プロローグ はずした関節 心にとめて



傾いて赤く燃える太陽が、ペディランサスの銀色の鱗を輝かせる。

空高く舞い上がったペディランサスは、一路大地のくびれを目指した。


もともと、ちょっとした偵察のつもりで王都近くまで飛んできたものの。

王国の姫という、とんでもない収穫を得たからか、ペディランサスはいつになく上機嫌であった。


「棚からぼたもちとはこのことだな」


ふと、本日の戦利品へと目を向ける。

しかし、爪で囲われた簡易牢、そこに捕らわれたはずの姫の姿はどこにもなかった。

思わぬことにペディランサスは、驚き翼を止めた。


「落としたか?」と周囲を見回すが、姫を見つけることはできない。

ペディランサスの表情に、焦りと後悔からか血の気が引いてしまった。


「後ろだ」


突如、背中から発せられた姫の声にペディランサスは「うひゃあ」と似つかわしくない声をあげた。

首を回すと、確かに翼の付け根あたりに姫がしがみついていた。


「い、いつのまに背に回り込んだのだ?」


「……どうやって手の中から抜け出したか聞きたい?」


ペディランサスはしばし考えた。手のひらで作ったとはいえ、容易く抜け出せるようにした覚えなかった。姫の体のサイズを考え、窮屈ではあるものの体を潰さず身動きが取れない程度にはしていたつもりだ。


それを、姫はいとも簡単に抜け出して見せた。

原因がわからなければ、対策のしようもなく。それは、この大空から姫を落としてしまう危険性にもつながっていた。


「う、うむ。どうやって抜け出したのか教えてくれ」


「代わりに一つ願いを聞いて欲しい」


ペディランサスが頷いて見せる。


「私を王国から連れ出して」


「いや、そもそもそのつもりなんだが……説明していなかったっけ?」


姫は、しばしの沈黙の後、まるで照れを隠すかのように(真のところ単なる照れ隠しであるのだが)構わず話し始めた。


「縄抜けという技術がある。それは、手や体をロープで縛られる際に、筋肉の収縮や体の向きを使って縄にゆとりをつくる技。私は、それを応用した」


「つまり、我の簡易牢獄に隙間を作ったと? しかし、どうやって」


「貴方が爪を閉じる際、私は大きく息を吸い込み、肩や胸をはり、股も外に大きく開いた。それは、本来の私の体をより大きいと貴方に思わせるため」


「ふうむ、たったそれだけのことで……なんと手軽で有効な技術であるか」


「あと、いくつか体の関節をはずした」


「全然、手軽じゃなかった! 相応に、痛みの伴う技術であった!」


姫は、どこか自慢げにふふんと鼻を鳴らした。


「さて姫よ、せっかく抜け出したところ悪いが我が手に戻ってもらえるか?」


「どうして?」


「背中だと大きく風を受けるからな、危なくてあまり速度が出せぬのだ」


「でも、手の中だとあまり外が見えないから」


「……そういえば、姫の要求をまだ聞いていなかったな。姫の要求は『背中に乗っていたい』。それでよいのか?」


ペディランサスからすれば、「姫の要求」は単なる口実であった。

いくら、うら若き少女の頼みとはいえ拐てきたばかりの敵国の姫の言うことをそのまま聞くわけにはいかない。しかし、それでもなお姫の希望を叶えてあげたいという気持ちが、要求を受けるという体裁を必要としたのだ。


その意図を知ってか知らずか、姫は間髪入れず「うん!」と答えて見せた。


「ならば、せいぜいゆっくり帰るとするか!」


ペディランサスが翼を大きく広げ、ゆっくりと羽ばたいた。


沈む夕日に、大地に広がる草原が黄金色に照らされている。

鏡面のごとき銀色のドラゴンの鱗は、その光を照り返し、まるで燃えるように赤く輝いた。

その背にまたがり、姫が誰に聞かせるでもなく呟いた。


「世界って、こんなに美しいんだ」


その声をペディランサスは確かにとらえ、「おおげさな」と思いつつも、それを口に出すことはなかった。


なぜなら、銀龍の背に跨り故郷を旅立つ少女の姿はあまりにも物語の開幕にふさわしく。

己が触れることを畏れ多く感じたのであったからだ。


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