第21話 カルロスの独白

「フィリス、僕との婚約を破棄してほしい。君は性格に裏表があるようだからね。そのような者を我が伯爵家に入れることはできない!」

「ジュスタン様、なぜそのような事を仰るのですか?!先日までは愛を囁いて下さったではないですか!」

「言った通りだよ。君の悪い噂を聞いてね。両親も合意の上だ」

「私の性格に問題があると仰るのですか?裏表などございません!私の友人にご確認頂けませんでしょうか?」

「その友人とやらが証言しているんだ。僕は君に騙されていたんだ。今後は聖女様のもとで僕の一生を騎士として捧げることにした」



豪華な広間の中央に近い場所で一組の男女が言い争うのが聞こえた。ダンスの為の音色が鳴っているがそれも台無しだ。第二王子や聖女様もおられるというのに、このような醜い言い争いをして衛兵は誰も止めないのだろうか。ちらりと壇上にいる第二王子と聖女様を見上げると、第二王子は苦々しい表情をしていたが聖女様は穏やかで愉快そうな表情を浮かべていた。それは優雅に楽器の音色を聴いているような表情で、男女の諍いを楽しんでいるようにも見えた。


ああ、母から聞いた噂は本当だったのか。聖女様の表情を見て確信してしまった。見目の麗しい男性を聖女様の騎士に引き立て、その伴侶や婚約者を大勢の前で男性本人に罵倒させる。話を聞いた時は信じられなかったが、自分のこの目で見てしまうともはや疑いようがなかった。聖女様はこのような醜態を娯楽として楽しんでいるのだ。


私にこの舞踏会の招待状が届いた時はいつものように断ろうとした。しかし招待文の内容に、三十歳以下の独身である男性は必ず出席し、出席できないならば相応の証拠を提出するようにと記載されていた。そちらがそう言うのならば仕方がない。出席するだけしてこの顔を大勢の貴族たちに晒し、招待して失敗したと思わせればいい。



私の顔は右側がただれている。幼いころに自身の火を扱う魔術を暴発させてしまい右側の顔と頭皮が焼けてしまった。辺境で暮らしていた為、当時は治療院などもなく治すこともできないままに成長してしまった。両親がようやく治療院を設立したがその時には既に顔面が引きつったまま固まっており、元には戻らないと言われた。


辺境の領地の人々は見慣れているので親しく接してくれるが、用があり他の街へ行く際にはすれ違う街の人々は顔をしかめるし、貴族などさらに分かりやすい態度だった。わざわざ人々を不快にさせる事もないと思い、辺境の領地からは極力出ないようにして父の領主としての仕事を手伝うようになった。家族はこのような醜い顔になってからも変わらず愛してくれたので居心地がよかった。


だから今日は初めて王都の貴族たちにこの顔を晒す事になる。令嬢達や聖女様も近寄っては来ないだろうし、見せておけば今後招待される事もないだろう。



「マーガレット、その……ボクと婚約を解消してくれないか。君の事を嫌いになったわけではなくて……それに今日の君はなんとも美しい。君はこんなにも美しかっただろうか……?ボクは間違えているのか?いや、もう聖女様に返事をしてしまったんだ。聖女様の騎士になるために君とは婚約を維持できない」


「ダニエル様、婚約の解消、謹んでお受けいたします」

「君はそれで良いのか?……これからも友人として会う事はできないだろうか。君の様に美しい女性を手放すのは……」

「いいえ、お互いに別の道を歩むことを選択したのです。もうお会いする事もありませんでしょう。最後になりますが、ダニエル様の事、お慕い申しておりました」



壁際に立っていた私のすぐ近くでもう一件の婚約破棄が行われているようだった。先ほどのように広間の中央ではなく、壁際の柱の陰に隠れるように、ひっそりと二人話している。しかし相手の男はなんと優柔不断なのだろうか。心を決めたのだからはっきりと意見を告げれば良いのに土壇場で迷ったりして、聞いているだけでイライラとしてくる。


相手の女性も私と同じ気持ちではないだろうか。いやそれどころではないか。女性がこのような場で男性から婚約破棄を突き付けられるのだ。こういった場合女性たちは傷物だと悪評が広まり、私のように領地や修道院などで一生を独身として暮らしていくしか生きる道はない。女性の場合は他の方法があるかもしれないが。女性がどのような表情をしているのか見てみたいという下品な好奇心から、柱の奥が見えるように移動する。


栗色の輝く髪が目に入った。見たこともないような形に複雑に髪が編み込まれており、上品な細工の髪留めで留めてある。髪は艶やかであるが、時折キラキラと光るのは何なのだろう。後姿からでも分かる、ピンと伸びた背。その華奢な肩が震えてはいまいかと心配だったが、その後姿からは何かに守られているかのような自信が醸し出されていた。


そして何よりも、その濃紺のドレスが嫌でも目に付く。舞踏会に出るのはこれが初めてであったので流行や基本の型などは詳しくないが、それでも周囲の女性のドレスを見る限り、この女性のドレスがいかに奇抜で型破りであるかが分かる。しかしそれは大変素晴らしいものだった。スカート部分に見た事のないような素材が重ねられており、そこには繊細な刺繍が上品に大量に刺されている。まるで夜空に輝く星々が集まり川となったように、それは煌めいて見えた。刺繍にどれほどの時間がかかるかは知らないが、それでも相当な手間と時間が必要であろう。


それほどの事が出来る彼女は、爵位の高い貴族なのだろうか。だとすると婚約解消を願い出たダニエルという男性は愚か者ではないか。


ダニエルという男性が名残惜し気にその場を去ると、女性は一人になり壁際に沿うように立ちこちらへ顔を向けた。その瞬間、私の足は動いていた。自分の顔がただれている事も忘れていた。今まで婚約の打診の話は時々あったが、実際に顔合わせをした女性は例外なくこの顔の醜さに顔を歪め、叫び、逃げ帰った。そんな記憶も頭から抜け落ちてしまった。それほどまでに美しかった。



「失礼、お話が聞こえてしまったもので。お隣宜しいでしょうか」

「ええ、構いませんわ。あら?お顔をどうされたのかしら?」


彼女に指摘されてようやく自分の醜さを思い出す。しかし私は彼女の顔から目が離せなかった。陶器のような艶やかな肌に意志の強そうな瞳。色味の薄い小さな唇はぷっくりとしていて頬はふわりと色づいていた。思わず勘違いしてしまいそうだ。このような美しい女性は初めて見た。


「……ああこれですか。幼少時に自分の魔術で焼いてしまいましてね。不快な気持ちにさせてしまい申し訳ない」

「とんでもございませんわ。それよりも今は痛くはありませんの?」

「火傷から二十年も経っておりますので、痛みはありません。貴方は私の顔を見ても叫ばないのですね」

「叫ぶ?人様のお顔を見て叫ぶだなんて、面白い方がおられるのね」


そう言ってころころと笑う彼女は無邪気で、人からの悪意など感じた事がないのだろうと思った。


「申し遅れましたが、カッセル辺境伯家嫡男のカルロスと申します。カルロスとお呼びください、お名前をお伺いしても?」

「ええ、サンドレア子爵家次女、マーガレットと申します。カルロス様。わたくしの事もマーガレットとお呼びくださいませ」


マーガレット嬢の顔を再び見つめてしまう。とても美しい。ああ、だから先ほどのダニエルという男は柱の陰でこっそりと婚約の破棄をしたのかと納得する。このような美女を己の矜持の為に手放した愚かな男であることが貴族たちに伝わってしまうし、柱の陰に隠しておかなければ他の男性に舞台の中央へダンスに引っ張り出されてしまうだろう。


「あら?カルロス様の瞳は薄い茶色ですのね。わたくしの瞳の色と似ていますわ」

「そんな、私のような醜い顔の者の瞳と同じ色であるなど……」

「色の話をしておりますのよ。ほらわたくしの瞳を近くでよく見てみてくださいませ」


言われるがまま彼女の瞳を覗き込む。彼女のその瞳が私だけを見つめていた。これ程までに近づいて逃げない女性など今までいなかった。本当に勘違いしてしまいそうだ。彼女からしたらただの戯れだろうというのに。


きっと彼女はこの後、婚約解消の事実が広まれば見合い話が殺到するだろう。その中から家格や容姿の良い男性が選ばれる。私のような者は、箸にも棒にも掛からないに違いない。だから今だけ。今だけはこの透き通るような薄茶色の瞳を独り占めしても良いだろうか。


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