望みを叶える魔法

第511話 終わりを始めよう

 フォリオとマルクトに別れを告げ、アルは転移魔法で帰還することにした。コンペイトウがあるから、問題なく転移できるはずだ。


「あ、でも、こっちを使いたいかも」

『……緊急な状況ではないが、気になるなら別に構わんのではないか』


 ブランが呆れた様子で呟く。

 アルが取り出したのはアカツキ伝いでヒロフミからもらった転移の呪符だ。結局使う機会がなかったから、もらったものがたくさん残っている。


 ヒロフミが作った呪符がどんなものか、試してみたくなるのは仕方ない。もともとアルは魔法の研究が好きで、呪術にも興味を持っていたのだから。


「ブランもいいなら使う」


 にこり、と笑ってアルが言うと、ブランは『そうそうのことじゃ、止まらんだろう』とため息混じりに呟いた。よくアルを理解してくれている相棒だ。


「――じゃあ、使うね」


 転移の呪符の行く先に指定されているのは知識の塔だ。コンペイトウを自分とブランの口に押し込んでから、転移の呪符を指先で挟み掲げる。

 じわっと魔力を注ぐと、瞬時に発動した。全身をどこかに引っ張られるような感覚がある。


『ぐわっ!?』

「ん……思ったより、心地よくない……」


 不快感のあまり、眉を顰めると同時に目を閉ざしてしまった。

 気づいたら、精霊の森とは違う魔力の空気を感じる。


「――帰ってきたね」


 目の前にあるのは知識の塔だ。

 なんだか全身から力が抜けていくような心地がして、アルは自分が思いの外緊張した状態であったことを自覚した。そして、異次元回廊内のこの場所が、アルにとって帰る場所の一つになっていることにも、くすぐったいような感じがする。


 もちろん、そんな感覚があるのは、この場所に親しい友人であるアカツキたちがいるからだ。


 彼らが無事に帰った後には、アルはどう感じるようになるのだろう。その日が来るのは喜ばしいはずなのに、できるだけ先延ばししたい気もしてしまうから困ったものだ。


 なんとなく感慨に耽っていたら、知識の塔の扉が大きな音を立てて勢いよく開いた。


「アルさん!?」

「無事か!?」

「何があったの!?」


 飛び出してきた三人を見て、アルはきょとんと目を丸くした。なぜそれほどまでに焦った表情をしているのか分からなかったのだ。心配されていると予想はしていたが、少し雰囲気が違う気がする。


『……そういえば、呪符は緊急時に使用する予定だったな』

「そうだけど。……あ、もしかして――」


 アルが呪符を使って帰還したことで、非常事態が起きたと思わせてしまったのかもしれない。そう思い至った途端、申し訳なさを感じた。


「すみません。全く問題なく、無事です。一度転移の呪符を使ってみたかっただけなんです」


 怪我がないか確認するように手を伸ばしてくる三人を受け入れながら、アルは素直に謝った。

 ヒロフミがポカンと口を開けた後に、呆れた表情になるのを間近で眺め、そっと視線を逸らす。


 サクラは「あら、そうなの。それなら良かったわ」と苦笑しながら胸を撫で下ろしていた。その横で、アカツキが「アルさんらしいなぁ」とホッとした様子で微笑む。


「……紛らわしいことを」

「心から申し訳ないと思ってます。考えが足りなくてすみません」


 一人だけ苦言を呈したヒロフミに、アルはむしろ安堵した。責められない方が辛いこともあるのだ。

 アルの無思慮をきちんと咎めてくれたヒロフミだけでなく、サクラとアカツキにも重ねて謝罪する。


『腹が減った』

「ブラン、今はそういう状況じゃないでしょ」


 ブランの言葉に、アルは思わず半眼になる。

 だが、ブランのそんな態度はサクラたちを安心させる効果があったようだ。


「ふふ。なんだか、アルさんたちが無事に帰ってこれたんだって実感できたわ。ご飯の支度をするから、少し待っていてね」

「気が抜ける」

「無事に帰ってきてくれて嬉しいっすよ! たった三日間とはいえ、一年くらいに感じましたもん」

「それはさすがに大げさだろ」


 サクラが知識の塔の中に向かう。その背を見送りながら、アルはアカツキの言葉に首を傾げた。


「僕たちが向かってから、三日しか経っていないんですか?」

「そうだな。アルの感覚ではもっと長かったのか?」

「いえ。さほど時差がないのが不思議だなぁ、と」


 アルが素直な感想をこぼすと、ヒロフミが興味深そうに「へぇ」と声を漏らした。相変わらず、異次元回廊と外との時間の流れの違いは不思議である。今回はアテナリヤの空間に向かったから、なおさら時差の理解が難しい。


「……まぁ、今回は、たった三日で済んで良かったと思おう。桜もバカツキも、ずっと心配してたんだ」

「宏だってそうだろ。何、自分を除外してるんだよ。つーか、バカツキって呼ぶな!」


 ムスッと睨むアカツキをスルーして、ヒロフミがアルに微笑みかけてくる。


「アルの表情で分かってはいるが、一応聞くぞ。――目的は達成できたんだな?」


 期待と不安が入り交じるような眼差しだった。

 アルはそんなヒロフミの目を見つめ返して微笑み、深く頷く。


「もちろんです。きっとヒロフミさんたちを故郷に送り届けてみせますよ」


 ヒロフミの目が一瞬潤んだように見えた。それを隠すように、すぐさま目を瞑っていたから泣きそうになっていたのは間違いない。


 ポカンとしていたアカツキが、じわじわと実感を覚えたようで「あぁ、そうかぁ……」と呟き、顔を両手で覆い俯く。


「成果については、食事をしながらにしましょうか」


 うずうずしているブランの様子を察して、アルは肩をすくめて告げた。話の後に食事を、なんて言ったら、ブランが怒り出してしまいそうだ。


「ああ。アルも疲れているだろうし、まずは休憩しないとな。今日は無事の帰還を祝う豪勢な食事になるぞ」


 ヒロフミが知識の塔の方へ視線を投げる。その表情は明るく愛情に満ちていた。サクラのことを考えているのだと手に取るように分かる。


 アルは「楽しみですね」と答えながら微笑んだ。そして、歩き始めるヒロフミとアカツキを追って知識の塔に向かう。


 ヒロフミたちが喜んでくれて嬉しい。だが、その喜びに水を差さないよう、アルが負った対価をどう隠せばよいか、少しだけ悩ましかった。


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