第529話 伝えるべきこと

 悪魔族――今はヒロフミたちの同郷者と言うべき人々に関する報告は一旦終わりということでいいだろう。

 サクラたちがつつがなく説得を終えられて良かった。


 次に話をするべきなのは、アカツキの方だ。

 アルが視線を向けると、アカツキはぎゅっと目を瞑ってから、ヒロフミたちを見つめた。


 普段とあまりに違うアカツキの様子に、ヒロフミが眉を寄せ、サクラは不安そうに目を彷徨かせる。


「俺、二人に話さなきゃいけないことがある」

「……おう」

「そんな改まって、なに……?」


 アカツキは一呼吸置いて、自分の心を落ち着けたようだ。じっとサクラを見据え、その後ヒロフミに視線を移す。


「俺は、日本に帰らない」

「っ、つき兄、本気で、言ってるの?」


 サクラが目を見開いて立ち上がり、アカツキに迫った。その声は可哀想なほどに震えている。

 アカツキは申し訳なさそうに微笑みながらも、強い眼差しを向けてしっかりと頷いた。


 ヒロフミが無言のまま、じっとアカツキを見据える。その手はサクラを落ち着けようと、優しく背中に触れていた。


「――なんで、どうして……」

「帰ることが、必ずしも必要じゃないって、思っちゃったから」

「必要じゃ、ない……?」


 アカツキはテーブルに乗せられていたサクラの手に包むように触れ、「うん」と頷く。


「日本には俺のオリジナルがいて、普通に生活してる。そこに俺が混ざる必要なんてない」

「でも……私たち、この世界じゃ、生き物とさえ言えないような存在だよ……? 死ぬことだってできない。イービルに見つかって捕まったら、この世界を壊す存在にもなりかねない」


 話している間に、サクラは少し冷静さを取り戻したようだ。椅子にストンと腰を下ろし、眉を顰めてアカツキを見つめている。


「まぁ、イービルに関しては、アルさんとかアテナリヤとかに、迷惑かけちゃうかもなーとは思ってるんだけど」


 痛いところを突かれた、と言うようにアカツキがこめかみを指でかく。

 それを見てようやくヒロフミが「馬鹿」と言葉を発した。


「それが何より俺たちが帰還するべき理由だろう。この世界にとっては」

「え?」


 きょとんとした表情を浮かべるアカツキに、ヒロフミが呆れを滲ませた眼差しを向ける。


「世界を守る役目を担ったアテナリヤは――あるいは善たる意思を持つ先読みの乙女は、俺たちの存在がこの世界にとって不都合だとみなしてる。だからこそ、アルを巻き込んで、俺たちが帰還できる道筋を整えた」

「……へ」


 ポカンとするアカツキの横で、アルは静かに頷いた。

 創世神たるアテナリヤの意向が『アカツキたち異世界の存在をこの世界から排除すること』なのは否定できない。やり方はいろいろあるが、剣もそのための方法の一つだった。帰還法を用意することは、比較的温和な対処法だと言えよう。


 問答無用で巻き込まれたアルは少々文句を言いたい気もするが、おかげでアカツキなど親しい友人もできたので、まぁいいかと流すつもりだ。


「お前がここに残るってことは、アテナリヤがまた動き始める可能性を生むことになる。その時に、帰還なんていう穏やかな方法をとってくれるとは思えない。そして、それにアルを巻き込むことになる」


 ヒロフミがアルをビシッと指さした。

 アカツキの顔がこわばる。想定していた以上に厄介だと気づいたのだろう。


 おずおずと視線を向けられたアルは、苦笑しながら肩をすくめた。

 正直、ヒロフミが言ったことは、アカツキが決意を固めた時点で、アルの想定内のことだった。そのことにアカツキが気づいていないと知りながら、アルは言葉にしなかったのだ。

 アルにとって、アカツキの決意を支えることの方が大切だったから。


「対処は考えていますよ」

「……アルがこいつのせいで苦労を背負い込む必要はない。これまでだって、随分な面倒事に巻き込んじまったんだ。そろそろ自由に旅でも楽しめる環境を望んだっていいだろう。それでなくても、ここの管理主なんて役目を背負わされることになったんだからな」


 苦々しい口調で言うヒロフミを、アルはまじまじと見つめた。

 アルが思っていた以上に、ヒロフミは負い目を感じていたらしい。すべてヒロフミたちのせいではないというのに、「苦労性なのはどっちだ」と言いたくなる。


「ここの管理主になるのを負担だと思ったことはないですよ」


 ひとまず改めて意思を伝えることにする。これはアルの本心だから、ヒロフミが疑わしげな目をしていても、軽く受け流した。


「――むしろ、ワクワクします。ここの創造能力を使ってどんなことができるか、研究したいですね」

「あ、これはマジの本心だ。……いや、アル、前々から思ってたが、マッドサイエンティストの素質があると思うぞ」

「なんですか、それ?」


 なぜかヒロフミに引かれた。サクラまで苦笑している。

 腑に落ちない気分になりながらも、アルは言葉を続けた。


「アカツキさんのことに関しても、大丈夫だと思います。アテナリヤは創世神ですが、その最奥――本質の部分にいまだリアがいるのは間違いありません。万が一にでも、アカツキさんの意に反するような過激なことはしないでしょう。まぁ、だからこそ、アテナリヤはアカツキさんを警戒しているとも言えますが」


 アテナリヤが恐れているのは、人としての感情の部分で強くアカツキを望み、そのせいで世界に影響が出ることだ。

 世界の安定性が失われることは、アルにとっても歓迎できないから、上手く調整して対応する必要があるとは想っている。


 だが、それだけだ。アカツキがこの世界に残ることで問題視しなければならないのは、その程度の些細なこと。


 アルがそう告げると、ヒロフミは呆れたような、感心したような、不思議な表情を浮かべた。


「……アルって、たまにとんでもないことをさらりと言うことがあるよな」

「そうですか?」

「つーか、イービルはどうするんだよ。いくら暁に甘いアテナリヤでも、イービルに利用された場合は、強硬手段で対応してくるはずだ」


 そう指摘されて改めて考えたが、アルは本当にアテナリヤが強硬手段を取るとは思えなかった。


 なにせ、実際にイービルに利用されていた時のアカツキさえ、アテナリヤは永遠の牢獄に閉じ込めるだけで、直接的に苦しめようとはしなかったから。


 アカツキにとっては、それもたまったものではなかったかもしれないが、そこから救い出されることさえ、アテナリヤの想定内だったはずである。やはり甘いと評さずにいられない。


「……なんとかなりますよ、きっと」

「アルがそんなに楽観的だったとは知らなかった」


 ヒロフミが嘆くように言うので、アルはくすくすと笑って肩をすくめた。なぜなら、ヒロフミの声は、アカツキの意思を尊重しようとするアルへの感謝が籠もっているように感じられたから。


 結局のところ、ヒロフミもアル同様、アカツキの決意を翻意させようなんて、まったく考えていなかったのだろう。


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