クラウドについて、誰か私に教えてほしい。
つねあり
第1話 序章
途切れることなく光り続けるカメラのフラッシュ。
男性カメラマンが夢中でシャッターを押している。
一人の美しい「女王」が、ソファーに座りながら、静かにフラッシュのシャワーを浴びていた。
「女王」が座っているソファーは、大の男が手足を伸ばしても十分なほど広く、ベットのように大きい。鞣した本革の高級ソファーが、日の光と重なり合い、黒い光沢を放ち、「女王」の存在に花を添える。
「女王」の美貌は五十代とは思えないほど美しく、そして、華やか。
涼やかで、憂いを帯びた切れ長な目と筆で書いたようにスッと伸びた鼻筋。上品で薄い唇が赤くなまめかしく光り、瓜実顔とよく似合う。
マスコミが黙って、見過ごすわけがない。
それは「女王」も知っている。
肩まで伸びた絹のような黒髪を「女王」かき上げる。カメラマンの彼は「女王」に操られるかのように反応し、激しいフラッシュが瞬き出す。
彼は、一心不乱にシャッターを押す。
ファインダーから覗く「女王」は神々しく、魅力的な色を放つ。まるで、新種の蝶を見つけたような喜びで、彼はシャッターを押し続けている。
それも「女王」は知っている。
彼はもう、「女王」の虜。
蝶を追いかけてるうちに、いつの間にか、「女王」の蜘蛛の巣に。
だけど、彼は気付いていない。
「女王」だけが気付いている。シャッターの音を聞けば、すぐわかる。
今日の「女王」は機嫌がいい。
「女王」の機嫌を良くしているのは、カメラのフラッシュだけではない。「女王」の目の前に、ポツンと座る女性記者。彼女が「女王」の機嫌をより一層、楽しいものにしている。
彼女の身なりは、白のワイシャツに黒のパンツと記者らしく、簡素で機能的。スラリとした細身で髪は短く、利発的な顔には不釣り合いなほどギラリとした瞳《め》をしていて、記者としての抜け目のなさが垣間見る。
一見するとわからないが、女性記者は酷く緊張し、震えていた。上手く隠していると思っているかもしれないが、「女王」にはお見通し。手に取るようにわかる。
体の震えを必死に隠し、言葉の使い方、対応の仕方ひとつに細心の注意を払う女性記者の心理状況が面白いほど「女王」に伝わって来る。
女性記者はこう思っている。
もし、「女王」の機嫌を損ねるようなことがあれば、無事では済まない。
記者としての首が飛ぶ、と。
ギロチン台に首を入れた女性記者は、刃が落ちて来ないことを、ただひたすら祈っている。
「女王」にはそれが面白いほど、よくわかる。
この指定席のソファーから、その顔を何度見て来たことか。
それは、どんなに上手に取り繕っても無意識に顔から滲み出て来るもの。頑張って隠せるものじゃない。
本人も気付いていない小さな恐怖も「女王」は見逃さない。
それを見透かされているとは知らずに、女性記者は気丈なふりして話し出す。
「五十嵐社長。私の不躾なお願いにも関わらず、貴重なお時間を割いて頂き有難う御座います。」
深々と女性記者が頭を下げる。
女性記者の後ろには、一面ガラス張りの大きな窓。
そこに映るは、どこまでも続く青い空。この街で一番空に近い場所。眼窩に広がるビルたちはオモチャのように小さく、その背景と頭を下げた女性記者が同化する。
「女王」にとって、この瞬間が何より堪らない。
「女王」は微かに笑みを浮かべるだけで、何も答えず、女性記者の反応を楽しもうとイジワルするが、イジワルされた方は、たまったものではない。
女性記者は「女王」の微笑みの意味がわからず、困惑し、反射的に「女王」の後ろに立っている秘書に助けを求めた。
彼女の名前は遠藤 奈々子。「女王」の右腕。有能な秘書。
彼女を味方につけなければ、「女王」と話すことすらできず、すべての業務を取り仕切る言わば、「女王」の頭脳。「女王」の司令塔。
歳は「女王」よりも少し、年下。
整った顔立ちに、背はスラリと高く、美人。
目立たぬよう控えめな服装をしているが、「女王」の後ろに立っていなければ、モデルと見紛うばかりのルックスで、常に「女王」の後ろを付かず離れず、距離を保ちながら立ち、影日向となり「女王」をサポートしている。
その遠藤が、女性記者に “問題ない” と目配せをする。
それを知って、女性記者は胸を撫で下ろし、何もなかったよう顔して話しを続けた。
「今回は、弊社、super womanの特集記事としまして、創立わずか25年で、年商2000億の会社へと成長させ、一躍、日本の経済界に躍り出た美容界のカリスマ経営者 五十嵐 美樹。その人となりと、女性としての魅力を余すことなく、読者にお届けしたいと思い企画しました。五十嵐社長。今日は何卒、宜しくお願い致します。」
丁寧の上に丁寧を重ね、ヨイショの上にヨイショを重ね、女性記者は「女王」にお願いをする。
「カリスマ経営だなんて、そんな大したものじゃないわ。ただ一生懸命働いていただけ。運がよかっただけよ。」
「女王」は、軽く笑って、女性記者同様、謙遜のふりをした。
「そんなことはありません。ここ数年、海外への事業展開も意欲的にされています。これからの展望を是非お聞かせ下さい。」
女性記者は、まずは当たり障りのないところから攻めてみることにした。
「それはみんなで話し合った決めたことだから、正直、私はわからないの。秘書の遠藤に聞いて。私より、詳しいから。」
茶目っ気に「女王」は話すと周囲から笑いが零れた。
遠藤がクスッと笑うと、それに釣られてカメラマンの彼もにこやかに笑う。「女王」の茶目っ気な表情が可愛らしかったのだろう。彼は夢中でシャッターを押し続ける。
そのシャッター音を「女王」は聞き逃さない。
遠藤もカメラマンも、「女王」のペースにすっかり乗せられて気付いてはいないが、女性記者だけ、すぐに気付いた。
“はぐらかされている”と。
“最初から「女王」は答える気がない” 女性記者はそう感じた。
前途多難過ぎて、女性記者は眩暈にも似た絶望を感じたが、そんな眩暈に負けている場合ではない。ダメ元で手にしたチャンス。何としてでもインタビューを成功させなくてはならない。
女性記者は引きつった愛想笑いを浮かべながら、次の質問をする。
「しかし、そうは言っても、卓越した経営手腕がなければ、会社をここまで大きくできないと思うのですが。」
「卓越したなんて、そんなものないわ。さっきも言いましたように、一生懸命、仕事をしてきただけ。そして、気が付けば、あっという間にオバさん。もう、大変。」
また周囲から笑いが零れ、シャッター音が鳴り響く。
これでは埒が明かない。堂々巡りだ。しかし、それでも、何としてでも「女王」から話しを聞き出さなくてはいけないので、女性記者は質問を変え、別の角度からの侵入を試みることにした。
「またまたご謙遜を。あちらの賞が物語っているではないですか?」
そう言って、女性記者は、右側にある「女王」の机に視線を移すと、そこには立派なブロンズ像が置いてあった。
躍動感たっぷりに造られた鷹が女性記者を睨み、翼を大きく広げ、今にでも飛びかかって来そうなほど、迫力のあるブロンズ像だ。
ブロンズ像の台のプレートには “最優秀経営者賞 五十嵐 美樹”の文字がしっかりとはめ込まれていた。
右を向いても捕食者。前を向いても捕食者。女性記者は生きた心地がしなかった。
「あれは秘書の遠藤が置いたのよ。いつもは置いてないの。取材のために置いたのよ。ちゃんと記事にしといてね。」
慌てた「女王」の耳に、またも、ハッキリとシャッター音が聞こえて来た。
女性記者は、ペースが掴めずに悩む。
質疑応答を繰り返すことで、話しのリズムを作ろうとするのだが、女性記者に主導権を渡すまいと「女王」が会話のリズムを壊し、ジャマをする。
「女王」に弄ばれているだけで、手立てがない。悩む女性記者にブロンズ像の鷹がジッと睨む。
どうにもブロンズ像が視界に入り、気が散る。正確に言えばブロンズ像とそのブロンズ像が置かれている「女王」の机が女性記者の視界に土足で入って来る。
「女王」の机は、一目見て年代物とわかる調度品。派手さはなく、華やか。エレガントな曲線と洗練された直線だけで作り上げた芸術作品。
赤い艶と妖しい光沢が混ざり合い、独特の味わいを醸し出していた。
特にたたずまいが美しい。
しかし、お金を出せば誰でも買えると言う代物ではない。机が人を選び、人が机を選ぶ。相思相愛でなければ、成立できない格調高きアンティーク。
“上品な机の上にブロンズ像” 明らかにミスマッチ。例えて言うなら“鷹匠の貴婦人”と言ったところ。
その貴婦人が鷹と一緒に女性記者をジッと睨む。
ブロンズ像より存在感のある貴婦人。女性記者は貴婦人に品定めされているようで、居心地が悪い。
どこを見ても、「女王」の存在が否が応でも視界に飛び込んでくる。
“何か言わなければ”
ジリジリとした焦りが女性記者をはやらせる。
「に、日本で一番名誉ある賞を頂いたのですから、社長に憧れて、起業する女性もたくさんいると思います。そんな女性に何かアドバイスを頂けませんでしょうか。」
「憧れ?」
今まで、太陽のように輝いていた「女王」の笑顔が、一瞬にして曇る。
その顔を見て、女性記者の心臓がキュッとなる。
「私に憧れなくても、今の時代、女性も起業するんじゃないかしら。」
「 …。」
失敗だ。こんな安いエサで喰いつくわけもない。何も考えずに不用意に発言してしまった。
他の女性起業家なら簡単に喰いついたかもしれないが、相手は「女王」。逆に怒りを買ってしまった。何とかこの状況を打破しようとして、焦り過ぎた。
突然。晴れたり、曇ったり。「女王」の気分はころころ変わる。山の天候を読むよりも難しい。
チラリと見た遠藤の顔も “ヤメロ” と言っている。
もう、これ以上は踏み込めない。またも出鼻をくじかれた。振り返って見れば、この部屋に入った瞬間から出鼻をくじかれっぱなしだ。
「女王」に取材が出来ると思い、意気揚々と部屋に入った来たまではよかった。入った瞬間、女性記者の視界に飛び込んで来たのが、ガラス一面に映る青い空。部屋と外の境界線が突如としてなくなり、ビルたちがミニチュアと化し、女性記者はまるで空の上にいるような感覚に陥った。
ここは「女王」の部屋。
ここは「女王」の城。
女性記者は、「女王」の城に入って早々、出鼻をくじかれたのだが、それだけで「女王」は許してくれなかった。
次に女性記者の視界に飛び込んで来たのが、城の真ん中に鎮座する一枚杉で出来たテーブルだった。ここまでどうやって運んだのか想像もつかないほど大きい。そして、そのテーブルやソファーを包み込むように、毛足の長い真っ赤な絨毯が城中に敷きつめられていた。
女性記者は「女王」の口の中に自ら意気揚々と飛び込み、一瞬で飲み込まれた。
それから完全にペースを掴めず。後手後手に回り、とうとう「女王」の機嫌を損ねてしまった。
しかし、ここでくじけている場合ではない。
「女王」は滅多に取材を受けないことで有名な、大のマスコミ嫌い。受けたとしても、私生活を話すことほとんどない。六年前、「女王」に密着したドキュメント番組が放送されていたが、その時も、一切、プライベートなシーンはなかった。
「女王」は頑ななまでに私生活を見せず、過去を語らない。
「女王」の知られている過去と言えば、昔、銀座で一番のホステスだったということ。その人気は圧倒的で、「女王」を一目見ようと、男連中がこぞって列をなし、「女王」詣でをしたという。
この話は今も伝説として、銀座の街に生き続けている。
この美貌なら頷ける。
その時に知り合った人たちの力を借りて、事業を始め、現在に至るのだが、それしかわかっていない。それ以前、銀座の伝説となる前は何をしていたのか知る者は皆無。取材をしても、嘘かホントかわからない不確かな噂話はたくさん出て来るが、真実と言えるような確証のある情報はまったくと言っていいほど出て来ない。
どんな理由であれ、そんなミステリアスな「女王」に取材ができ、今、こうやって対峙しているのだから、臆していてはもったいない。
一度や二度、出鼻をくじかれたからと言って落ち込んでいる場合ではない。記者として、敵前逃亡などあり得ない。相手が大物なら尚更のこと。ここは突撃!玉砕覚悟で突き進むしかない!
女性記者はひとつ咳ばらいをする。
「事業も順調ですが、ライフワークとして活動されている画廊としての目利きも大変有名です。」
「とんでもない。ただの趣味みたいなもの。目利きなんて、そんな力ありません。」
敵もさるもの引っ搔くもの。これぐらいではガードを下げてはくれない。しかし、これは想定内。ダメで元々、突撃あるのみ!
女性記者は怯まず、進む。
「社長はご謙遜されますが、事実、数々の画家を発掘し、世に輩出されています。日本より海外で評価されている方もいらっしゃいます。社長の絵画に対しての情熱は経営と同じものを感じるのですが、絵画に対する思いをお聞かせ願いますか?」
開き直りが功を奏したのか、とっさにしては、我ながらいい質問ができたと女性記者は心の中で自画自賛した。
「私は小さい頃から絵を描くのも、見るのも好きで、それがきっかけで始めたの。」
「!!」
まさかここで、「女王」の過去に触れることができるとは!チラリとだが、幼少の頃の話をしてくれた!
思いがけない収穫。大魚が針に喰いついた。
このまたとない千載一遇のチャンスを逃してなるものかと、女性記者は大魚が逃げないようにゆっくりとゆっくりと糸を巻く。
「そうだったんですか。小さい頃から。今でも描かれるんですか?」
気のない素振りで話しを聞きながら、糸を静かに手繰り寄せている。大魚に気付かれないよう、女性記者はゆっくりとゆっくりと糸を巻く。
「今は描いてないですけど。若い頃は画家になりたいと夢みてたこともあって…。」
喰い付いた!大魚が喰い付いた! 多くを語らない「女王」が若い日の思い出を語っている。これはどこのマスコミも知らない情報。大魚がゆっくり、ゆっくりと女性記者の方に近づいて来ている。
「画家になろうと。それで思い入れがあるんですね。」
「夢みてたと言っても思っただけで、実際になろうとしたわけじゃないけどね。」
「そうなんですか。」
「起業して25年間。遮二無二頑張ってきて、ようやく軌道に乗りはじめた時、ふと、私が叶わなかった夢を応援したいなって思って。それがきっかけかな。」
「それは知りませんでした。」
女性記者は親身になって聞いているようで、まったく聞いていない。
もちろん聞いてはいるのだが、頭の半分で聞きながら、残りの頭、半分で、今のインタビューをどう記事にしようか考えていた。
“構成はどうしよう?”
“見出しは?”
“クレームが来ない書き方をしないと”
女性記者は頭の半分を物凄い勢いで回転させ、考える。しかし、頭をフル回転させながらも、女性記者は手元の糸が切れないように、ゆっくりと慎重に巻き続ける。
「画家に対する思いは特別ということですね。」
「そうね。」
さっきまで暴れ回っていた大魚が、まな板の上に乗ったように静かだ。
でも、女性記者は慌てない。もう少し、もう少しだけ糸を巻く。
「芸術に対しての造形が深いことは知っていましたが、芸術だけではなく、画家に対しての熱意も深かったわけですね。」
「そんな大袈裟ことではないけれど。少しでも世の中のお役に立てればいいと思って。だから、私はお金儲けのために画廊をしてるわけじゃないの。ん~、なんて言うんだろ?恩返しみたいなものかな。」
“今だ!”
女性記者の勘が動く。ここが勝負と思い、一気に糸を巻く。
「ということは…。」
あぁ無情。一気に糸を巻き上げよと身を乗り出したその瞬間、女性記者の視線に飛び込んで来たのは、後ろに立っていた遠藤から腕をクロスさせた大きなバツのジェスチャー。
これは“時間切れ”を表す合図。試合終了。もう少しのところで糸を切れ、遅きに失した。
しかも、予定されていた取材時間よりも、早く終わってしまった。
だからといって、無理に時間を作ってもらったのは女性記者の方なので、これ以上、わがままも言えず、そして何より「女王」の機嫌を損ねたら元も子もない。機嫌を損ねて今後、取材ができなくなるよりも、次、いつ来るかわからない機会を待つ方が得策だ。
「…お時間のようですね。今日はありがとうございました…。」
「本当に私みたいなオバさんでよかったのかしら?」
心にもない空虚な心配事を「女王」は女性記者に聞いて来た。
「えぇ。もちろんです。読者は喜びます。」
「それならいいんだけど。」
そう言うながら「女王」は足を組む。
「女王」を象徴する真っ赤なヒールが女性記者の視線に入り込む。
言葉と態度が合っていない。
真っ赤なヒールが視線に入って来たというよりも、見せつけているように思えた。そして、その時、ふと、女性記者の脳裏にひとつの疑問が浮ぶ。
“これはすべて「女王」が描いたシナリオではないのか?”
よくよく考えてみると、女性記者が聞きたかったことは何ひとつ答えてないし、具体的なことも話していない。しかし、今の話を記事にすれば、「女王」の印象は間違いなく上がる。人間的にも、女性的にも魅力を感じ、親近感を湧く女性も多くいるだろう。それに、この美貌だ。「女王」を表紙にするだけで、男性も喜び、買うだろう。
“ただ宣伝に使われただけではないのか?”
もしかしたら、“画家”の話も嘘だったのかもしれない。初めて聞く話だったので、すっかり舞い上がってしまったが、冷静になって考えてみれば、そんな話、聞いたことがない。
第一、初めて会う記者にそんなこと話すだろうか?
どこまでが嘘で、どこまでが作り話だったのか? そもそも、本心の部分が欠片程度でもあったのだろうか?
懐に飛び込めたと思って喜んでいたが、実際はまったく違う場所に誘導させられ、懐だと勘違いしていたのかもしれない。どこにいたのか、今となってはわからない。目の前にいる「女王」でさえも本物かどうか怪しく思えて来た。
部屋に入った時から騙されていたような気さえする。
「女王」を見失う。完全に迷子だ。
「全部、聞き出す。」と浮かれてここまでやって来たが、女性記者が取材した相手は底知れぬ人物だった。
「女王」というより「魔女」
「魔女」というより「魔物」
「それでは机の前でブロンズ像と一緒にいいですか?」
虜になったカメラマンが鼻の下を伸ばし、「女王」に お願いをする。
「今日はありがとう。また、よろしくね。」
スッと立ち上がり、女性記者を見下ろす「女王」と、スッと立ち上がった「女王」を見上げる女性記者。
勝者と敗者。二人の関係性が、今、はっきりと浮き彫りになる。
見上げた「女王」は遥か遠く、何も見えない。
でも、そのおかげで、女性記者は自分の実力をイヤと言うほど確認できた。
「ありがとうございました…。」
力なく立ち上がり、項垂れるように頭を下げる。
弱り切った姿と小さなビル群が重なり合う。
「女王」は手を抜かない。
最後の最後まで「女王」を見せつける。
女性記者が顔を上げる前に、「女王」はブロンズ像が待つ、貴婦人の机へと向かい、その間を埋めるように遠藤が、女性記者に歩み寄る。
「ゲラのチェックはいつ頃?」
「来月中には。」
女性記者は、か細い声でやっと答えた。
「わかりました。出来上がったら教えて下さい。」
「はい。」
「あっ、それと。」
「?」
「こういうアポの取り方止めてくださいね。困るから。」
優しい口調だが、遠藤の
遠藤の視線が鋭い針となって、女性記者の
大弱り目に大祟り目。泣きっ面に毒サソリ。「女王」どころか、その秘書までもが、情け容赦なく、女性記者にムチを振るう。
「…はい。すいません…。」
女性記者は、もう立っているのがやっと、ダウン寸前。
左奥にある秘書室に向かって、遠藤が、「田中さん」と呼びかけると、すぐにドアが開き、地味目の女性が出て来た。
田中は背こそスラっとしているが、顔は平凡。似顔絵にしにくい特徴のない顔で、今夜、布団に入り、今日会った人を思い浮かべても、決して思い出すことがないぐらい、ヒドク印象が薄い。
“「女王」の秘書としては不釣り合い。” そんな言葉がしっくりとくる女性。
「何でしょうか?」
「玄関までお見送りを。」
「畏まりました。」
田中は記者たちが入って来たドアを開け、廊下へと促す。
行きは出鼻をくじかれ、帰りは戦意をもがれ、嘲笑うようにドアが女性記者を待っている。
「それでは失礼します。」
意気揚々と「女王」に挑み、意気消沈して帰る敗者の姿。肩を落とし、背中を丸くして、逃げるようにこの城から去って行く。「女王」は何度この光景を見たのだろうか。きっと、幾度となく繰り返してきた光景なのだろう。
今日の「女王」は機嫌がいい。
女性記者は最後にもう一度だけ「女王」を見ようと振り返るが、「女王」は座っていたソファーから動くことはなく、女性記者を見送る気配もなく、ただ黙って、外の景色を眺めていた。
目の前で「女王」が悠々と泳でいる。
考えが甘かった。一筋縄ではいかない存在と最初からわかって取材をしていたら、きっと結末も違っていただろう。
“準備不足” その一言に尽きるお粗末な結末だった。
女性記者は改めて逃した魚が大きかったことを実感し、自分の不甲斐なさに唇をキュッと噛む。
追い出されるように記者の一団が去り、ドアが閉まると、「女王」の城の中に静けさがが溶けはじめる。
「ねぇ。」
「女王」は景色を見たまま、後ろに立っている遠藤に話しかけた。
「何ですか?」
「今の
遠藤は “やっぱり” という意味合いが入った溜め息をひとつする。
「二日前のパーティーの時、突然、やって来て “取材させてくれ”って頼んで来たじゃないですか!」
「そうだっけ?」
同じ意味合いの溜め息を、もう一度したあと、遠藤は、つかつかっと前に歩き、「女王」の顔を見て、「社長!こういうことやめて下さいって、何度、言ったらわかるんですか!時間を調整するこっちの身にもなってください!」
まるで行儀の悪い犬を叱るように言って聞かせてみるが、「女王」はキョトンとしていた。どうやら、遠藤の怒っている意味が伝わってないようだ。
「二十年も秘書を続けていることが、自分でも不思議なぐらいです。」
溜め息と一緒に偽らざる本音が零れ出た。
「私のおかげでしょ。」
「女王」が間髪入れずに答える。こちらも偽らざる本音のようだ。
なんだか、壁に話しかけているような虚無感。遠藤は、二十年間、ずっと、この虚無感を感じ、ずっと、壁に話しかけて来た。
遠藤の気持ちが、一度でも「女王」に届いていれば、どんなに仕事が楽だったことか。
遠藤の注意を一度でも「女王」が聞いていたら、どんなに素晴らしい上司だったことか。
「女王」の顔を見る度、遠藤はいつも思う。
「どうしたの?疲れた顔して。ちゃんと寝てる?睡眠不足はお肌に悪いのよ。私の秘書なんだからしっかりしてよ。」
遠藤の思いは、「女王」に一切、届いていない。
「で、今の取材は何の取材だったの?」
届いてないどころか、遠藤の話も一切、聞いていなかった。
「super womanって言う雑誌です。」
「それって何の雑誌?」
何度目の溜め息か。
「女性の間で、よく読まれている雑誌です。」
「有名なの?」
もう、溜め息すら出ない。
「売上部数は三位の雑誌です。これを言うの三度目なんですけど。」
「あら、そう? それに、いいじゃない。女性にも読まれてて、売れてるんだから、文句ないでしょ。」
「女王」が、そう答えたのも、きっと、三度目だ。
それに、そんな話を遠藤はしていない。人気があるとかないとかではなく、秘書を通さずに仕事を勝手入れないでくれと言っているのだ。遠藤は社会人としての根本的なモラルについて話しているのだが、「女王」には、どうもうまく伝わらない。
いつも論点がズレて、話が進まず、結局、何の話しをしていたのかわからなくなって、最後は遠藤が悪者になって終わる。
いつも、それの繰り返し。
「で、あの記者の名前は何って言うの?」
話が進まないどころか、二日前から何も話しが進んでいなかった。
「志田いずみです。この前、名刺貰ってたじゃないですか!」
「あら、そう?」
あいにく、「女王」の顔に、反省の色など持ち合わせていない。
「それと、あそこから出てきた
秘書室のドアを指さし尋ねた。「女王」の人に対しての関心のなさが、秘書にも適用するのだとわかり、遠藤は強い眩暈に襲われた。
「田中です。田中未来。半年前から一緒に働いているんですよ。部下の名前ぐらい、いい加減、覚えて下さい!」
話しは二日目ではなく、半年前から進んでいなかったのだから、遠藤が眩暈に襲われるのも仕方がない。
「名前と顔が地味過ぎて、覚えられないのよね~。」
顔は別にして、田中という名前ぐらいは覚えられるはずなのだが、地味過ぎると「女王」にはそれすら困難なようだ。
「クビにしちゃえば?}
あいにく、「女王」の顔に、罪悪感という色など持ち合わせていない。
「何言ってるんですかー!」
遠藤が声を荒げる。
「田中さんは社長に憧れて入社したんですよ!前の会社を辞めて、知り合いの伝手を頼って、自分の力で入って来たんです!その人をクビにするなんて、私が絶対に許しません!」
さすがの遠藤も、こればかりは見過ごすことはできなかった。
「そうなの?」
さすがにこればかりは「女王」も、遠藤に従うしかなかった。
「…それと取材、短すぎない?」
めずらしく「女王」が、人に興味を持つような発言をした。
「いいんです!不躾なことをする失礼な人間には、一分一秒だってあげたくはありません!時間の無駄です!」
遠藤は「女王」に向けるはずの厳しさを志田に向け、ピシャリと突き放した。
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