術の研鑽が半ば趣味であることは認める。

 しかし、専門職と並べれば月とスッポン。結局は素人芸の域を出ない。


 無論、本格的に一廉の術師を目指そうと志したなら、彼を弟子にと望む声は多かろう。

 才能も胆力もあり、何より努力を惜しまぬ気質の持ち主。

 まず間違いなく大成が見込める、金の卵なのだから。


 ――だが。


「俺にとって呪術はあくまで手段だ。目的を果たすための、な」

「目的……?」


 首を傾げつつ、文車が繰り返す。


「……なんだ? そんなに俺に興味があるのか?」

「ふぇっ!?」


 エーゲの言葉に顔を赤く染め上げ、乗り出しかけていた身を引っ込ませる文車。

 何とも初心な反応に、仏頂面を崩し、くつくつと笑うエーゲ。

 中々、レアな光景であった。


「すまんすまん。アンタ、化生にしちゃからかい甲斐があるもんで、ついな」

「はうぅ……」


 暫く笑声を零し、やがて喉が渇いたのか、茶を啜る。

 ゆっくりと湯呑みを置いた後、エーゲは静かに目を細めた。


「ま、目的なんて言ったって、今時どこにでも転がってる話さ」


 告げながら、コートの内から長い針を一本抜き取る。

 護符を巻き付け、験力を篭めることで、怪奇的な存在に対する武器と化した破魔の針。


 尚、買い求める際は神社か、せめてスーパーで直接手に取ることが望ましい。

 ネット通販の場合は割高な上、品質を確認できないため、粗悪品を掴まされやすいのだ。


「……ッ」


 握り込んだ針が、震えながら小さく軋む。

 くの字に曲がったそれを、力任せにテーブルへと突き立てた。


「ぴゃぅっ」

「……どうしても」


 突然の大音に驚き、肩を跳ねさせる文車。

 けれどエーゲは気付いた様子も無く、きつく歯を噛み締め、低く暗く、呟くのだった。


「どうしても――何があっても、何をしてでも、殺したい化生やつが居るんだよ」





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