プロローグ 逃げる姫 追う変態に さらう龍
◆
時を少し遡って三月ほど前のこと。
北大陸の中央に位置する王国最大の
その南西に広がる大草原に、一人の少女がたたずんでいた。
草原に似つかわしくない、薄桃色の上品なドレスに身を包み。
息が荒いのか、肩を上下に震わせている。
少女の名は、《サンデリアーナ=ドラセナ》。
北大陸を支配する王国の第一皇女である。
突如、少女の頭上に影が落ち、風が吹き荒れた。
強い風が彼女の美しい緑髪が巻き上げ、白く透き通った肌があらわになる。
サンデリアーナは驚き、空を見上げた。
ふいの嵐の原因は、銀色の鱗を有した巨大なドラゴンであった。
ドラゴンは、少女の顔を一瞥すると驚いた様子で翼を広げ少女の目前へと舞い降りた。
「もしや、サンデリアーナ姫殿下では? よもや、このようなところでお目にかかれるとは」
「いかにも、貴方は?」
巨大な怪物を前に、姫は一切動じることなく問い返す。
「これは失礼、我は魔王軍幹部にしてダンジョン《大地のくびれ》の主。ペディランサス=大銀龍と申す」
「なるほど、お噂はかねがね」
「さて、無礼は承知のうえ申し上げる。我が手に捕らわれて頂きたい」
言うやいなや、ペディランサスが姫へと腕を伸ばす。
しかし、姫は特段に抵抗することもなく龍の手中に納まった。
ペディランサスは手のひらを空に向け、姫を中心に花のつぼみを作るかのように長い爪で囲う。
「我が手で作った牢獄だ。少し狭いだろうが、空を飛ぶのでな。落とすわけにもいかんから我慢してくれ」
「問題ない。早く行こう」
姫のあっけらかんとした様子に、多少の違和感を覚えながらもペディランサスは満足げに頷いた。
ペディランサスが飛び立とうと翼を広げたその時、その翼に向けて頭上より稲妻が走った。
ペディランサスはとっさに翼をたたみ身をかわす。
当てを無くした稲妻は、そのまま巨大な破裂音と共に地面へと突き刺さり大地に大きな穴を穿いた。
「な、なにものだ!?」
ペディランサスの問いかけに、高笑いと共に一人の男が草原の彼方に現れた。
男は、ゆっくりとした足取りでこちらに近づいてくるが逆光のためかその表情はよく見えない。
藍色でゆったりとした見慣れぬ衣を身に纏い、その手には片刃と曲剣が掲げられている。
恐らく、謎の稲妻はあの剣を用いて発したであろう。剣から、チリチリと小さな雷が放たれていた。
「ふはははははは! 悪しき龍よ、そこまでだ! 姫を離してもらおうか!」
ペディランサスの鼓動が俄かに大きくなる。
先ほどの稲妻を見る限り、男は強い魔法を扱えるのだろう。それに加えて、掲げられた剣。
すなわち、あの妙な男は魔法と剣、その両方に通じているのだ。
思わぬ強敵の出現に、ペディランサスの魔物としての闘志が湧き上がった。
ふとペディランサスの脳裏に、とある伝説がよぎった。
それは魔王軍に伝えられる、とある戦士の物語だ。
青き衣を身に纏い、剣と強大な魔法によって多くの魔物たちを屠る人類最強の存在。
「貴殿は、よもや勇者か!?」
「いや! 違う!」
「違うんかい!」
ペディランサスの燃え上がったハートが、シュンと縮んだ。
いやしかし、目前の戦士が強敵であることは間違いないのだ。ペディランサスは、そう自身に言い聞かせくすぶった闘志を再度無理やり燃え上がらせる。が、それに水を差したのは姫であった。
「あれは変態なの! 私はあれから逃げてきたの!」
姫が、大きな声でペディランサスに訴えかけた。
その声の切実さから、ペディランサスはそれが真実であることを察した。
「男よ、お前は姫を助けに来た王国の騎士というわけでは無いのか!?」
万が一、誤解があってはいかぬと発したペディランサスの問いかけに、男は首を振って見せた。
「俺は、勇者ではないし王国の騎士というわけでは無い!」
男の返事にペディランサスは、沈痛な面持ちで勢いよく空へと飛びあがった。
強者との戦いという楽しみよりも、変態から、このか弱き姫を逃さなくては。その強い庇護心がそうさせたのだ。
「待て! だからといって変態というわけでもないんだぞおおおお!」
男の叫びは、もはや誰の耳にも届かず、ただ広い草原に消えていくのであった。
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